に立って発想していないからだと思います。つまり「自分のことはタナの上において」いるからです。もちろん、清水がズルイためや悪意があってそうしているのではないと、私は思います。ただ「痛い」からだろうと思う。自分を人なかにさらし、クシザシにするのは、だれにしても痛い。これは清水だけでなく、その他の抵抗論者のほとんどがそうでしょう。
しかし私は、私自身のために、いま行われているような抵抗論では不安だし、満足できません。だから、自分だけの考えを語りひろげてみるのですが、それにはまず、よかれあしかれ、自分をタナの上から引きずりおろし、人なかにさらし、クシザシにし――一言にいって、自分がまず少しばかり痛い思をしてみることが第一歩だと思ったのです。それで前節のような、グチばなしに似た自身の内輪話をすることによって痛い思いをしはじめたわけです。もうすこし、それをつづけます。
3
前記のとおり私の生活は苦しく、仕事をしていくのはかなり困難です。しかもこのさき楽になったり容易になったりする見通しはまずありません。ですから時によると、自分は全体どんなわけで選《よ》りに選ってこんな仕事を
前へ
次へ
全41ページ中11ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
三好 十郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング