するようになったのだろうと思って、それをのろうような気分になったりすることもあることを白状します。心がつかれ弱りはてたときなど、中学生のように、ヒョッと死んでしまいたくなることさえあります。しかもこのような自分を唯一の頼りにして生きている家族の者たちや、またとない尊い杖とたのんで、生きている親しい者たちがいます。それを思うと、暗い不覚の涙が流れることさえあります。
 さて、そういう姿で暮し戯曲を書きながら、私は悲鳴をあげているか? 悲鳴のはてに私は戯曲を書くことをやめてしまうことがあるであろうか? また、そのはてに原民喜と似たような姿で死ぬことがあるであろうか? いえ、私は悲鳴をあげていない。戯曲を書くのをやめることはない。原民喜と似たようには死にません。私は快活に笑うことができるし、客観的な情況がそれを絶対に不可能にしてしまうまでゆうゆうとして戯曲を書くし、人か物かが私をとらえて打ち殺してしまうまで死なないでしょう。冷たい確信をもって私はそう言えます。
 それは私が自分をとりまいている諸条件を楽観しているからではありません。むしろ悲観しきっているからです。望みを持っていないからです。
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