詩劇 水仙と木魚
――一少女の歌える――
三好十郎

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)業《ごう》

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   プロローグ

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私は京極光子と申します
年は十七年三カ月
学問は中学を卒業しただけで
病気のために寝たきりで
自分一人では一メートルも動けない
詩を読んだのは
宮沢賢治とホーマアのオデッセィの二冊だけです
その私が、おどろくなかれ
水仙と木魚という題で
長い長い詩を書きますから
どうぞ皆さん覚悟してくださいな
この中で私は
人類よ、思いあがって
水爆や原爆なんぞをポカポカとおっことして
地球をこなごなにしないように気をつけろ!
アメリカとソビエットよ、のぼせあがって
したくもない戦争を
しなくてはならぬようなハメに持って行かないように気をつけろ! と
オトナたちを叱ってやろうと思います

びっくりなすった?
実はそれウソですの
私がホントにここに書きつけるのは
小さな小さなことばかりで
エンの下の蟻の巣の中で
蟻がどんな声で泣き悲しんだかということや
二番目の水仙が芽を出したのは
二月の幾日の朝であったかということや
カリエスの腰がどんな日に一番痛むかということや
すべてそういう、人さまにはどうでもよいことばかりを
ゴタゴタと書きつけて
昇さんに見せようというだけです

     1

これは
小さい町の町はずれの
竹やぶの蔭のお話です
その竹藪は明るくゆれて
風が吹くとサヤサヤとささやき渡り
子供が向うから小石を投げると
カラン・カラ・カラ・カチッと
青い幹にあたって鳴りひびく

その竹やぶのこちら側に
小さいお寺があるのです
お寺には本堂のわきに庫裡があって
庫裡の裏に離れがあって
その離れの縁側の静臥椅子に
もう三年もジッと寝ているお寺の子なの
それが私

お母さんは小さい時に亡くなって
お父さんと二人きりで
他に耳の遠い婆やさんが一人
お父さんはお寺の主人だから、もちろん、お坊さんよ
ほら、今も朝早くから
お経をあげて、おつとめなさってる!
ほらね、ポクポクポク、ポクポクポク!
良い音でしょ?
あれは、トクガワ時代から
このお寺に伝った木魚だそうよ
ちかごろでは私の腰もめったに痛まないけど
時々ズキズキする朝があっても
あの木魚の音とお父さんのお経を聞いていると
痛みが少しづつ薄らいで行くのです
ポクポク、ポクポク!

     2

それはそうと、もうソロソロ八時だから
竹藪の小みちを通って
昇さんがここに来る頃です
昇さんはうちのお隣りの
花を育てる農園の一人息子です
私より二つ年上だから今十九で
私とは小さい時からの仲良しで
昼間はお父さんの手伝いで
温室の手入れや市場への切り花の荷出しで働きながら
夜間の学校に通っている
昇さんは毎朝のようにお父さんにかくれて
温室の裏をまわって
垣根の[#「垣根の」は底本では「恒根の」]穴をソッと抜け
竹やぶの径を小走りに
私のところに来てくれます
「光ちゃんよ、お早う!」
「昇さん、お早う!」
「元気かよ? 昨日の午後の熱はどうだった? 今朝はあるの? 痛むかい?」
「今朝は平熱で、それほど痛まない。昨日の午後は七度一分で大したことないの」
「そら、よかった。はい、花だ」
「まあ、きれい! ありがとう昇さん
もう春の花が咲くのね」
「今、父さんが市場へ持って行くのを自転車に積んでるんで
そっと一本もって来たんだ
ほら、フランス語初等科講座テキスト
やっと有ったよ」
「あらあらあら、有ったのね
実は私あきらめてたの
もう講座がはじまってふた月
いくらお父さんに頼んで捜してもらっても
町中の本屋さんに無かったのよ」
「僕も方々さがしたあげく
市場の裏の小さな本屋にたった一冊
残っていたのを見つけたんだ」
「どうもありがとう昇さん
お金はあとでさしあげるから」
「金はいいんだよ
切花の仕切の金は僕がもらってるから
それは光ちゃんに僕買ってあげたんだから」
「ありがとう昇さん
ありがとう昇さん」
「そらそら、また泣くのはごめんだぜ
僕はきらいだ」
「いいえ泣かない。ただ私、うれしいのよ
笑っているでしょ?」
「ははは、そうそう、笑う方がいいんだよ人間は
しかしそれにしても、おかしいなあ
そうやって寝たっきりの光ちゃんが
しかもお寺の一人っ子の光ちゃんが
どうしてフランス語など習うんだろ?」
「だって何を習おうと人間の自由でしょ?」
「それは自由だけどさ、つもりがわからない光ちゃんの」
「つもりがわからないのは昇さんだって同じだわ
だってそうでしょ、昇さんは農園の後をついで花作りになるんでしょ?
それがどうして工業学校などに行くの」
「人間は夢を見る動物なり」
「だから人間は夢を見る動物なり
あたしだって、こいで人間の内よ」
「あっはは!」
「ほほほ!」

     3

昇さんが笑う時には眼を糸にして
鼻の穴を上へ向け、ノドの奥まで見せて
ワッハ、ハと、それは良い声をあげるのです
二人が笑っていると
ズッと聞えて来ていた本堂の木魚の音が
急に大きくなったと思うと、
ガーン・ガーンと鐘が鳴り出した
「あっ、いけねえ、小父さんが怒りだした!」
と昇さんと私は顔を見合せて、二人で耳をすませながら
鼻の穴を開いて
臭いをかいでいるのです
「ほらね、やっぱりだ」
朝のそよ風に乗って
腐ったような、えぐいような、ねばりつくような
いやないやな臭いが流れて来る
昇さんはゲッソリした顔をして
「おやじも、いいかげんにしてくれるといいけどね」
「どうして、しかし小父さんは
そんなに木魚の音が嫌いなのかしら?」
「木魚の音などに関係ないと言うんだ
花作りが一日に一度肥料の加減をしらべるのは
くらしのつとめだからと言うけどね
それは口実さ
朝っぱらからコヤシだめをあんなに掻きまわして
こんなにひどい臭いをさせなくても
肥料のかげんは調べられるさ
そうじゃないさ、おやじは
小父さんの木魚の音がすると
ムカムカとガマンができなくなるんだ
あんだけほかのことでは静かな人間が
どうしてあんなに気ちがいじみてしまうんだろ?」
「ホントにそうよ
内のお父さんだって、ほかのことでは
そんなにわからない人では無いのよ
それがお宅のこととなると
どうしてあんなに直ぐにカッとなるんでしょ?
オトナはみんな頭がおかしいんじゃないかしら?」
「そうだね、とにかく馬鹿だ、みんな」
昇さんがそう言った時に廊下に足音がして
「なにが馬鹿だね?」と言いながら
私の父がふすまを開けて入って来ました
声の調子は機嫌良さそうに作っていますが
腹を立てているのは
額口に青筋を立てているのでわかります
「今日は。小父さんお早うございます」
「お早う。いつも光子のお見舞いで、すまんね」
「お父さん、この花、いただいたのよ」
「そうかね、それはどうも――」
と言ったきり、私の膝の上のダリヤを父はギロギロと睨んでいます
「じゃ僕は市場へ行くから、これで――」
「お父さん、それから、この本も昇さんがわざわざ買って来てくだすったのよ」
昇さんはバツが悪くなってぴょこんと一つおじぎをして竹藪の方へ立ち去って行きます
「どうしたの、お父さん?」
「うむ、昇君は親切な良い青年だ」
父はそう言って、水仙の花を睨んでいるのです

     4

その昇さんは私のところを離れると
本堂の裏を墓地の方へ曲ります
するといきなり花婆やのブツブツ声が聞こえます
「そうでございますよ
みんなみんな、おしまいになるのですからね
ナムアミダブツ、ナムアミダブツ
みんなみんな、大々名から
こじきのハジに至るまで
こんりんざい、間ちがいなし!
地面を打つツチに、よしやはずれがありましても
こればっかりは、はずれようはございませんて!
百人が千人、一人のこらず
おしまいは必らず、こうなるのですからね!
生きている時こそ、なんのなにがしと
名前が有ったり金が有ったり慾が有ったりしますけれど
ごらんなさいまし!
こうなるとコケの生えた石ころやら
くさりかけた棒ぐらいですわ
ナムアミダブツ、ナムアミダブツ
ちっとばかり生きていると思って
慾をかいて、汗をかいて
くさい臭いをプンプンさせても
無駄なことではございますまいかの」
花婆やはカナつんぼのくせに
おそろしいおしゃべりで
しかもひとりごとの大家です
そこら中につつぬけに響く大声でしゃべりながら
墓地と垣根にはさまれた
細長い無縁墓地に並んだ
無縁ぼとけの墓の間を
毎朝の日課の、ほうきで掃きながら
昇さんが近くを通るのにも気もつきませんが
垣根の向うの花畑の方で
かきまわされるコヤシの
音はまるきり聞こえなくても
鼻はつんぼでないものだから
ムカムカするほど、かげるからです
花婆やは、それはそれは人の良い
念仏きちがいの婆やですけど
内の父の気持が伝染して
コヤシの臭いを憎んでいるのです
いえ、正直いちずの人の好い人間の常で
当の父よりも伝染した方の婆やの方が
憎む気持がいちずです
ははは、お婆さん今日もやってるなと
にが笑いしながら垣根の切れ目から
ソッと自分の内の農園の方に抜け出ると
お父さんは案の通り向うのコヤシだめで
怒った顔をしてかきまわしていて
ズッとこっちの垣根のそばでは
昇さんのお母さんの、おばさんが
苦労性の青い顔で
「昇や、急いでおくれ
お父さんは、もう花を自転車に積みおえなすったから
お前、ボヤボヤしていると叱られるよ
あああ、ホントに私は毎朝いまごろになると
ハラハラして頭が痛くなりますよ」
「だってお母さん
市へ出かけるのは、もうあと十分近くありますよ」
「いえ、お前のことじゃありません
あれごらん、お父さんはあの調子だし
それでお隣りの木魚の音が
やっと聞えなくなったと思うと
婆やさんが、あの声でああだろう
あれではお父さんにもつつ抜けだよ
少し遠慮してくれるといいけどねえ」
「でもしかたが無いでしょう
お婆さんはなんと言ったって
オシャベリはよさないし
それに臭いは
お婆さんの言う通りですからね」
「そらそら、またお前までがそんなことを言う、それはね、どんなに臭くても
花造りのコヤシいじりは内の家業ですからね」
「しかしタメをかきまわすのは昼すぎだってできるんだ
朝っぱらからする必要はないですよ
お父さんのは隣りの木魚が鳴り出すとたちまち始まるんだ
まるきりシッペ返しみたいだからな」
「おおい、昇! そんなところで何をぐずぐずしているんだあ?」
となりの小父さんがタメのところからどなります
「そらそら昇、急がないと!」
「花は自転車につけたぞう!
早く行かないと花が可哀そうだぞ!」
「はあーい!」と昇さんは答えてかけ出します

     5

このように内のお父さんと
隣りの小父さんの、睨み合いは
すこしずつ、すこしずつひどくなりながら
毎朝のようにくりかえされるのです
そして竹藪の梢が
新芽どきとはまたちがった黄色をおびた緑色を濃くして
ルリ色のそらにきざみ込まれたまま
ゆれるともなくゆれながら
小さい町に音もなく
一日一日と冬が過ぎて行きます

翌日の朝はその時間になっても
いくら待っても昇さんが来ない
もしかすると小父さんの代りに
農園の用事で東京へ行ったかもしれない
しかしそれならそのように
たいがい前に言ってくれるはずなのに
この日はなんにも言ってくれなかった
それでもホノボノとした静かな朝で
お父さんの朝のおつとめも始まらない
――と私は思っていたのです
なんと悲しいことでしょう
人間というものが
なんでもかでも知っているように思ったりどんなことでも考えることができると思ってる
そういう人間のゴーマンさがですの
ホントはたかが二つの目と耳としか持たず
たかがフットボールぐらいの大きさの頭を持っているきりで
見ることも聞くことも考えることも
お猿さんといくらもちがわないのにね
いいえ、人間と
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