たが
ついにウヤムヤになってしまって
それ以来、隣りの内と当山の先代から今に至るまで
この問題は持ち越されて来ているんだよ
(……それなら、だけどお父さん
お願いですから、お隣りの内で言う通りにしてて下さい
現にお父さんだって、たかが十坪ぐらいの土地は惜しくないと言ってるじゃないの
お願いですから、きれいに土地をさしあげてお隣りと仲良くして下さい……)
と私は言いたかったのだけれど
しんけんに喋り立てている父の顔を見ていると
とてもそうは言えません
父としては古い古いゆいしょのあるこの寺の土地を
たとえ一坪でも半坪でも
自分の代になってから減らしたくない
今となっては死んでもゆずりはしないという目の色です
その父がだんだん私には気の毒に見えて来る
ガンコなようでも、ほかのことではとっても人が好くて
お母さんが亡くなってからは私のために奥さんももらわず
まだ五十六だのに歯が抜けてしまって、ひどいお爺さんみたいになって
私という病気の娘と二人っきりよ
かわいそうな、かわいそうなお父さん!
私にはなんにも言えないの
それで黙って涙を流れるままにしていたら
それを見て父は喋るのをパタリとやめてしまいました
……竹藪を冬の夜風の渡るのがサラサラと
かすかに、かすかにして来ます
父の目にも涙がにじんでいるようです
やがて、しゃがれた低い声で
「風が出て来たようだな
光子、足が寒くはないかえ?」
とポツンと言いました
返事をすると泣き声が出そうなので
私が黙ってかぶりを振ると
父も黙って毛布をかけてくれました
その次ぎの日の明けがたです
私は三時ごろに一度目がさめて
まだ早いのでウトウトしているうちに
またもう一度グッスリと眠りこんだらしくて
その物音が耳に入っても
はじめはビックリもなにもしませんでした
遠くでパリパリパリッとはぜる音につづいて
誰かがキャァと叫んでから
なんとかだぁっ! と男の声でどなる声
それから表の街道の方から
多勢の人が駈けて来る気配がする
どうしたんだろうと思って、あたりを見ると
いつも隣りに寝る花婆やの姿が見えないのです
変だと思って
いつもフスマを開けた次の部屋に寝る父の寝床の方を見ると
これも大急ぎで起きたと見えて
フトンは蹴りのけてあって、父はいない
どうしたのだろう?
何がはじまったか?
私の頭には、昨夜のことがあったせいか
いきなり父と隣の小父さんが喧嘩をしてる
そのありさまがパッパッと電気のように現われて
垣根のところで父は鎌を小父さんは鍬をふりかぶり
両方とも顔から首から血だらけにケガをして
ケモノのようにたたかっている!
いけない! いけない! いけないと
起きあがろうとしてもギブスをはめた身は
どうしても起きあがれない
お父さん! 花婆やっ! お父さんっ!
誰か来てっ!
もがき苦しんでいる間も
表の騒ぎはやみません
どこかでしきりと井戸水をくみあげる音もする!
わーっ、そっちだ! あぶないっ!
ウォーッ! と男の人たちの声々!
バリバリバリッと何かのこわれる音!
ああ、どうしよう?
お父さんが殺される!
早く来てっ! 誰でもいいから早く来てっ!
畳に爪を立てるようにもがく!
そこへ出しぬけに窓の雨戸をガタン・ゴトン・ガラリと押しのけ
障子をサッと開けながら
「光ちゃん、光ちゃん、どうした?
おれだよ、昇だ、大丈夫だよ!」
昇さんは目をギラギラと昂奮した顔をして
頭から肩からグッショリと水に濡れてる!
しかし直ぐハッハと笑って見せて
「光ちゃん、心配しなくてもいいよ
一時はどうなるかと思ったけど
もう大丈夫だ、ハハ
おれ、光ちゃんのこと思い出してさ
どうしてるかと思ったもんで駆けて来た
やっぱり小父さんも婆やさんも光ちゃんのこと
置いてきぼりで行ったんだな、ハハ
しかしもう大丈夫だ
安心したまい、光ちゃんよ!」
「ああ、昇さん、いったいどうしたの?
またうちの父とお宅の小父さんが喧嘩したんでしょ?」
「え? 喧嘩?
ハッハハ馬鹿な! 喧嘩なんかじゃないよ!」
「ですから、あたしには何のことやらサッパリわからないんじゃないのよ?
さっきからの騒ぎ
表のオコシヤさんの角の辺に聞えたけど
一体全体どうしたの?」
「あ、そうか、そうだな、光ちゃんにはわからないのが当然だ
そうなんだよ、オコシヤで火事を出したんだよ
オコシヤの裏の工場でアラレを作るんで
あんまり火を燃しすぎたと見えてね
釜場の裏のハメ板が加熱しちゃって
不思議じゃないか、そっちの方は燃えないで
そら、僕んちの物置がすぐあの裏に立ってるだろ
あの物置の草屋根の下から燃えあがったんだ
その火を一番最初に見つけたのが誰だと思う?
こっちの花婆ちゃんさ
ハッハ、耳は遠いが目は早いんだね
暗いうちに、はばかりにでも起き出したか
お宅の本堂のわきから表を見ると僕んちにカーッと火がついてるんで
「火事だあっ!」と呶鳴って
いきなりハダシで飛び下りて僕んちの背戸へ来て火事だ火事だっ!
叩きおこしてくれたんだよ
父も母もびっくりして飛び出して見ると
物置の草屋根がパチパチと音を立てて燃えている
夢中になって裏の井戸から水を運んで
さあ、ぶっかけた、ぶっかけた!
オコシヤさんからもみんな出て来て井戸からバケツのリレーなんだ
花婆さんもみんなを呶鳴りつけながら水をくむ
なんとうまく行ったものか
たちまち火は消しとめたんだ
そのころになって、やっと誰かが電話してくれたと見えて
町の消防車が駆けつけてくれたけど
もう用がなくて、やれやれさ!
ところがね光ちゃんよ、おどろくなよ
そうやって火を消しちゃって
まだブスブスとくすぶっている背戸のところで
みんながやっとホッとして息を入れながら
お互いに顔を見合わせてみたら
バケツ・リレーの先頭に立っていたのが、お宅の小父さん
光ちゃん、君のお父さんだったんだ!
花婆ちゃんもリレーの中にいるし
二人とも寝巻のままで水と汗とで
グッショリ濡れて変なかっこうさ!
僕んちの火事に
君んちの小父さんがその姿で
死にものぐるいで火を消していたんだよ!
内の父も母もそれを見ると
急にお礼の言葉も出て来ない
目を白黒させてモグモグ、モグモグ
そうすると君んちの小父さんもバツが悪くなったのか
モジモジと真っ赤な顔をして
目ばかりグリグリさせているんだ!
そのコッケイなありさまと言ったら!
内の父と君んちの小父さんが仲の悪いのを知っている
オコシヤの小父さんも
火事の煙でまっくろにすすけた変な顔をして
ジロジロと両方を見くらべているんだ
ねえ光ちゃん、人生は輝きだよ!
これが人間のホントの姿さ
どんなにふだん喧嘩をしているようでも
ホントのイザとなると助け合うのだ
君んとこの小父さんは、やっぱり偉い坊さんだよ
僕んちの父だって今までのことを恥じたに違いない
これからは、きっと、君んとこの一大事には
理屈ぬきで駆けつけるだろう
みんなみんな良い人間なんだよ
これをキッカケにして君んとこの小父さんと
僕の父とはスッカリ仲良くなるにきまってる!
太鼓判をおすよ僕が!
よかったね光ちゃんよ!
手を出せよ、握手をしよう
ね、人生に栄光あれだよ!」
そう言って昇さんは私の手をにぎって振ってくれるのです
うれしくてうれしくて私は胸がドキドキして
なんにも言えず昇さんの手を握ったら
それがビッショリ濡れている
私は急に昇さんの顔が見えなくなりました
9
だけど私たち人間の喜びは
なんとはかないものでしょう!
昇さんの言った人生の栄光は
ホンのつかの間の幻よ
人間はそうかんたんには救われない!
それから二三日たった朝
父の朝のおつとめの木魚が鳴り出しても
隣からコエダメの臭いがして来ないので
私はホッとしていたら
やがて臭いが流れて来た
すると木魚の音が乱れはじめて
コエの臭いは鼻がもげそうになって
しまいに本堂の方でガタンと言って
木魚の音がやんだかと思うと
お父さんがドシドシと足音をさせて外に出て行った
カンカンに怒ったお父さんがその足で
垣根の所に行って、いきなり首を突き出して
隣りの小父さんの方を睨みつけたと言うのです
――後で昇さんから聞きました
すると隣りの小父さんも気がついて
その日は鍬こそ振りかぶらないけれど
内の父の睨む目つきがあまりに憎々しいので
小父さんの方でも次第に喰いつきそうな目でにらむ
そのまま二三十分も両方で突っ立っていた末に
昇さんのお母さんがこちらに向っておじぎをしてから、小父さんの袖を引いて家に連れ込んで行ったので
やがてお父さんも本堂にもどって来たと言うのです
それ以来、またまた以前と同じように
三日にあげず睨み合いの喧嘩です
ああ、ああ、なんと言うことでしょう
火事騒ぎであれだけ我を忘れて
力を合わせることができたのに
もとのもくあみとは、なさけない!
お父さんにしてからが
そうやって喧嘩をしているのがホントのお父さんか
隣りの火事を消しに駆けつけたのがホントのお父さんか?
「どちらもホントなんだよ、光ちゃん
いいや、僕としては火事を消しに来てくれたのが
お宅の小父さんのホントの姿だと思いたいのさ
しかしね、垣根から内の父と睨み合ってる小父さんの真青な顔を見ていると
冗談でできる顔ではないからね
それもウソだとは思えない
つまり、どちらもホントなんだよ
内の父にしたって同じだ
火事のことでは君んちの小父さんに感謝してるんだ
そして、やっぱり良い人だと言ったようなことを言ってたんだ
それがあの調子で君んちの小父さんを睨みつけるんだもの
どっちもがウソでは無いんだよ」
昇さんはそう言うのです
「だけど、それでは私にはわからないわ」
「そうさ、僕にもわかりはしないよ
しかしそうなんだから仕方がないさ」
「オトナは、すると、みんな気が変なのじゃないかしら?」
「そうさ、そうかもしれんなあ
しかし、やっぱり父も小父さんも気ちがいじゃないしなあ」
そう言って昇さんは苦しい苦しい表情になって
「もしかすると、アメリカとソビエットが
事ごとにいがみ合ったり原爆競争をしているのも
デカイことと小さいことの違いこそあっても
これと同じようなことかも知れんなあ」と言いました。
「そうなの、そうなの!
実は先日から私もそれを考えていたのよ!
もともと両方とも良い人たちなのよ
そして何が善いことで何が悪いか
ちゃんと知っているのよ
それがお互いに相手のすることにいきり立って
カッとなってやり合うのよ!」
「しかし、それにしたって、やっぱり、わけはわからないのよ
話し合ってすべてのことをうまく片づけて
仲よくできないことはないのに
それをしないで張り合っている
やっぱりオトナは気が変だよ!」
そうして私と昇さんは互いに顔を見合ったまま
永いこと永いこと考えこんでいたのです
10[#「10」は縦中横]
それから私は考えつづけていました
しまいに頭が痛くなりました
すると三四日してから昇さんがヒョックリ現われるとイキナリ
「光ちゃん、やっぱり両方ともホントなんだ」
と言うのと同時に私が
「昇さん、私はこうしたらいいと思う」と言うと
両方がぶつかり合って
二人で笑ってしまいました!
「え? 喧嘩をしないでやって行ける法があるの?」
「いいえ、やって行ける法とは言えないかも知れないの
しかしね、私はこう思ったの
両方のどちらか
自分の方が相手よりも強くて賢いと思ったら
そう思った方が相手に負けてあげるのよ
自分よりも弱い者や[#「者や」は底本では「音や」]愚かな者と喧嘩して
勝っても自慢にはならないでしょう?
だから負けてあげるのよ」
「すると相手からぶたれてもなぐられてもかね
相手からののしられても踏みつけにされてもかね?
なるほどそうすれば喧嘩は成り立たないから、平和になるだろうが
しかし、どちらかがそうできるかね
君んちのお父さんにしても内の父にしてもさ
ソビエットにしてもアメリカにしても、でもいいや
できるかね、それが?
それができれば世話はない
それができないから、今のようになっているんだ」
「す
前へ
次へ
全4ページ中3ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
三好 十郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング