ドドドドと至近弾の
音とも振動とも言えない落下
二人は階段の下の暗い所に
折りかさなってころげ落ちて
そのまま死んだようになっていた
どれ位の間、そうしていたのか
時間はピタリと停ってしまっていた
気が附くと、あの人は倒れたままで
私のからだをこんなふうに、シッカリと抱きかかえ
私の耳のうしろの、この、えりすじに
ピタリとくちびるを附けている
爆撃はまだ続き、
空にはためく爆音と高射砲の響きと
揺れ動く地上の唸りは、遠くなり又近くなる
その中で、あの人の声が
はじめて聞く、こまやかな思いをこめてささやく
[#ここから1字下げ]
「……美沙子さん、
ぼくは明日、行く、
国民のために戦う
あなたのために戦う
それは僕の望むところだ
そのために僕の身がどうなろうと僕は悔いない
僕は、うれしいんだ。
…………
しかし、美沙子さん、
今、恥かしい事を、たった一言だけ言います
今迄こんな気持になったことはありません
たった今、急に起きた気持なんだ
こんな事を聞けば
兄さんは僕を軽蔑するにちがいない
あなたも軽蔑するにちがいない
軽蔑されてもよい、言わないでは居られないのだ
美沙子さん!
僕は死にたくない」
[#ここで字下げ終わり]
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
それだけでした
二人の間に、それ以上の事は何も起きず
空襲は終り、二人は別れ
次ぎの日に、あの人は入隊した。
私は見送りにも行かなかった
ちょうど私の課の受持ちの部品の発注が
むやみと輻輳していた頃で
それを処理するために、挺身隊の中に
突撃隊というのが出来ていて私は責任者の一人だった
私が一日でも半日でも部署を離れれば
それだけ能率が落ちる
能率が落ちれば、出撃を待っている味方の戦闘機の装備が、それだけ遅れる
自分一人の理由で[#「理由で」は底本では「現由で」]部署を離れてはならない!
かわいそうな、かわいそうな、美沙子!
バカな、バカな、あわれな美沙子!
そして死んだ、あの人は
アッケないといっても、アッケない
それから二タ月とたたぬ間に
南方の基地へ運ばれて行く船が
向うの飛行機にしつこく追尾され
機銃の掃射を喰った時に
うたれて死んだ。
その公報をにぎって、山田先生がじきじきに来てくだすった
忘れもしない、その時の空襲警報発令中の
人気のない応接室の片隅で
いつもどおりの静かな顔で
しかし、どこかしら、いつもとちがった冷たく固い
眼をなすって
「美沙子さん、徹男は戦死した」
と言って、そして、長いこと何も言われない。
私の頭のどこかがブウンと鳴った
涙も出ず、悲しい気持もおきず
先生の顔をバカのように見守っていた
しばらくして、「僕の思いすごしでなければ
あなたの方は、とにかくとして、すくなくとも徹男のがわに、
あなたに対する何か細かい気持が動いているような気がした事が一二度ある。
それで、特にあなたには、この事を
僕自身でおしらせしたいと思って、今日は来ました。
差し出た、よけいな事だったら、おわびをする。
あれの戦死については、今さら
かくべつの感慨はない
かねて覚悟していた事で、むしろ本望だったろう。
ただ、戦場に立って兵士として一弾もはなたぬうちに、たおれた事は本人も無念だったろうと思う
僕らとしても、それだけが、残念だ」
先生の言葉は私にはわからなかった
私の[#「私の」は底本では「私に」]耳にはその時、徹男さんの声がきこえていた
「……美沙子さん、僕は死にたくない」
ツト寄って先生が私を抱いた
気が遠くなり、私はたおれかけたようだ
そうでなくても仕事の過労と栄養不良のために
弱りきっていた私は、立っておれなかった。
折からとどろきはじめた高射砲の音に
ジッと耳をすましながら
先生は私のからだをグッと抱きしめて
「ねえ、美沙子君、忘れまい
いつになっても忘れないようにしよう
何が徹男を殺したかを
何が、われわれから、あれを奪ったかを……」
徹男さんのような気がした
徹男さんの匂いがした
なまぐさい匂いの中で
私の乳と腹と腰が
先生の胸と腹と腰にピッタリと押しつけられて
ジットリと冷たい汗のようなものを流し
最初の男を感じていた
見も聞きもせぬ無感覚の中で
はじめて、男に全部をまかせていた
――女のからだの悲しさと恐ろしさ
開かねばならぬ時には開かないで
開いてはならぬ、開いてもしかたのない
自分で知らぬうちに開く花か
徹男さん戦死の報を受けたばかりの
あの空襲のさなかに、あさましい!
いや、いや、あさましいと思ったのはズッとあとだ
その時はただ先生の腕の中で
徹男さんに抱かれていた
ほかに言いようはない、そうだ、
先生の腕の中で、徹男さんに抱かれていた
おかしな、おかしな、おかしなこと!
さあ、それからの四月あまり、私は
気がちがったように働いた
いつ起き出して、いつ眠って、いつ食べたか
なにも感ぜず、なにも考えず
ミクロメエタアと取り組んだ
そのために、全工場の模範突撃隊員として、
なんども表彰されたが
そんな事はどうでもよかった
空襲はますます激しくなって
工場は吹き飛び、人々は死ぬ
私の血走って、すわってしまった眼の前には
いつでも徹男さんが来て坐って
「待っていろ、待っていろ」とばかり
あの人の仇を打つような気で働らいた
そうだ、ホントに私は気がちがっていた。
死も生も爆弾も血も
すべてが私を既におびやかさなかった
私は白熱しきって凍りついてしまった炎であった。
そこへ終戦が来る
終戦。――世間では終戦と言う
日本語のおかしさと、そんな日本語を使って
自分の神経をごまかしている日本人
恥じるがよい、
それは敗戦であり、降伏だ。
私どもの工場の火は消え、物音は止む。
しばらく前から工場では降伏の噂がひろまっていたから
八月十五日は、かくべつ意外な気はしなかったが
それでいて、いよいよそうなった瞬間に
思いもかけない深い影と静けさをともなって
それは私たちの上に落ちて来た
人々は抱き合って泣いていた
また、人々は茫然として空を仰いでケラケラと笑っていた
もっと深く傷ついた人たちは泣きも笑いもせず
自分の眼の前をジッと見ていた
次ぎの日から私は寝こんでしまった
いっしょに住んでいた先輩の女優はズッと以前に
はげしくなった空襲に耐えきれず
遠い田舎に疎開していて、
一人きりのガランと何もないアパートの部屋に
泥のようにコンコンと私は眠った
病気ではない、ただの疲れでもない
だけど、どんな病気よりも、どんな疲れよりも重くのしかかって来る
ものに押しつぶされ
半月ばかりして起き出してからも
私の頭はなんにも考えられなかった
しばらくすると貯金がなくなる
持ち物を次ぎ次ぎと売っては食って、
今はもう着ている物以外に何一つ残らぬ
食う物がなくなれば水だけで三日位は動かずにいる
それでも、どうしようと言う気は起きない
国の母には既に金はなく
しばらく前から私の方から暮しの金を送ってやっていた
今は病気で寝ていると言う
これを考えても、どうにかしなければならぬとも思わない
部屋代を払わないので、アパートからは矢のように追い立てを食っている。
それでも私の日々はウツラウツラと
ただ白い紙のように過ぎた。
だから、戦争が終って三月たった秋の末に
私が山田先生の内を訪ねて行ったのにも
かくべつの目的が有るわけではなかった
ヌケガラのようになった自分のからだを
なんとなく、そこへ運んで行って見たと言うだけ。
山田家の空気は以前とチットも変らない
「ずいぶん痩せたわねえ。でも、まあお元気でよかった」と
出て来た奥さんも子供さんも
前と同じに明るく人なつこい
先生の書斉に通されると、先生は笑って振り向いて
「美沙子君か、どうしていた?
なんだか顔色が悪いが、どうかしたの?」
「はあ、いいえ別に――」と私が答えると
先生は深くも問いかけず
そこに前から来ていた四五人の客の話の中へ戻られた
ソッと坐って見まわすと書斉も以前と同じだし
来客たちの様子も以前の研究会に似ている
ただそこには徹男さんが居なくなっただけだ
妙な気がした、私は何か夢を見ていたのだろうか?
気が遠くなるような気持で私は
先生と来客たちの話に耳をなぶらせていた
そのうちに、私にだんだんわかって来たことは
すべてが以前と全く同じでありながら
すっかり変ってしまったと言うことだ。
はじめそれがわからなかった、わかる筈がない
先生と来客たちが盛んに論じているのが
地区委員会の組織というような事らしい
山田先生の話しかたが一番ハッキリとして元気がよい
客の中の一人の四十過ぎの、あまり口は出さないで
ただニコニコとしているのは
刑務所から出て来たばかりの人らしい
「しかし、地区の組織を確立する前に
党員としての資格の線をどのへんに引くかという問題だなあ
それが決定しない限り、戦争中の個々人の戦争協力という点で
非常にデリケイトな問題が出て来ますよ
本部ではそのへんをどんなふうに考えているんですかね?」
三十過ぎの頬骨のとがった人が言うと
山田先生が、あの美しい微笑を浮べながら
「そりゃ、まったく、そうだ
たいがいの人が戦争中それぞれの形で
最低の抵抗線をどこに引いて、
どんな方法でそれを守るかという事では
みんな苦しんで来ているんだからね。
さしあたり僕なんぞも厳密にいえば
戦争協力の責任をまぬがれない。
しかし又それだけに、考えようによっては
そのような責任を強く感じている人こそ
今後の自分の活動に対して、他よりもより忠実になり得るだろうし、
その反対の人もいるだろう」と言っている
ハッとした私は!
死んだ兄を思い出した、死んだ兄の言っていた事を思い出した。
全部いっぺんにわかって来た
この人たちは左翼の人たちだ
すると先生は? 山田先生は?
いや、先生はもともと左翼だったのだ
え? すると? しかし――?
だから戦争中は右翼に行って――?
それが、しかし、左翼なのだから――?
けど、今度はこうして左翼になって――?
でも、あんなに真剣な大東亜共栄圏論者だったのだから――?
だから「僕なんぞも厳密に言えば戦争協力の責任をまぬがれない」と言っているじゃないか
しかし、それを、どうしてこんな人たちの前でわざわざ言っているのだろう?
そして又、その言い方が率直で誠実であればあるほど
なぜこんなに卑屈な、オベッカじみた、弁解のように響くのだろう?
責任はまぬがれないとの言葉が良心的であればあるほど
もう既に許されて、責任をまぬがれている者が言っているように聞えるのか?
次第に私のからだの中で渦のようなものがめぐりはじめて
静かに静かに目まいが襲って来て
自分がどこに居るか、わからなくなった
バラバラバラと私のうちで飛び散って
こわれ、流れ、ぬけ落ちて行くものがある
とどめを刺されて、
キャフン! と息の絶えたものがある
それを見ていた
私はそれを見ていた
ヒョイと気がついて我れに返ると
向うの部屋で奥さんと子供さんの三人が
声をそろえて歌うインタアナショナルが
幼なく、ういういしく、明るく流れて来た
それがインタアナショナルである事を私は知っていた
小さい時に兄から習って、おぼえている。
こちらの客たちと先生は話をやめて
ほほえみながらその歌声に耳を貸していた。
私は目まいをこらえながら、だまって先生たちにお辞儀をして玄関に出て
ヨレヨレの運動ぐつをはいて外に出た
歌声はまだ私を追いかけて来た
歩きながら私はなんにも考えていたのではない
また、何かを感じていたのでもない
遠い、遠い所を歩いているような
寂しいような、スーッと、おだやかなような
どこにも何のサワリもないような気持がした。
私の前を横切ろうとした犬が一匹
私の顔を見上げて、
けげんそうな、おびえたような顔をして
コソコソと小走りに向うへ行った
川のふちに出た。
電車のことは思い出しもしなかった
思い出しても、それには乗らなかったろう
電車賃がなかっただけではない
たとえ有っても、乗らなかっただろう
川のふちの小道を
水の流れの
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