Aそん時も敦子さまに襟首をつかまれるようにして、金吾は春子さまの後を追っかけて東京へ行ったんでやす。しかしその時にはもう、春子さまが何処に連れて行かれただか、いくら探しても見つからなかった。金吾はがっかりして、痩せ衰えて東京から戻ってきた……いや、その後も、三年に一度、また二年に一度といったふうに、春子さまは落窪の方へヒョックリ現われちゃ、また東京へ舞い戻る、ということを繰り返してござらしたが、その間、あの方も東京で、いろんな目に会っていたようで、時によると、ホントの乞食のように落ちぶれて、病気になったりしてやって来たり、かと思うと、とんだ成金の奥さんみてえに着飾って、ニコニコしてやって見えたり、また時によると、妙な三百代言みてえなご亭主とも旦那ともつかねえ男と一緒にやって来たり。つい、向うの境涯の潮先と金吾の方の潮先とが出会うということがねえだなあ。そうしちゃ春子さまはまた東京へ戻って、何やら勝手な暮しをなすってるようだし、そうやって十年の余も過ぎてしまって、世の中は大正から昭和に入りやしてね。すると、金吾の方でも、もう四十をとうに過ぎて、春子さまのことを考えても、カッとなることも、ダンダンとなくなる。それだけに、気持の底には深く深くあの人のことを思いながら、まあ嵐が過ぎて、海が凪いだような状態といいやしょうか、それはそれでわりに落ちついた十何年でやした。いやあ、金吾にとっちゃ、そうは言っても、雨が降っても風が吹いても思うのは春子さまのことで、年中、辛いことだったでやしょうが、しかし金吾という男は、胸の中がどんなに苦しくても、そのために身をもち崩したりするような奴じゃなかった。いや、胸の中が苦しけりゃ苦しい程、百姓仕事に打ち込んで働らくことで、その苦しさをこらえようとしていたとも言えやす。だもんだから、金吾の家の農事はグングンとうまくいきやしてね、田地も山林が二町歩、畑や田圃を合せて二町歩の上にもなりやして、ことに高原地の水田にかけちゃ、ここらきってのいい百姓になりやして、県や郡から賞状をもらったり、しまいには国から勲章も二つばかりもらいやした。それやこれや、金吾の家にも嬉しいことの一つや二つはその間もありやしてね……これはその一つで、現在の金吾のあの家が建ちあがった年のことを、俺あはっきり覚えていやす。あれはなんでも昭和に入ってしばらくした出来秋のことだ。そうだ
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