いうものがと言うとまちがいです
この私がです!
この私が椅子に寝て、小さな町に音もなく
冬の朝のおだやかな光がみちみちて
青空にはめこんだ竹の梢を眺めている間に
お隣りとの垣根をはさんで
内のお父さんと隣りの小父さんとの
大喧嘩がはじまっていたのです!
そうです大喧嘩です
今にも斬り合いがはじまるかと思った――
昇さんが私にそう言いました
「なに、僕も夜になってから母から聞いて知ったんだ
母の話では、昨日の朝は天気は良し
まだ木魚の音もきこえないので
ノンビリした気持で
父と母は
垣根のそばの苗木の世話をしていたそうだ
垣根のこちらではお花婆さんが
無縁墓の大掃除をはじめたらしい
ホウキで木の葉をはき出したり
鎌で草の根っこを掘り出したりしながら
例のデンで高っ調子のひとりごと
それも墓石を相手に念仏からお経の文句
無縁ぼとけの故事来歴をしゃべりちらしているうちはよかったが
やがて、今に臭い臭い匂いがして来るから
がまんしにくかろうが、がまんしろの
お金をもうけるためには
あんな匂いをさせて業《ごう》を重ねなくてはならないのと
遠慮もえしゃくもない高声だから
垣根ごしに父も母にもつつぬけに聞えるんだ
母は今にも父が怒り出しはしないかと
ハラハラしながら横目で父を見ると
父はお花婆さんの口の悪いには馴れているし
腹には毒のないことも知っているが
さすがにおもしろくは無いと見えて
舌打ちをしてコエだめの方へ行って
コエをかきまわしはじめたと言うんだ
そらそらそら! ほとけさんたちよ
業の匂いがはじまりましたよ
鼻がもげぬように用心するこった!
お花婆さんが声をはりあげる
あんまりだと思って母が垣根の方をヒョイと見ると
思いがけない、君のお父さんが真青な額に青筋を立てて
垣根の方からヌッと首を出して
内の父の方を睨んでいる!
びっくりしてよく見ると
ブルブルふるえる右手に、鎌を握りしめている!
その形相が凄いんだよ!」

「いいえ、あなた、御院主さんは
あんまり天気が良いものですから
その朝はおつとめの前に御自分もお墓の掃除の加勢をしようとおっしゃっていましてね
わたしの後からお墓へおでましになって
わたしから鎌を受取って
草の根なんぞを掘り起していなすったんですよ
そこへあなた、お隣りさんが、人の鼻の先きで
あの腐った匂いをいきなりはじめたんですからね
誰にしたって腹も立ちますよ
そいで御院主さんは立ちあがって垣根から
隣りの畑を見てござらしただけですよ!」
「君のお父さんの形相があんまり凄いので
内の母は、これは今にも垣根を破り越えて来て
親父に斬りかかるのかと思ったそうだ
母はあの通り気が小さくて臆病だし
君のお父さんと内の父との不仲では
永い間、苦にやんで苦にやんで
夢の中でうなされるまでになっているのだから
トッサのうちにそう思うのも無理がないんだ
それでハッとして鍬を持ったまま
父の所へ走って行って目顔でそれを知らせると
今度は父も血相を変えて垣根の方を睨んでいたが
すぐに母から鍬を取って
君のお父さんの方へドシドシと歩いて行って
垣根の前に立ちはだかって
鍬を構えた両手をブルブルふるわせる
君のお父さんの顔は真青で
僕の父の顔は反対に真赤になって
それが鼻と鼻とを突き合わさんばかりに、なんにも言わないで
互いに相手を咒い殺すような目つきをして
睨み合って立っていた!
ちょうどそこへ僕が帰って来たんだよ
僕には何のことやらわからんし
ただ両方のケンマクだけは物凄いので
びっくりして立って見ていたんだ
そしたら、さすがにお花婆さんもドギモを抜かれて
しゃべるのを胴忘れして見ていたっけ
そのうちに先ず内の父が僕の姿を見て気はずかしくなったのか
鍬をおろして顔をそむけた
すると君のお父さんも鎌を引っこめて垣根を離れる
それで、なんのことは無い、犬の喧嘩が立ち消えになったように
なんのこともなくおしまいさ!」

     6

そうやって昇さんは
ふざけたように話すのだけれど
内の父と隣りの小父さんの睨み合いが
どんなにすさまじいものであったか
その目の色を見るとわかります
私は聞いているだけで身内がふるえて来たのです
「馬鹿なものだよオトナなんて!
たかが木魚の音とコエダメの匂いじゃないか
相手をゆるす気にさえなれば
実になんでもないことなんだ
それが、君のお父さんはこの町のお寺さんの中でも
立派なお坊さんで有名な人で
内の父だって俳句をこさえたりして
文句のつけようの無い良い人なのに
そいつが、わけもなしに憎み合う!
どう言うのだろうと僕が母に言ったら
わけは有るんだと母は言うのだ
そうは言っても、くわしいことは母も知らない
母が父の所にお嫁になって来るズットズット以前のことなんだ
だから君の亡くなったお母さんも、まだお寺に来ない時分
もしかすると、君のお父さんもまだこの寺に養子に来る前かも知れない
だからもちろん僕も君も生れるズット以前の話だ
この寺の先々代の住職の坊さんと
僕んちの父の父――つまり僕は知らないが僕の祖父にあたる老人が
その頃この町で流行のように行われた
耕地整理をキッカケにして
あの竹藪のこっちがわの境界線のことで
ひどい争いをしたと言う
それもホンの長さ十間ばかりの間、幅が二尺か三尺
坪数にして僅か十坪ぐらいを
自分の畑だ、おれの地面だと言いつのって
どうにも決着がつかぬままに
裁判にまで持ち出したけど
もともと両方とも先祖から持ち越した土地のことで
どちらの物と決められる証拠はなし
裁判所でもウヤムヤになってしまった
それ以来、君んとこの先々代と僕の祖父は犬と猿のようになってしまい
僕んとこではそのうらみを僕の父に受けつがせ
君んとこではそいつを先代に、先代はまた君のお父さんに吹き込んで
ズーッとつづいているそうだ
母が言うには
毎年毎年、春と夏はそれほどでもないけれど
秋になってくると、おかしなことに
お父さんと隣りの院主さんの争いが激しくなって来る
そして冬になって寒くなると、表立っていさかいはなさらないけど
両方で自分の家でふくれながら
先方をそれはそれは憎みなさるんだよ
いつものことなので少しは馴れっこになったけど
どう言うのか戦争がすんでからこっち
また一年一年とひどくなって来てね
この分で行くと、お前も見たように
どんなことがはじまるかと思って私は気苦労でしかたが無い
戦争が終って民主主義とやらになって
自分自分の慾が強くなって
人間みんな喧嘩早くなったのかねえ
――母はそう言う、馬鹿な話さ!
そいで母と僕とで、それとなく
もうそんな争いはやめにしてくださいと言うと
父は、自分はやめる気でも相手がやめないから仕方がないと言うんだ
どうして毎朝毎朝いりもしない木魚を
おれをからかうように叩くんだと言うんだ
君のお父さんはお父さんで、きっと似たようなことを言うにちがいない
自分がやめる気でも相手がやめない
毎朝毎朝、こちらが嫌いと知りながらコエの匂いをなぜさせる
喧嘩を売る気があるからだ、と言うにきまっているんだよ!
木魚の音が先きかコエの匂いが先きか
どっちもどっちで相手をとがめてキリが無いのだ
馬鹿は死ななきゃ治らないと言うけれど
ほかのことでは賢い父とこちらの小父さんが
二人で向い合うと馬鹿の中でも一番の馬鹿になる
そうだ、死ななきゃ治らないものなら
いっそ二人で斬り合いでもなんでもやって
殺し合って死んでしまえばいいんだよ
しかしね、光ちゃんよ
君と僕とはその馬鹿の子供同士だけれど
父親たちの争いを受けつぐのだけはごめんだね
どんなことがあっても
たとえどんなことが起きたとしても
君と僕とは仲良くしようぜ
いいね光ちゃん、げんまんだぜ!」

そう言って昇さんはニッコリしながら話すのだけど
本気で言っていることは涙ぐんでる目つきでもわかりました
私は一人になってから胸が痛くなり
ボロボロと涙が流れ出してとまりません
私はぜんたいどうすればいいの?

     7

「私はぜんたいどうすればいいんです?」と
私は父に言ったのです
その晩、夕食もすみおつとめもすみました父が
毎晩の例になっているように
寝る前のいっときを
私の枕もとに来て坐ってからです
「え? 何のことだえ?」
「いえ、昇さんも言うんです
ほかのことではあんなに賢い、良い人なのに
両方が寄ると、どうしてこんなに馬鹿げたことで争うのだろうって」
「昇君が? なんのことだ?」
「お父さんと隣りの小父さんのことです」
「今日のことかね?」
「いえ、今日のこととは限らないの
ホントにホントに、ねえお父さん
もう争いはよしてほしいと思うんです
私がこんな生意気なことを言ってはすみませんけど
ぜんたい、どういうわけで、内とお隣りは仲が悪いんですの?」
言いながら涙が流れてしかたがなかった
父は何か強い言葉で言いかけたが
私の顔をヒョイと見ると
言葉を切って、急に黙りこみ
永いことシンと坐っていました
その末にヒョイと立って本堂の方に行って
やがて何か大福帳のような横長にとじた
古い古い帳面を持って来て
私の枕元にドサリと置いて
まんなかどころを開きました
「お前がそこまで言うのならば
わたしもハッキリ話してあげよう
いずれお前もこのことはちゃんと知っていて
この寺を末始終、守ってくれなくてはならぬ人間だ
よくお聞き、どうして隣りの内と仲たがいをしたか
いやいや、と言うよりも、どんなに隣りの内がまちがっているか
これ、ここにちゃんと書いてある!
これはこの寺の名僧として名の高かった先々代の住職
その方が書き残した過去帳だ
それ、ここを読んでごらん
ひとつ、当山敷地のこと」
その筆の文字はウネウネと曲りくねった漢字ばかりで
私には一行も読めません
それを父は昂奮した句調で説明してくれるのですが
何やらクドクドとして、一つとしてハッキリとはわからない
なんでもその住職の若い時分は
隣りとの地境もハッキリしていなかったし
ことに竹藪の向う側あたりは
この奥の村のお大尽の土地の地つづきで
荒れ果てた林であったのを
そのお大尽がこの寺に寄進したと言うのです
その時にちゃんと測量でもすればよかったのだが
昔のことで唯、山林二十なん坪とだけで
登記も正確にしたかどうか
とにかくそれ以来寺の土地として捨ててあったのを
間もなく、その時分のお百姓だった隣りの家で
種芋や苗などの囲い穴を作るから
その山林の一部分を貸してくれと言うので
さあさあと気持よく貸してやったと言うのです
それ以来、別に地代も取らないが
隣りの家から季節季節の野菜などを届けたようだ
それから十五六年はそれですんだが
耕地整理の測量で、地境をハッキリさせることになった時に
隣りの内で、その土地を自分の内のものだと言い出した
それでこちらでは以前そのお大尽の野村さんから寄進された土地だと言うと
いや、その後、その野村の旦那から
金や貸借のカタに受取ったものだと隣りでは言う
隣りの内の先代というのが
鶏の蹴合いバクチの好きな男で
ホントのバクチも打ったらしい
そこへ野村という大地主がやっぱり闘鶏にこっていたから
もしかすると勝負の賭けにあの林をかけて
隣りの先代に取られたのかもしれないがね
しかし証拠もなんにも無い話だし
野村の旦那もとうの昔に亡くなっていて
誰に聞こうにも聞く人もない
とにかく久しく当山の土地であったものを
そんなアヤフヤなことで隣りに渡すわけには行かないとことわると
さあ隣りの先代がジャジャばるわ、ジャジャばるわ
嫌がらせやら、おどかしやら、果ては墓地に入りこんで乱暴をする
どうでバクチでも打とうと言うあばれ者のことで
することがむちゃくちゃだ
当山の住職も、最初のうちは、たかが荒れ地の十坪あまりのことだ
次第によっては黙って隣りに進呈してもよいと思われたそうだが
しかし隣りのやりくちがあんまりアコギが過ぎるので
そんなことならこちらもおとなしく引っ込んではいられないと
いち時は檀家の者まで騒ぎ出して
えらい争いになったそうだ
その後、裁判沙汰にまでなっ
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