ている
お前の姿を思い出した
すると急にムカッと来た、
がまんが出来ず、口をおさえて会場を飛び出して
しばらく小走りに行ってから、
とうとうゲラゲラ、ゲラゲラと笑い出した
すこしもおかしくないのに、笑いが止らない
ハハ、ハハ、ヒッヒ、ヒヒヒヒ、ハハ、ヒヒヒ!
夜の神田の大通りを、とめどなく高笑いしながら走る女を人は気ちがいだと見ただろう。
そうだ、いつの間にか、お前を軽蔑しちゃってる
軽蔑しちゃったものを憎むことができるものじゃない
すると私は、お前をこのままに見のがして置けるのか?
いいや、ダメだ、今となっては、徹男さんと兄とが
私がよすのを許してはくれない。
兄と徹男さんの二人は毎夜のように私の枕もとに現われて、私を眠らさない。
よし、虫ケラは臭い匂いを出しすぎる
なんでもいいから、よいかげんに、ひねりつぶせ!
それで、待った
もはや何も考えないで私は待った
その時は直ぐに来た
お前はこの前、女のところでの不首尾を取り返そうと思い
それと言うのも持って行った金がすくなかったためだと考えて
あの時の二倍の金を持って女の所へ行った
いよいよ今夜だ。
今夜の帰り途で決着をつける。
私はもう一度短剣のサヤを払って
澄み切った刃の鏡で自分の顔に最後に別れを告げてから築地へ急ぐ
梅雨どきのアパートの天井裏にナマぐさくカビが匂う
いよいよ今夜が最後だと思うと
そこにしゃがんでいながら、どういうわけか私は物悲しいような気持でいた
この前の事があったためか、お前はほかの男が又来はしないかと、最初のうちはビクビクと
一度なぐられた犬が飼主に近づくように、女のきげんをうかがっていたが
その晩はどうしたのか、女の方がションボリしていて、
お前の出したサツたばにも手をふれようとせず、
片手を胸にさしこんでふさいでいる
どうしたの? どうしたんだよ? ねえ君
なめまわすようにお前が問いかけるのにも
女はしばらく答えなかったが
やがてボロボロ泣き出して「ジが出た」と言う
「ジ?」お前は何の事だかわからなかった
私にもわからなかった
それが、やっと痔だとわかっても、おかしい気持はちっとも起きないで
この女の白痴のような子供らしさに
胸のどこかをキリリと突かれたような気が私はした、
お前もチットも笑わないで、心配そうな、むしろ急に元気になった顔をして
どれ、僕が見てあげる、手当はしているの?
ううん、薬は買って来たけれど、気持が悪いから、そのままにしてあんの
どれどれ、それはいけない、痛いの?
そんなに痛みはしないけど、気持が悪い……
そしてお前はイソイソと、薬と綿を取って手当てをしはじめた
女をあおむけに寝せ、ひろげた脚の間をのぞくお前の顔が
なんと熱心でキマジメだろう!
それは、世界平和についての労働組合の任務を説き立てていた時の熱心さと同じで、
そして、あの時よりも、もっと真剣だった
シロウト淫売の尻の穴をのぞいている山田教授よ!
あざけり笑おうと私はしたが
頬がベソをかいたようになる
なんだか知らぬが、この男は、なんだか知らぬが、この女に惚れている
おかしな、変てこな、きたならしいふうにだけど
たしかに、この女に惚れている
そしたら、どうしてそれが、おかしな変てこなきたならしい事だろう?
バカのように、悪魔のようにのぞいている私の目の下で
お前は痔の手当てをすませると
手当てをしているうちから、既に釣りあがっていた眼つきで、
もうオスになったこんな手つきで
べつの所をまさぐりだしている
痔の痛みがおさまったせいか
又は痔の痛みがまだすこしあるためかも知れないが
不感の女が今夜は自分から腰を持ちあげて
珍らしく、とろけかけた薄眼を開いている。
[#ここから4字下げ]
(言いながら、タイツと残っていた片方の乳当をベリッとむしり取って、前に当てた木の葉だけになり、ゼスチュア)
[#ここで字下げ終わり]
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
あたしは、はじめて知った
男でも女でも、男が男であるものと女が女であるものと
ハイセツ物を出す所とが、すぐわきに隣り合っている
それまでだってその事を知らぬわけではなかったのに
だのに、はじめて私はそれをその時に知った。
それには、何かがある
キタナイとかキレイとか、とだけではない
その事の中には、何か大事なことがある
何だかわからないが、何かがある。
節穴の中では、女の上にたおれたお前が
全く自分を忘れて、ふるえている。
これが人間じゃないかしら?
ヒョッと思った
人間はみな、こうじゃないかしら。
それぞれ自分だけの暗い穴の中で
人はみんな、おかしな事をしているのだ。
すると、明るい外で、人の目をかねてしている事だって
やっぱり、あれで、おかしな事ではないのか。
両方ともが、両方をひっくるめて人間というものがそんなものじゃないのかしら。
お前の人格や暮しの事を二重三重四重と私は思ったけれど
そのどちらもが、お前に取ってホントなのじゃないのか。
ここでそうしているお前も、ほかでああしているお前も、どちらもホントで、
そういう人間がお前なんだ。
転向前のお前も、転向後のお前も、それから転々向した今のお前も、
どれもこれもお前にとってホントだったのだろう
そういう人間でお前はあったのだ。
弱い、もろい、そして何かの手で気まぐれに作られた人間が
生きて行くことに耐えて行くためには、
誰しも実は、たいがい、そうではないのかしら?
お前は、ただの人間だ。
たくさんの、ほかの人間と同じように、ただの人間だ。
それを、特別の人間みたいに思っていた
そのために私は腹を立てて、憎んだ、こんなに。
そうだっけ!
いいえ、あたしは、それでもお前を許しはしない
許しはしないが、憎むことは、もう出来ない
憎んではいるけれど、前のようには憎めない。
殺してもよい、しかし、殺しても、つまらない
満足し、ダラリとなったお前と女を、節穴の中に残して
私はションボリ、うちに戻って来た。
私のうちで、妙なことが起きてしまった
何かがポキンと折れた
お前を憎み殺してやる気がなくなったら
それといっしょに、何か別のものまで折れてしまった
つっかい棒が[#「つっかい棒が」は底本では「つつかい棒が」]なくなった
自分がフラフラと宙に浮いているような気がする
べつに悲しいのでも苦しいのでもない
ただポカンとして、死んでもいいなと思ってる
だけど、なんだか、それもメンドくさい
[#ここから4字下げ]
(ダラリと、全裸のからだを、椅子をまたいで投げかける。……全く空虚になった眼が、なにも見ていない。……間。……ゆるやかな音楽が、潮ざいのように遠くから近づく……)
(うっすらと視線を寄せ、すこしかすれた低い声で)
[#ここで字下げ終わり]
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
……そうなんですの
ごらんの通り、キレイに裸かになってお目にかけましたよ
いいえ、そんな深刻そうな眼でごらんくださる必要はありません
ホントに、ホントに、私の気持はそんなに深刻なものでも、暗いものでもありません
ここまで洗いざらい申し上げた末にウソを言ったり、誇張してもしかたがない
私は明るく自由で、自分自身からさえも解き放たれています
私を引きとめたり、しばったり、けしかけたり、がんばらせたりするものは
今はもう何一つとしてありません
私をおびやかしたり、こわがらせたり、追いつめたりするものは、この世の中にはないのです
私の夜ごとの夢に現われていた兄さんも徹男さんも、もうサッパリと出てこなくなりました
私は泥のように、よく眠れるようになりました
私はこれまでのように頭痛がしなくなりました
私は空に浮いたひとかたまりの雲のように自由です
なぜならば、私はヤット人間を見つけたのですから。
人間は虫ケラにソックリ似たもので
そして虫ケラにソックリ似ていても悪いことはすこしもないと思うようになったのですから。
人間は、ケダモノが信用ならないように信用できないものですけど
しかし人間は、もともとケダモノなんだから、それでよいのだと気がついたのですから。
なまいきな「英語」で言って見ますならば
人間を否定しよう否定しようと気張って来た私が
妙な事から人間を肯定するようになったらしいのです
そうなんですの
ところが、否定していた間は、とにもかくにも生きて来られた私が
肯定したら、その時から、セッセと生きては行けなくなった
人間を憎い憎いと、まっ黒こげになっていた間は
生々と人間らしく暮して来られたが
憎しみや悪意が私から消えた時から
ガッカリしちゃって、チャンとした人間でなくなったのです
人間は、なにか、とんでもないものに支えられて生きてるものじゃないでしょうか?
いいえ、人さまの事は知りません、この私という人間は
はじめから、何かまちがっていて
人さまとはアベコベなのかも知れません
こんな女も居るのだとでも思って下さいまし。
こうなれば、こんな所で踊っていてもつまりません
永々と皆さまのお世話になって少しは名残りも惜しいのですけど
このへんが潮どきでございましょう。
芸人づらの、高級ぶってダンサアしてるのは客引きの張店で
人をも自分をもゴマカシているイヤらしさにも飽きました
眉毛をもうすこし長く引き、口紅をもっと濃く塗って
チュインガムをクチャクチャかみながら鼻唄うたい
気楽にただの普通のPさんで
世間の波に沈みます。
いろんな男を相手にして来たカラダです
いずれ行く先きは知れています
これまでは、私を選んで下さるあなた方の中から
私が選んでお相手をして来ましたが
これからは、たくさんの女の一人として
そこらの闇に立っていて、あなたがたに選んでいただくだけですよ。
値だんも、ただの普通の相場です。
あなたが、これから相手になさる女の中に
耳のうしろの此処だけには、どうしてもキスさせない人がいたら
それが私かも知れません
ここは、あの人がたった一度だけキスをしてくれた所なの
ほかの場所ならどんな事でもおさせしてよ
此処だけは死ぬまで誰にもさわらせません
そうですセンチメンタルですよ、お笑いなさい
お聞きの通りナニワブシのように私はセンチです。
[#ここから4字下げ]
(ギラリと立ちあがって、ユックリと舞台鼻へ)
[#ここで字下げ終わり]
[#ここから改行天付き、折り返して1字下げ]
そんな次第で
お前さんは安心するがいい
だけど、あんまり安心しすぎて、いい気になるのはよしなさい
なぜならば、殺せないから殺さないのじゃない
いつでも殺せるから、殺さないのだ
それに、私みたいな人間は私だけじゃない
そこらの闇にウヨウヨといくらでも居る
人から物から世の中から裏切られた末に
自分で自分をやぶき捨てて
闇の中で歯をむいている者はウヨウヨ居る。
山田教授は一人ではない
似たような人間は、いくらでも居る
あちらにも、こちらにも、(こちらを指す)そこに! そこにも!
そらそこにも居る!
あなたがたの中に坐っている!
そこに居る! そこに居る! そこに居る!
いいや、あなたがたは、みんな、みんな、そうかもしれない。
[#ここから4字下げ]
(短剣を右手に逆手に持って、静かに力を入れながら)
[#ここで字下げ終わり]
[#ここから改行天付き、折り返して1字下げ]
いい気になるのはよした方がいい
私はいつでも音もなくお前さんがたの後ろにピッタリくっついて歩いてる
お前さんがたの背中には、いつでも、これが突きつけられている
人間は、薄い袋に入れた三升ばかりの血液に過ぎない。
これでチョイと突っつけばタラタラとなんの苦も無く流れ出して、ドブ水になる。
気をつけなさいよ!
[#ここから4字下げ]
(音楽)
(くずれるように美しい媚笑)
[#ここで字下げ終わり]
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
…………といったようなお話ですの
ホントだと思ってくださっても、
ウソだと思ってくださっても
どうぞ御自由に!
長々と、ごたいくつさまでした。
それより、チットはおもしろございまして
前へ
次へ
全10ページ中9ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
三好 十郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング