殺意(ストリップショウ)
三好十郎
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)行《ぎょう》
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打楽器だけのダンス曲。
曲が終ると共に幕開く。
舞台は、同時に、高級なナイトクラブのホール正面の、階段のあるステージ。
したがって観客は同時にナイト・クラブの会員や客である。
音楽にのって踊っていたソロ・ダンサアがステージにグッタリと倒れてフィナーレのポーズになる。上半身裸体に、黒い紗の、前を割ったオダリスク風のスカート。紗の黒と、伸びの良いからだの白と、胸当ての銀。
あちこちで拍手。
ダンサア立つ。
その立ちかたが、およそ、そういう場合のダンサアらしいポーズを捨てた、ちょうど走っていてころんだ小学生がヒョックリ起きあがったように。こっちを向いてニッコリして、相手へ向って頭をさげる。
ありがとうございます。
今晩はこのわたくし、緑川美沙が
このステージに立つ最後の夜でございまして
ただ今の踊りが、最後の踊りでございました。
ずいぶん永い間、ここで私は踊った
汗を流したり、涙を流したり
――いろいろの事がございました
それを思うと今踊りながらも
悲しいような、うれしいような
胸がいっぱいになったのでございます。
それにつけても、私のように貧しい者が
とにもかくにも、こうしてつとめて来られましたのは、
会員やお客さま――あなたがたの、
ごひいきのたまものでございまして、
このステージにお別れするにあたりまして、あらためて、
心からのお礼を申しあげます
ありがとうございました。
世の中は広うございます
ひとたび、ここから立ち去ってしまえば
私の姿など世の中と人々の間に呑まれてしまって、
二度と再び、あなたがたの眼には
ふれないかも知れません。
しかし、時には思い出してくださいまし、
このような姿をした(言いながら、白い脚をスッスッと出してタンゴの二三節のステップを踏む)
このような声をした(唄う身ぶり)
緑川美沙という、こんな女がいた事を。
その思い出していただくためと、
なによりも、永い間のごひいきのお礼の印に、
三十分ばかり時間をいただいて、
私一人のショウをつとめさせていただきます。
どうせ、おなぐさみでございます
失礼は前もっておわび申して置きます
あなたの前にはおいしいお酒があります、
あなたの横には美しい友だちがおいでです、
音楽もはじめていただきましょう(右手へ向って手をあげて合図すると、バンドがユックリした曲を奏しはじめる)
わたくしも、失礼いたしまして、
すこしお酒をいただきます。(階段をおりて来て、そこに一組だけ置いてある大理石の小卓に向って椅子にかけ、卓上のリキュールのビンからコップにつぐ)
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(そのコップを持ち、コップ越しに、ウインク。花が開くように笑って)
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どうぞ、ゆっくりと、お気軽に、
チェリオ!(飲む)
ホントに酒は良いものです
そうではございませんか
雨が降って風が吹いて
自然と人は入れまじり音を立て匂いをはなち、
乱れ、集り、こりにこって、酒になる!
スピリットとは、よくいった!
ほほ、それ位のカタカナは私だっても存じていますよ。
だから人の思いが、こりにこって
恋しいにつけ、憎いにつけ
人の手は酒に行きます。
そうではございません?
ほほ、私の手も酒に行きます。(と、もう一つ酒をついで)
チェリオ!(飲む)
とかなんとか、上品めかして言いますけど、
ありようは、ただ、なんでもいいから飲みたいのよ
緑川美沙、実は、女しょうじょうだあ!
は、は、は、は! まあ、お聞きなさい
カタカナも知っていますが、こんなものも知っています
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(朗詠)
[#ここで字下げ終わり]
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さかしらを言うと
酒飲まぬ人の顔
よくよく見れば
猿にかも似る
猿になっちゃ大変だ。(ふくみ笑いをしながら、又つぐ)
チェリオ!(飲む)
さて、その次ぎに良いものは、
恋愛でございます。
恋愛。こい。ゲスは色ごととも申します
せつなくて、やりきれなくて、駆け出したくなり、
じれてじれてじれぬいて、しんからシミジミうっとりして、
しまいには裸かになってふるえます
それが恋。
恋は人を裸かにいたします、
私も裸かになりました。
その話をいたしましょう。
と申しても、たかの知れたこれだけの女一人
ただもう身体と心の裏表から隅々までを
キレイきたないのお構いなしに
着ているものをぬいでぬいで脱ぎ切って
御存じのストリップ――皆さま見飽きていらっしゃいましょうが
まあ、しばらくごしんぼう下さいまし。
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(音楽が変る)
(美沙、ユラリと椅子から立って、不意に自分だけの想いに、つかれ、遠い所を見ながら、階段の下を一方の方へユックリと歩いて行く。……立ちどまって、こちらを見て、サッとはにかんで、持っていた金色の羽根扇をパラリと開いて、顔をかくして、手元の骨の間から客席を見る。その片頬にさざなみが寄せるような嬌羞のほほえみ。……やがて扇を胸にさげる)
[#ここで字下げ終わり]
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
どう言えば、よろしいのでしょう?
イライラ、イライラとここの所を
ゴムひもでくくられて、つるしあげられて
グルグルと振りまわされているような、
足が地につかないで、あがいてもあがいても
雲ばかり踏んで、胸がドキドキするばかり、
はがゆいようにウットリして、
恋とも愛とも自分では気が附くものでございますか
それに戦争でございます、空襲です、
一人々々の心の奥の出来ごとに、
人も自分も気が附く暇もありません。
煮えくりかえる釜の中で
ただもうボーッとしていたのです。
皆さま、とくに御存じの、こんな女の私が
持ってまわった恋物語でもありません
ズケズケとかんじんの所だけを申します。
その人は徹男と言いました
苗字は――まだその人の一族が、たくさん東京に居りますし、
さしさわりがあるといけませんので申し上げません。
昔の私の先生で、名前をいえば
多分みなさまもいくぶんは御存じの
進歩的な社会学者の、弟でした。
仮に山田としておきます。
山田先生――山田教授――の弟の
山田徹男。
口数のすくない静かな人で
それでいて、いつでも怒っているように激しいものを持っていて
顔色の青いのも、内から燃えて来るものを、
押えているせいです
ただ眼だけが時々やさしい眼になって
濡れたようになるのです……
いいえ、あの人の顔や姿を語るのはやめましょう
たまりません、耐えきれません私は。
イヤです、痛いのです。どうしよう?
今でも、夢の中までも
われとわが身をかきむしるのは
それほど好きでも死んでもいいと思っていたあの人に
私が私をあげなかった事だ。
世の中もあの人も私も忙しかった
息せき切って駈けるような日暮しで
ユックリ逢っている暇はなかった、
しかしその気がありさえすれば
駅のほとりの立ち話しのコンクリートの壁の片かげで
空襲でかけこんだ防空壕の奥の闇で
面会に行った兵営の隅の草のかげで
私をあの人にあげられなかった筈はない。
からだの奥でカッとなって燃えていて、
取ってちょうだい取ってちょうだいと
心が叫んでおりながら、
私自身がそれをそうだと気が附かなかった、
あの人もまた私に求めておりながら
それをそうだと気がつかず
それを取るスベを知らなかった、
そしては、やさしい深い良い眼をして
私のからだを包みこみ、
包みこまれて、私はブルブルふるえていたっきり。
そうだ! あげなければならない人にはあげないで
この通り、与えたくもない人に与えてる!
自分の真珠を王子さまにはあげなかった小娘が
あとになって、そこらの豚に手当りしだいに投げてやってる。
おわかりになりますか? なりますね?
こうして此処に立っている私はなんでしょう?
やめろ!
[#ここから3字下げ]
(同時に音楽パタリと中断。美沙、再び椅子に行き、自分をおさえるように腰をかけ、片手をあげて、熱した額と両眼をしばらくおさえている。盛りあがった白い胸が大きく息づき、額にあげた片腕の、わきの下のくぼみの黒さ。……間。……白い塑像は動かない。やがて、フッと片手を眼からおろす。泣いているかと思えたが、あげた顔はえんぜんと笑っている)
[#ここで字下げ終わり]
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
私としたことが、ツイのぼせあがってしまいました
泣いたり笑ったりの合いの手を入れていたのでは
話のヒる時はございません
バタバタと、形容ぬきの電報式に申しましょう
[#ここから3字下げ]
(酒をつぎ、カプッと一口に飲みほして)
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[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
ほっ! ごめんあそばせ。
私は、南の国の小さな城下町の生れです。
裁判所につとめていた父を早く失い
旧藩士の家から出た母のもとで一人の兄といっしょに育ちました。
兄は、たいへんまじめな、きつい性質で
学生時代に左翼の運動に熱中し、
ケイサツにつかまって二年の刑を受けて、
出て来た時はスッカリ胸を悪くしていて
それから三年寝て暮した末に
戦争がはじまって間もなく死にました。
兄は私を、しんから、かわいがってくれました
それも普通のかわいがり方ではありません
病気にたおれて、もう命の長くないことを知っているために
自分が生かし得なかった意志を生かしてくれる者に
妹の私をなそうとして
大いそぎに、あわてて、いっしょうけんめいに
何もかもいっしょくたに、つぎこみにかかります
兄の身と私の行く末を心配して
ハラハラとただ眺めるだけの母をよそに
病床で熱と火のために目を輝かし、顔を赤くしながら
セキを切って流れる水のように
女学生の私を教え叱り言いふくめます。
すべてが何の事やら私にはわかりませんが、
兄のいう通りにしたのです
なぜなら私は兄が好きでした。
兄のいう通りに勉強することが
兄を喜こばせ、兄を元気づけ
兄の命を半年でも一年でも引き伸ばすことができるならば
どんな事でも私はしたでしょう
それに、兄の思想は悪いものには思えませんでした
それは何よりも先ず、自分一人の利益のためでなく、
働らいている貧しい、たくさんの人々を
幸福にするための思想でした
思想の組み立ては私によくは、わからなかった
しかし思想の土台になっている考えは、わかるような気がしたのです
それに、そのような思想家として
兄はホンモノでした、それを身をもって生き抜いた
ホンモノでした、今でもそう思います
それだけは小さい私にもわかりました
それが私を動かしました
それは母さえも動かしたのです。
母はただ物がたい家に生れ育って
厳格な父のもとにとつぎつかえて、
まだ若くして夫を失い、その遺児の兄と私を
僅かばかりの遺産を細々と引き伸ばしながら育てて来た
気の弱い、情のこまやかなだけの女で、かくべつの取りえもない
ただ一つ人間に大事なものはミサオ――節操というもので
それさえあれば人は人としてどのような場合でも
恥じることはないと思っており、おこなって来た女です
それだけに、兄の思想を遂にわからず
牢屋に入ったり病気になった兄の身の上を
ただ動物の母のように身を細らせて心配するだけでしたが、
次第々々に、兄の思想に対する一徹さに
自分の息子は、すくなくともハレンチな無節操な
腰抜けではない。
私はこんなセガレを育てた事で、死んだお父さんに申しわけがない事はないと思うようになったようで
おしまいの頃は、自分だけの胸の中では
母親としての誇りのようなものを感じながら
兄をみとっておりました。
そのようにして、眠ったような南の国の城下町に、
三人が、からだを
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