力を暴力と呼んでもよいし、それが発動したときの関係が大がかりのばあいには戦争といってもよい。ただ、それは、プロレタリア階級の解放や独裁権力確立のためのものでなければならぬとされている。
 そういう武力=暴力=戦争ならば彼らは積極的に肯定する。共産主義者がいて、武力=暴力=戦争を肯定するのでなく、彼が共産主義者であること自体が武力=戦争を肯定するということを含んでいる。そういう主義がマルクシズム=共産主義です。
 マルクシズムの原典や理論家たちの本から、経済闘争から政治闘争にわたる、階級闘争に関する理論や、いくつかの帝国主義戦争論その他の理論を引きあいに出しながら、このことを私なりに証明することはできそうに思いますが、いまはその時間もなく、またあなたにむかって、そんなことをするのは、シャカに説法と同じで、不必要なことでしよう。
 要するに、マルクス主義はあらゆる戦争に反対しうるものではなく、反対していない。むしろ逆に、ある種の戦争には積極的に賛成するもので、現にしている。彼らの各種の憲章に、つねに主格として登場するのは「労働者と農民と兵士[#「兵士」に傍点]」です。
 実際的にもマルクシ
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