そのくせ、どこか心の隅ではイソイソとしながら出かけて行っては
山田先生の話や
右翼の革新団体からやって来た講師などの
噛みつくような議論に聞き入りながら、
徹男さんと眼が逢うと
両方で怒ったように、しばらくジッと見合っていて
やがて話し手の方を向いてしまう。

まったくイキモノはホントに愛し合うと
お互いに、なんとオカシな事をし合うのでしょう!
相手を抱こうとして、一番遠くへはね飛んだり、
相手にキスをしようとして、相手を喰い殺してしまったり、
これが證拠に、恋の最中の男と女の姿は
互いに憎み合って闘っている姿に一番似るのです
こうします、こんなふうにします(しかた)
又、こうやって、こうして、こうなって(しかた)
又、こんな眼で見たり、こんな眼で見たり(しかた)
ふふ!
そして、あの人と私は(しかた)
こんな眼つきをして互いに見合ったのです
……(暗い眼でこちらをジッと見ている)

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(間……)
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さて!(ズッと椅子にかけて語っていたが、この時、フッと眼がさめたように椅子を立つ。コトリと音がして、肱で押された羽根扇が卓から床に落ちる)
  ……(それに気附き、ユックリした動作で下を向き、白い頭と左腕をしなやかに伸ばして扇を拾いあげる……白鳥が何かをついばんでいる)
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(ユックリと身を立てたかと思うと、声は立てずに笑って、調子がクラリと変って、軽快に)
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ごたいくつ、こんな話?
長々と語られる他人の身の上話です
ごたいくつに違いありません
なんなら、このへんで、思いきったオシバイをして見ましょうか?
それには、そうです(片方の乳当てをパラリとはずして、その中に入れてあった小ビンを取り出して光りにすかして見る)こんな物も持っていないわけではございません(小ビンをカチリと卓上に置く)
白いのもございます
こういうものも有りますの(ベルトにはさんで持っていた六寸ぐらいの刃物を取り出し、右手に持って、乳当てを取った左の乳房に向って擬する真似をしてから、それをカラリと卓上に置く)
ほほ! ごめんあそばせ、じょうだんですの
さて急ぎます
音楽を、どうぞ! アレグロ・ヴィヴァーチェ!

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(音楽。――それに乗って、ステージのはじまで踊って行く。柱の所まで行って、不意にバッタリと踊りをやめて、言葉を出す。音楽だけ、やり過ごされて、前へ鳴り進む)
[#ここで字下げ終わり]

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そして、真珠湾が来た! 大戦が始まった!
国中わき立った!
今、あの時のことを振りかえって日本人の誰もかれもが
くやんでも、くやみたりない悔恨と否定と、
国民に知らせずにそれをした軍部への怨みを言う
たしかに、それはそうだろう
しかし事実そのものを振りかえって見よう
今こうなった気持から事実までをも曲げて
自分で自分にウソをつくほど。恥知らずにはなるまい。

そうだったのだ!
大きな恐ろしい決定の前で
国民の大部分が「ヤルゾ」と思った
こうなったら、しかたがない
負けるわけには行かないと思った
これに負けたら日本は亡びる
亡びたくなければ勝つ以外にないと思った
誰にしろ、心から、残りなく喜こび勇んで
開戦万歳を叫んだ人は居なかったが
それぞれの心々に憂い恐れためらいながら
しかしそれらすべてを引っくるめて投げ捨てて
前へ踏み出すほかに途はないと思った
悲しい、いじらしいそのような思いが
そっくりそのままで、気ちがいじみた戦争屋たちの
作り上げたワナにはまる事とは知らないで
国中は、歯をかみしめて、総立ちになったのだ!
ごく僅かの人たちが「しまった」と思った
もっと少数の人たちが「いけない」と思った
だがそんな人たちは何も言わなかった
言えもしなかった、言っても聞はしなかった[#「しなかった」は底本では「しかった」]
だから居ないと同じだった。
すべての人が総立ちになって
大空に血の色を見てふるい立った。
真珠湾に突入した九人の青年が
軍神としてたたえられた
たたえたのは、私たちだった、国民だった
あの頃の新聞や雑誌を出して見なさい
電車が九段を通る時には、
すべての人が頭を下げたことを思い出して見なさい
宮城前を過ぎる時には
すべての人が頭を垂れて戦勝を祈ったことを思い出して見るがいい
私たちもそうだった
私もそうだった

[#ここから3字下げ]
――罰せよ、罰せよ、残りなく、私たちを。
だけど事実はそうだったのだ
いくら罰されても事実を事実と言うだけの
勇気だけはなくならないように!
[#ここで字下げ終わり]

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真珠湾の報道が発表されると
山田先生は研究会一同をひきつれ
右翼革新団体のD塾主催の
二重橋前の早朝戦勝祈祷式に参加した
徹男さんも参加した
まだ朝露にぬれた砂利の上に
全員ハチマキをし、素足で立って
ミソギの行《ぎょう》に声を合わせてイヤサカを叫び、
最後に、地に伏し、土を抱いて、泣いた
あの時、山田先生の頬に
拭いても拭ききれぬほど流れた涙が
ウソの涙であったろうか?
それは知らない、しかし私の頬に流れた涙と
徹男さんの頬に流れた涙とが
ウソの涙でなかった事は私が知っている。
私たちの劇団でも、日の丸の旗をそろい持って、
宮城前に集って、これからはただ一筋に
戦いに勝つために、軍や国民への慰問と激励のシバイだけに
命がけになることを誓った。
山田先生は間もなく軍報道部の嘱託で
南方占領地の文化工作の任務を与えられ
勇躍して出て行き、そこから半年後に戻って来ると
軍や情報局の依頼を受けて
国内各地の講演、指導、宣伝などに活動した
もうその頃になると
大東亜共栄圏論者としての
ひところの控え目な消極的な態度は全くなくなって
堂々と積極的で確信的で
論文を書いても講演をしても私たちに教えるにも
熱烈で叱咤するようであった
そのくせに、いろいろの方面から、赤ではないかと睨まれていて、
いやがらせや妨害を受けた
それさえも私たちには先生の思想が正しいことの證拠のように思われて
仰ぎ見るように先生を眺めた
長身の先生のからだは、ハガネのように真すぐに立ち
顔は以前よりも痩せて鋭どくなって
内からの火で輝いた
「腐れ果てた役人どもめ!
気がつかないのか、今となっては最右翼の考えでさえも
真に国を愛し憂える真剣なものならば
言い方はいろいろに違っても、実質に於て
上御一人を中心にした、それに直属する一国社会主義でなければならぬという所まで
来ているという事を!」
と怒りをこめて言い言いされた

私にとっては先生は文字通り
導きの光であった
私の兄は大戦が始まると間もなく九州で死んだ
母は薄暗い家に一人で残された
あわただしい時代の波風は
私が兄の死に逢いに行くことも許さなかった、
シミジミとその悲しみを味わっている暇もなかった、
私の胸の中の兄の席は空虚になったが、
それだけに、そのぶんまでも先生に向けて
私は先生を崇拝し愛した、
世の中も男も知らぬ、一本気の
熱情だけは人一倍に激しい十九歳の女が
心から人を尊敬するのに
その人を愛さないでいられようか?
尊敬と愛とを別々に切り離して
それぞれハッキリ見きわめることが出来ようか?
研究会の会員や劇団の人たちが
私のことを「山田先生の親衛隊」とからかっても
私はまじめに心の中で
山田先生にマサカの事がある時は
身をタテにして先生を守る気になっていた
その事で一度、先生の奥さんが私に嫉妬されたことがある
そして徹男さんまでが、兄さんを嫉妬した事があったと言うのを後で知った
かわいそうな、かわいそうな徹男さん。

徹男さんは既に数カ月後には
学徒出陣として戦線に立つことが決まった
その後も、徹男さんと私との関係は
一分一厘も進みはしなかった。
それに、もう、戦況が進むにつれて
国内のありさまは車輪のようにあわただしく
私の劇団の活動もやれなくなって来ていたし、
「もう、こうなったら、君たちは
文化活動などやっているべきでない」との先生の意見に従って、
産業報国会へ話をしてもらい
Mにある飛行機工場の計器部へ
特別女子挺身隊員として通勤するようになり、
一週二回、研究会で顔を合せるだけで
そのたびに徹男さんの私を見つめる眼つきは
益々突き刺すようになるだけで、
それが私には、こわいような、憎らしいような
そして、どこかで幸せなような気持がしながらも
ただビシビシと日が過ぎた。
ああ、なんと言う日が過ぎたことだろう、なんと言う!

間もなく、空襲がはじまった!
爆音とサクレツと火と死!
人々は明日の事を考えることができなくなり
命も暮しも今の二十四時間だけのことになり、
やがてそれは一時間だけのことになって、
人は次ぎの一時間のことを考える必要がなくなった

私のM工場は、開戦後に新設されたもので
ほとんど完全にカモフラージュされた工場なのに、
どんな方法でわかるのか
まるでねらいうちをされるように
頻々として爆弾を落されて
吹き飛び、たたきつぶれ、燃えあがり
そのたびに工員や挺身隊の者が
五人、十人、三十人とケガをしたり、死んで行く
それでも工場は閉鎖されない
歯を食いしばって私たちは
昨日死んだ仲間の肉片のこびりついた
工具のハンドルにしがみ附いた。
私の通う計器部は
その工場の広い敷地の隅に
こじんまりと独立して建てられた小さい建物で
各種計器の金属部品を
種目ごとに精密検査して包装する仕事が当てられており
私は成績優秀として検査部の組長格の席が与えられ
拡大鏡の下でミクロメエタアつきのゲージに
部品を当てがっては最後の合格不合格をきめて行く役目だった
拡大鏡をのぞいている眼が
過労のために時々かすむ
すると額の眼の上の所が
ギリギリギリと痛んで、吐きたくなる
すると、兵士たちの事を思う
母のことを思う、兄の事を思う
山田先生の言葉が耳の中で鳴る
「われわれが、東洋を確保し、世界を平和に導くためには、今となってはもう、前へ前へと戦い抜く以外に途はない!」
そうだ、途はない!
私の眼は充血したまま、ハッキリする
レンズの中のゲージの鉄がギラリと光る!
夢中で私の手は部品を取り上げる
又取り上げる! 又取り上げる!
ダダダ、ダダ、グヮーンと音がして
ミクロメエタアの目もりがグラリと揺れて
次ぎの瞬間には私ごと、グンと跳ね上り、
近くで爆弾が落ちた事を知った時には、
窓のガラスは全部吹きとび
近くで負傷者が呻いていた。
そういう毎日の中で
私たちは日附けを忘れた

その頃の、ちょうど午の休けい時間に
徹男さんが私を訪ねて来た
そんな事は初めての事なので
変に思って門衛の所へ行くと
あの人はいつもの学生服で
珍らしく明るい微笑で立っていた
二人は構内を塀に添ってユックリと歩く
「何か御用?」と私は言ったが
徹男さんが用事で来たのだとは思っていない
あの人も何も答えず
晴れた空の下をユックリと歩く
そのうち、あの人がポケットから
小さい写真を出して見せた
G劇団の人からでも手に入れたのか
舞台写真から私の姿だけを切り抜いたものだ
「……どうなさるの、そんなもの?」
と私がいうと、フンと言ってそれと私の顔を見くらべてから
写真をポケットにしまいこんだ
それから又しばらく歩いているうちに、不意に私はわかった
「ああ、いよいよ、入隊なさるのね?」
「うん、明日」
そうか、そうだったのか。
明るい明るい、すき通るようなあの人の顔。

そこへ、出しぬけにサイレンが鳴り渡り
警戒警報なしのいきなり空襲
アッと思った時には、空一面が爆音で鳴りはためき
キャーンと――迫る小型機の機銃の弾が砂煙をあげる
広場の果ての防空壕へ
途中で二度ばかり倒れた私を
あの人は抱えるようにしてかばいながら
斜めになって走って行き
防空壕の中に飛びこむと同時に

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