仕事の地盤としては泥沼とおなじです。底はあるだろうが、その底は確かめられた形ではつかまれていません。ジャーナリズムや大学に依存して、そして依存するだけで安心して抵抗論を展開している文筆家や大学教授たちは、泥沼が自分の脚を没し胸を没し手を没し頭を没し去ったときが、自分の抵抗のおわるとき、つまり自分の抵抗の限界であることを知っているのでしょうか? つまり問題は、人が「どこでネをあげるか」ということなんだ。
戦争中、情報局からおどかされただけでは転向しなかった進歩主義者で、軍からおどかされるとひとたまりもなく転向した人がかなり多かったことを思いだしてほしい。それのよい悪いを言いたいのではない。軍に抵抗することができないのならば、またそのような抵抗をするだけのよりどころに立っているのでないのならば、情報局にも抵抗しない方がよかろう。少なくともそれは無意味だ。というようなことが言えたと思うのです。
現在ジャーナリズムや大学その他に依存しつつ抵抗論をやっている人たちは、もしその抵抗の結果か、または他の理由からジャーナリズムや大学その他から締め出しをくったばあいには、どこに自分の足を置いて抵抗し
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