と女が、その足をバタンとわきにやって
「あんた、金、持って来てくれた?」
「う? うん……」とお前は言って又、その足にキッスした
びっくりして私は声を立てそうになった
お前は不意に気が狂ったのか?
それとも、それは実はお前ではないのか?
そう言えばこの室に入って来た時からお前の顔はいつもの重々しく理智的な高貴な表情をなくしていて
いやいや、それらの顔つきはそのままソックリとありながら
又となく愚かしい、デロリとゆるんだ顔になっている
あの鋭どい、深い思想家のお前が、こんなふうになる時が有ろうと誰が思ったろう?
しかし、それから起った事のすべては
さらに意外な事ばかりだった。
とは言っても、かくべつ、多くの事が起きたわけではないし、珍らしい事が起きたのでもない
世の中の男と女の間に、いつもある事があっただけというほかにスベのない事で
私のような暮しの女には今更めずらしくもなんともない
言って見れば大昔からタイクツなタイクツなバカの仕事、
それでいて、しかしなぜだろう? 私は下の部屋をのぞきながら
次から次と、びっくりして、何が何やらわからなくなり、カタズをのんでいた。
お前と女との事は、一年ばかり前からのもので、
女が小料理屋に出ていた頃に、何かの会のくずれでその店にお前が寄って
最初は女の方から持ちかけた関係だが
今では女は飽きて冷たくなったのを
お前の方で泣くように頼んで金をドッサリくれるので
女はシブシブ相手になっているだけ
そんな事が、すぐにわかって来た。
女の亭主が刑務所に入ったのが、いつ頃かわからないが
その留守で女一人の暮しが立たないから男を作ったというのでもない
他にも二三人きまった顔ぶれの男が通って来るようで
亭主というのも、実はヒモで
すべてを承知の仲かもしれぬ
ただ動物のように淫とうな女らしい
そのくせ、足の裏やエリあしなどにアカを溜めても気にもとめない無神経さで
男の下で、白いからだをムチのようにそらせながらも
実はなんの喜こびも感じていない事は
目をつぶってダラリとした口のはたを見れば、私には、わかる
不感症だ。まるで不感の淫乱女。
ただ腰だけは、よく動く、波のうねりだ。
私にわかるのと同じように男にも、女が喜こびを感じていない事がわかる
わかればわかるほど、拷問のような波のうねりに乗せられて
お前はそそり立てられ、追いかけて行き
目を血走らせ歯をむいて
ねえ! 待ってくれ! たのむから!
胸を、もっと、開けて! つかんでくれ! ねえ!
哀訴し嘆願し、そこらじゅうをペロペロとなめまわし
しまいにはヒュンヒュン、ヒュンと小犬のように泣き出して、終りになっても女はドタリと横ざまに寝返っただけで
白い脂ぼうに、テラリと薄光りした小山のような腰の前で
いっぺんに空っぽになり、ダラリと小さくしぼんだ腰をそのままに、
開かなかった女の花がうらめしく、腹を立てて
バラバラの白痴のような眼でポカンと壁の方を見ているお前の口のはたに
白いアブクになってヨダレが垂れていたのだよ
それにお前は気が附かなかった
山田先生!
いや、ホントにそれは山田先生なの?
あの高邁な思想家が、いつ、どうして、こうなったの?
こんな女を、こんな意味で、こんなふうに好きになったの?
こんな女よりズッと美しい奥さんがあるのに
お前はどうしてここに通って来て、ヨダレを垂らして寝ているの?
それとも、お前はズッと前から、こうなのか?
クラクラと目まいがするようで
私はとても気分が悪くなり
そのままソッと穴を抜け出して自分の部屋に帰ってしまい
次ぎの日はクラブを休んでしまって
一日ベッドで寝てすごした。
あれは何だろう?
あの男をあんなになしているのは、何だろう?
あの男は奥さんと寝て、そしてあの女と寝る
すると、どっちがホントで、どっちがウソだ?
どっちのお前が、私のねらっている奴だ?
お前はだしぬけに気が変になったのか?
それとも、もともと、キチガイか、バケモノなのか?
きたならしいよ!
フ! この私が人のことを、きたならしいだって?
そう、やっぱり、きたならしいよ!
そうだ、私はきたならしい、心もからだもインバイだわ
私の所に来る男たちも、犬のように吠えたり舐めたり這いずったり
スケベエの変態の、きたならしい動物だ
しかし、あの男にくらべれば、きたなくない
きたないという中身がちがう
あの女の所による時のあの男だけならば世間の男と同じだ
しかしその男が家に帰って又奥さんと寝た時のことを
あれとこれとをいっしょに考え合せていると
胃をつかみ出して塩水で洗っても
吐気がとれない位に、きたならしい!
ペッ! ペッ! ペッ!
ビックリしたのは、そのお前が
その翌日から多少は変るかと思っていたのが
いったんそのアパートを離れると相変らずの山田教授で
誠実な顔をして進歩と人民民主主義を説き
清い家庭の良き夫、良き父として
人格高邁、微動だもせず以前と寸分違わぬ姿でいることだ
これは何だ? わからない。
わからないままに、私はますますお前の後をつけまわした
家から教室へ、教室から講堂へ、講堂から川岸のアパートへ、アパートから家へ、
グルグルと眼がまわり出したのは私の方だ
[#ここから4字下げ]
(既にしばらく前から、言葉の調子はたたみこむように急速になって来ていたのが、このあたりから、益々速くなる。同時に、それにともなう表情とシカタも、あらわに大きく激しくなる。しかも言われている言葉と動作がズレて、随所でシンコペーションを起して、それが異様な感じになる)
[#ここで字下げ終わり]
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
ねえ、頼むから、そんな薄情な事はいわないでくれ
この次ぎは五千円ぐらい持って来るから
いやいや、今度二冊ばかり本を出版するから
それが出れば四五万円はいるから
なんだったら、もっとたくさん持って来られる
ねえ! だから! 僕は君がホントに好きなんだ!
僕はこの胸を割って見せたい! 疑うならば、しめ殺してくれてもよい
愛している! 蹴られたっていい! 踏んづけられたってかまわない
いいや、踏んづけてくれ! ホントに踏んづけてくれ!
ね! ね! ねえ君! ヒー、ヒー!
シラリシラリと冷たく笑いながら白い眼をして睨んでいる女の足元で
お前はチギレチギレに、うわごとのように、身をふるわして言いながら
こうやって、こんなふうに(身をよじらして、キッスの雨のゼスチュア)こうして
よごれた女の足の先からだんだんにクルブシ、フクラハギ、ヒザ、フトモモとくちびるが
昇って行って山の傾斜を這いあがる
くすぐったいよう! バカあ!(身をもんでキッスされている女のゼスチュア)バカあ!
バカだねえ、くすぐったいたらさあ!(ベリリと腰のオダリスクの片方をやぶき捨て、片方のモモの円柱を斜めにグイとあげ、最下等の媚びと軽蔑とを混ぜて、自分のからだを男に投げ与えるゼスチュア。ゆかに倒れて鼻声を出す)
夜ふけの雨が窓を叩いて
天井で思わずミシリと言わしてもお前たちには聞こえない
私がのぞく節穴にいっぱいに、クローズアップにひろがって
組み合わされた四本の脚がギチギチギチと音なく動き
その間から、ダラリと舌を出したまま、ハッハッハッと熱い息を吐くお前の顔と
すべての男を小馬鹿にした冷たい女の
男を小馬鹿にしてジラすことで、かろうじて
喜こびにしめって来るネンマクの薄桃色のさけ目とさけ目
そうだねえ、いいえ私は必らずしも自分がマルクス・レーニン主義の
世界的な到達点に立ち得ているとは、まさか思っていません(言いながら、姿勢とゼスチュアは、シンコペーションで残って、しばらくエロティックきわまるものである)
しかし、どんなに低く見つもってもだな
われわれの主体性が、現在、三十代の
インテリゲンチャの間で扱われているように、
他の、もっと広い社会との関係、世界とのつながり、
それからタテの事をいえば階級関係
つまり経済的な下部構造の分析などから切り離されて
主とした人生論的な、哲学的な、別の言葉で言えばいわゆる実存的なものとして追求されている限り
やっぱり、実は堂々めぐりで、確立から、はるかに遠いばかりでなく
ヘタをすると反動の役割を果すことになる
それ位はお互いに知っていなければならんねえ。
――フ! 講演会からの帰りに、送って来た崇拝者の学生に
美しいバスの声で説いているお前の調子は
真剣で忠実で疑いをはさむ余地がない。
主体性? 社会との関係? 下部構造? 反動?
なんなの、それは?
いいえ私はそれらの意味を知っている
そして私にはそれらの意味がまるでわからぬ
フフ! 私はもう、股で考えるんだ、こんなふうに(シカタ)
ただれた膣で考えるんだ、こんなふうに(シカタ)
あの女がそうであるように
だから私にはスッカリわかって、なんにもわからない
お前も股をひろげたのだ、あそこでは[#「あそこでは」は底本では「あれこでは」]
股をひろげてヨダレを垂らして泣いたのだ、あそこでは
だのにお前は別に頭を持っている、オッケエ、こんなふうに?(厳粛な表情のゼスチュア)
家に帰ると、あの奥さんに清潔な微笑をして見せ
リプトンの茶わんを持つ時には
小指だけをほかの指から離して、そらして持ち
二人の子供を食後のエンガワにかけさせて頭をなでながら
P・T・Aのありかたについて、学級内でのデモクラシイの本質について
やさしい言葉でジュンジュンと説いている
そこにP・T・Aの会長夫人が訪ねて来て同席すると
奥さんは、夫人にサンドイッチをすすめながら
にこやかに説き進む夫のお前の言葉を
コウコツと、天上的な表情で聞く
ワイセツだ! ワイセツだよ! それこそワイセツだ!
あれとこれと、又、それと、なんと自然にスラスラと使いわけて行くだろう
二重生活といいたいが、私の知らない所では三重四重になっているかもわからない
そういえば、大学の講師と文筆と講演などの稼ぎだけにしては
お前の生活は豊かすぎる
どこかに金をつかむツルを持っているかも知れないし、
闇取引のブローカアでもしているかも知れない
名義を変えた財産を持っているかもわからない。
はてしなく、私の目まいは、更にはげしくなる
私は立っていられない!(残っている方のオダリスクをも取り去り、ヨロヨロと、酔ったあげくのジルバのようなステップで、ステージの一番前へ乗り出して来る)
なんでもよいから、早くやってしまえ! 早くやってしまえ!
お母さんの短剣がうずいているんだ!
ホントに私の頭が狂ったかと思ったのは
それから間もなくだった
川岸のアパートにお前をつけて行って、天井に入ってのぞくと
その晩は女が気が向かないか、金が少いか、もしかするとホントにメンスだったか
お前が犬のように哀願しても、身体を開こうとはしないので
お前は遂にメソメソ泣き出して
果ては横づらを突きこくられている時に
女の所に通って来る、ほかの二三人の中の一人で
ゴロツキのような闇屋の男が入って来た
お前はたちまちペコペコとおじぎをして
脱いであったズボンを拾って着ると
コソコソと部屋を出て帰った。
その次ぎの夜だ
神田の方で催される文化講座に、お前の講演もあることを知って
私は聞きに出かけて行った
お前は、そこで、いつもの通りに学者らしい素朴さでズカズカと出て来て、確信ある者の落着きと、シュン烈さで
「平和と文化」について話した
戦争というものは、資本主義的商品生産の必然の結果として起きるもので
人々が平和を真に望むならば
資本主義と闘って、これを打ち倒す以外にない
そして、資本主義と闘ってこれを打ち倒すための拠点になるものは労働組合だ
それも急進的な左翼的組合でなければならん
――そういう議論をお前は理路整然と
いろいろの論拠を並べて説いている
私には議論が正しかろうとまちがっていようと、どっちでもよかった
私はお前の、紺のダブルに包まれた端麗な姿と
良心と熱意のために心もち上気した顔ばかり眺めていた
そのうちに前夜の川岸のアパートでベソベソ泣きながらズボンを拾っ
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