なりすぎている。せいぜい私にやれていることは、食って着て住むということだけについては自分で働いて、かろうじてやっていってる、つまり、ふつうの意味で、他人に迷惑をかけないで独立の生計をたてている程度です。
それでもこれで、政治屋とか役人とか資本家とか共産党員とか銀行家とか闇屋とかゴロツキとか商人とか宗教家とか軍人などよりも、いくらか桃の木に近いとは言えるでしょう。だからいくらかは桃の木のする抵抗に似たような抵抗もできるだろうと思うのです。ことわっておきますが、これは私が人にすぐれて偉かったり強かったりするためではない。むしろ、私がごくふつうで弱い人間だからです。そのことはあとに書きます。
さて、なぜにこのようなことをくだくだしく私がのべるか、理由は四つばかりあります。
第一に、今われわれの周囲で行われている抵抗論が主として戦争中フランス文化人たちがドイツ占領軍にむかってした抵抗運動をひき写しにした、すくなくともそのへんを考えのよりどころとした議論のように私に見える。それはそれでよいが、フランス文化人たちのした抵抗は、戦争中のナチス軍事力――暴力のなかでももっともハッキリした、そして
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