」すぎると、抵抗という課題自体のもっている重大な現実的意味が、国民のあいだに定着しないで、頭の上を通りすぎていく危険があるということだ。
第四の理由は、「抵抗屋」も、あるところまではたぶん抵抗するだろうが、それがある限度をこえると、たぶん、よそへ逃げ出す、つまり亡命するといったようなことになるだろうし、またそうすることができる。しかし私どもは、この土地でなさなければならぬ本業があるから、よそへ逃げだすわけにはいかぬし、逃げだすことを欲しない。そのような抵抗論者の考えた抵抗論と、そのような私どもの考えなければならぬ抵抗とは、そもそものはじめから違ったものでなければならぬと、私が思うためである。
そこで、私どもが自然にある姿が、私どもの抵抗のもっともよい姿勢ではなかろうか、そうできるかできないかはまだハッキリ言えないが、やりようしだいでは、ある程度までできるような気がする――というところまで話をこぎつけました。つぎに移ります。
そのまえに、私が戦争中にその目撃者からきいた国民党政権下の中共軍パルチザン部隊の老兵士の話を思いだしてみます。
彼はそのとき、すでに十年もパルチザン戦に参加
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