わり」すぎて、他を見まわす余裕が失われているということと、論の力点が前の方へ傾きすぎて、後からヒョイとこづかれれば、前方へひっくりかえる態勢にあるということだ。その実例はいくらでもあげうるが、いまは略しておく。そのため、前から走ってくる自動車にひかれまいと思ってあまりに夢中になっている人が、後から来た馬車にひかれてしまう危険とおなじような危険が感じられるからである。目は四方にはなたれる必要がある。身体は安定に、八方へ可動に、ということはそれ自体としての自然に立つ必要がある。
第三の理由は、抵抗論のほとんどが評論家によって展開されるだけで、他の専門の仕事をもっている人にとってはほとんどなされていないことだ。もちろん評論家は評論が本職なのだから、抵抗論を書いたり講演してよいし、それでメシを食って悪いわけはあるまい。しかし労働者が労働をとおして、農民が農作をとおして、その他あらゆる業種の者が、自分の専門の勤労をとおして具体的にしている「日々の抵抗」を、評論家たちはどれだけしているか? 重大な点は、日本においてこれまでいろいろのことがそうであったように、問題を筆や口のさきであまりに「ヘナブリ
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