の間は、又つかまるのが怖いために
自分の主義をだんだんにくずして行った
それがいつの間にか、世界の状勢や国内の状勢を見たり
中にも同胞が戦争に駆り出されて戦い死んでいるのを
日本人の一人として見ているうちに、
それまでの左翼の理論だけでは割り切れないものをヒシヒシと感じ出して
この民族の生ける一人として自分の血は
あらゆる理論に優先すると知った
あの時から、先生はそれまでの受身の態度を投げ捨てて
大東亜共和国聯邦論者として
積極的に動き出した
恐怖は既になくなっていた
正直に腹の底から闘った
――それを私は信じます
先生はその時、ホンモノだったのです
先生が信念をもって立っている姿は美しかった
私たちは打ち仰ぎ引かれて行った
ただ先生の全体主義の思想は
左翼の理論の上に咲いた狂い花だった
木に竹をついだものだった
そして先生と私たちとの違いは
先生には、それがそうだと、わかっていた
私たちには、わかっていなかった
だから、飲みに飲んだ私たちは
若い者のドンヨクと純粋さで信じ切った私たちは。

私たちといいますのは
先ず私と徹男さんのことです
それから先生の周囲にいた、たくさんの若い人たちです
純粋な、正直な気持で国を愛し
国を愛することが世界を愛するユエンだと
それには「聖戦」を「完遂」することが
自分たちの任務だと信じこまされ、命がけで努めていた若い人たち。
静かに思い返して見ようではありませんか、
今そのことを話す時に人々は、
あの頃の若者たちが、軍閥からだまされていたと言う
しょうことなしにイヤイヤながら戦争に引っぱり出されていたのだと言う
「戦歿学生の手記」は立派な本です
読んで見て今更ながら戦争が
如何に貴とい美しい人たちを奪って行ったかと
胸がしめつけられる思いがします
ここに手記をのせられている人々はほとんど皆、
いやいやながらか、やむを得ずか、追いつめられてか
あきらめてか、疑いながらか、ヤケになってか
戦争に行った人です。
たしかに、そういう人も、たくさん居りました
しかし、そうでない人も、たくさん居たのです
国民が国家が民族が、そして世界が
それを望み必要とするならばと
思い決していさぎよく
笑いながら行った人も居たのです。
愚かの故だと、かしこい人は言うでしょう。
たしかに愚かの故ですから
罪有りと、罪なき人はとがめましょう
たしかに罪が有るのですから。
ただそんな人が、たくさん居た事は事実です
私はただ事実を曲げることが出来ないだけです
そして、私も戦争にこそ行きませんけど
そんな人間の一人でした。
徹男さんもそんな人間の一人でした
他の人たちもそうでした。
山田先生の影響の中で。
山田先生の思想を、私どもの身体で実践し生かすことで。
私どもを罰してください。

徹男さんは学生でしたが
兄さんの山田先生とちがって
沈うつな位に控え目な人がらでありながら
国の運命を深く心配していて
口には言いませんが、その頃から
国民が命ずるままに自分一身を
良かれ悪しかれ日本の運命の最前線に
投じたいと思っていたようです。
研究会に出席していても隅の方に坐って
山田先生や、ほかの人の烈しい言葉を
黙々として聞いているだけで
ふだんもそれらしい事は何一つ言いません。
いわないけれど、私にはわかりました
なぜわかったのだろう?
そうなんです!
ただ私にはそれがわかっただけで
なぜ、わかったのか、気が附かなかった。

また、どうして気附くことが出来たでしょう?
いっしょの家に住んだのは半年ばかりの間で
半年後には山田家を出て
新劇団の女優になって働いていた
その半年の間も、家事の手伝いやお子さんの世話と勉強で私は忙しい
徹男さんも学校があり、それに兄さんの紹介で親しくなった青年将校や
革新団体の若い人々との集会などにも出ていたようで、暇はない
私とあの人が顔を合わすのは毎週二回の研究会の席上か
偶然に廊下ですれちがう時ぐらいです
話といえば堅苦しい思想の事や社会の事や時世のこと
ただの雑談を交したことは数えるほどしか[#「数えるほどしか」は底本では「教えるほどしか」]ありません
それよりも、この私の若さです
若さは強く一方の方へばかり傾けば傾いて行くほど
蕾は固くきびしく引きしまり、
外に開くのを忘れたようになっていた
いえいえ、外に開きたい無意識の本能が強ければ強いほど
内へ内へと烈しく引きしまって[#「引きしまって」は底本では「打きしまって」]行く。

たった一度、こんな事がありました。
研究会であの人が珍らしく物を言いはじめ
それが先生の意見と対立して
激しい論争になったことがあります
「僕は兄さんを尊敬しています
僕は兄さんから育てられた人間です
しかし兄さんは口舌の徒です
僕は理論を真実と思ったら実行する人間です
兄さんの理論は正しいと思います
だから僕はそれを実行します
兄さんはなぜ実行しないのですか?
兄さんの理論と兄さんの人間が別々になっているからではありませんか?
そして、僕の理論は文字づらからいえば
兄さんから授かったもので、兄さんの理論と同じものですけど
しかし、僕の一身を賭しての実践の基準になるものです
ですから、ホントはそれは全く別なものです」
そのほかいろいろ言って、山田先生も怒り出して
激しい議論がつづきました
その終りごろ、奥さんから命じられていた用を思い出して、私がチョット中坐して
大急ぎで用をすまして、又先生の書斉に戻りかけると、
議論は終ったと見えて徹男さんが
自分の室に戻りかけたのに
私あんまり急いでいたために
廊下の曲り角で、はち合せに身体ごとぶつかった
徹男さんの肩口にこちらの額がドシンと当ったが
先程の議論の続きが頭の中で煮え返っているために
もっとセツない、激しい、深い、気持から、
失礼とも言えず、徹男さんの顔をジッと見上げた
あの人も、昂奮のために、ふだんから青白い顔を真青にして燃えるような眼で
私を睨みつけたまま立っている
そのうちに、不意にチラリとあの人の眼に
それまで、あの人の眼にも、ほかの人の眼にも
ついぞ私の見たことのない不思議な
おそろしいような、それでいて、やさしい、やさしい色が差して
涙がうっすりとにじんで来て
「美沙子さん、僕は――」と低い声で言いかけ
しかし、それだけを言っただけで
あと、しばらく、その眼で私を見ていてから、
私のわきをすり抜けて、向うへ行ってしまった。

今までの私には、まるでナジミのないものが
私の中にグイと押し込んで来た
そして、それっきりでした
私が山田家に居る間に
徹男さんとの間に何かが起きたのは、それ一度きり。
間もなく私はほかへ出てしまい、
後は、たまに山田先生を訪ねて行った時に
あの人に会うだけでした

その前から私は夜の学校の勉強のかたわら
山田先生のお弟子さんの一人が
Gという新劇団の指導者であった関係で
そこのシバイを見ているうちに
シバイが好きになり、それをやりたくなると共に、
あるいは自分の才能を生かすためにも
自分の考えを実現して人のためになる仕事をして行くにも
良い芝居をするのが一番ではないかと思うようになり
先生にも相談すると賛成してくださる
田舎の兄に言ってやると、これも激励してくれるし、
その劇団の人たちもよろこび迎えてくれますので
そこへ入って勉強をはじめました
そのため山田家を出て
劇団の先輩の女優のかたの部屋に住むことになったのです
もうその頃は戦時状態はますます焼けひろがって
もうどうしても東洋だけの問題としては片づかない事がハッキリして来た頃です
軍部や政府の手で
文化方面のすべての事から自由がうばわれ
演劇の世界でも、それまで有った
左翼的な新劇団などが
おさえつけられたり解散さされたりした後で、
私の入ったG新劇団も、本式の公演をやめてしまって
工場や農村や軍の施設への慰問のための
移動公演などを主としていました
後で私にわかった事は
劇団の中には、かつての左翼くずれの人たちも、たくさん居て、
未だにそれらしい事を言ったりしたりしていながら
戦力増強のシバイも真剣に腹からやっています
その関係が私にはよくのみこめませんでしたけれど、
とにかく指導者の人は山田先生のお弟子さんであり
ケイコのはじめには宮城をよう拝し
公演開幕の前には「国民の誓い」を唱和する式で
それも腹からまじめにやっている人が多いのです
私はそれを信じ
よろこび勇んで先頭に立って働いた
それに劇団の中だけには自由で進歩的な空気があった
そして何よりもそこには
まだ芸術らしいものが有ったのです。
戦力増強のためと言うことと
自由と進歩的であるとことと[#「あるとことと」はママ]芸術と言うものとが
どんなふうに組み合わされているか
ぜんたい、組み合わせる事の出来るものかどうか
考えて見ようとする人も居なければ
考えている暇もありません
山田先生から吹き込まれた理窟を
実際に実践するのは此処だとばかり
夢中になってシバイをしたのです

シバイというのは妙なものです
役者というのはおかしなものです
というよりも、この人間のカラダというのが
もともと、おかしな、変なものかも知れません
シバイはからだでするものです
はじめは頭がそう思ってカラダを持って行くのですけど
いったんカラダが動き出すと
カラダの法則と言うものが有るかしら?
カラダは一人で動き出す
頭のいうことを聞かなくなる時がある
逆に頭を引きずって行ってしまう時がある
だからカラダは楽しく、恐ろしく、やめられない
だからシバイは楽しく、恐ろしく、やめられない
役者はみんな少しずつ[#「少しずつ」は底本では「少しづつ」]、バカです、バカでなければやれません
私もバカです、バカでした
それまでにたくわえられた若い命の
ありたけの力を一度にドッとたぎり立たせてシバイをしたのです
幸か不幸かその劇団では女優が不足していて
間もなく私に大きな役が附くようになり、
僅かの間にひとかどの女優として認められた
わきめもふらぬ一本気の熱演が
人の目をくらまして、そう思わせただけでしょう
ただ、やっと私の蕾は舞台の上で開きました。
シバイではじめて私のカラダと心に火がついて燃え出した
蕾が開く姿が美しいものならば
私は美しかったのかもしれません
心とカラダの燃えるのが幸福だというのならば
私は幸福だったのです

兄にもそれを言ってやりました
兄は喜こんで寝床の上で泣いたそうです
その頃、兄の容態は絶望状態になっていて
私にあてて出すハガキを書くのがヤットだったが
私に知らせると心配すると兄が言ってとめるので
母は私にかくしていたのです
かわいそうに! 兄は
昔、新劇の大部分が赤一色に塗りつぶされていた頃
新劇をいくつか見たことがあって
未だに新劇団というものが、そういうものだと思っていたのです、
まさか兄にしても、こんな、状勢になって来たのに
新劇が赤いシバイをすることが許されていようとは思ってなかったでしょうけれど、
まさか戦力増強のシバイをしていようとは
夢にも思っていなかった
それに、山田先生の影響力の下にある劇団です
まちがったシバイをする筈がない
そう思ったようです、泣いたそうです喜こんで
妹の私のために死にかけた寝床の上で
なんと言うミジメな食いちがい!
それを私は、その時は知りませんでした
私は花開き、燃えあがり、幸福だったのです
シバイのたびに徹男さんは見に来てくれます
見に来ても、ただ見るだけで
ガクヤに一度も来ようとはせず
言葉もかけず、ただ遠くから私を見て
軽く頭を下げただけで帰るのです
あの人が私のシバイを見に来るのが、なんのためだか
私にはわかりませんけれど、わかるような気もします
それでも、つまりがわからない
わからないなりに、うれしいのです
自分でも知らぬ間に、私は時々
徹男さん一人のためにシバイをした事に後で気づいて
ガクヤの鏡の中で真っ赤になったことがある
そうしては、山田先生の所の研究会の日が来ると
かえって、コツコツにまじめにこわばった心で
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