それが悪だと一見してわかるような種類の暴力――にむかってなされたもので、それだけに困難で危険だったといえるが、相手の暴力には、知らず知らずのうちにこちら側にしみ通ってきて、こちらを腐蝕してしまう力は、さまでなかったと思う。
 ところが、いまの日本は戦争中ではなく、日本にくわえられている、または今後くわえられるであろう諸種の圧力は、直接の軍事力というよりも、もっと間接の政治・経済・思想・文化・生活様式などの、それ自体としては暴力などとはいえない、広くゆるやかなもので、直接に目に見える困難や危険はないが、それだけに、ひじょうに強くかつ長い浸透性と腐蝕力を持ったものだ。だからこれにたいする抵抗は、フランス文化人の経験したものとはかなり質のちがうもので、ある意味では、より困難で危険で、百倍もの持久力を必要とするものだと言えよう。この特性がつかまれたうえで、現在の抵抗論が展開されているようには私には見えないからである。
 第二の理由は、それらの抵抗論の姿の多くが、前のめりになりすぎているように私に見えるからである。ということは、抵抗すべき目標物が一目標にかぎられすぎ、それにむかって論者の目が「す
前へ 次へ
全41ページ中23ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
三好 十郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング