にあの男はそんな事をしたのだとも取れる。
登美 キザったら!
三好 君が美し過ぎるからだろう。
登美 私が美しい?
三好 美しい。……俺にしたって、君を見ていて、どんな酷い事を考える時だってある。鬼も悪魔も自分の裡に巣くっている。
登美 いいわよ。
三好 断絶すべきは自分だ。チョット裸かになって見ろ。
登美 私?
三好 いや、俺だよ。そこにウジがブツブツと毒液を吐いている。ケッ[#「ケッ」は底本では「ケツ」]! 俺も佐田も結局同じだよ。……佐田は君にどんな事をしたい?
登美 手を持って来てさ、此処に――。そいでブルブル顫えているの。
三好 ……(眼をギラギラさせ、登美のそばに行き、相手の身体を押すようにトンと坐る)……こうかね?
登美 ……(ジッと[#「ジッと」は底本では「ヂッと」]三好の眼を見詰めている)だから、私、こうして、これで突いてやった。(編棒を三好のわき腹の方に出す。三好、登美の顔を尚もジーッと[#「ジーッと」は底本では「ヂーッと」]見ていてから、その編棒に眼を移す)
三好 ……ああ、血が附いてる。……ひでえ事をしやがる。(編棒を取る)そいでビッコを引いていたのか。……かんにんしてやれよ。登美君、かんにんしてくれ。かんにんしてくれ。そうなんだよ。人間、大体まあそんなもんさ。こんな風なもんだ。許してくれ。
[#ここから2字下げ]
(間)……
[#ここで字下げ終わり]
登美 ……いいのよ。……(しばらく黙っていてから)佐田さんの事なんか、どうでもいいの。私の言っているのは、三好さんの事よ。……佐田さんだけじゃ無い。あなたは、誰からだって、ホントに何の苦も無く裏切られたり、うっちゃられたりする人よ。そして、それは、裏切ったり、うっちゃったりする人が悪いと思うよりも、三好さんに責任があるのよ。私が言っているのはその事だわ。
三好 ……俺にどんな責任があるんだね?
登美 あるわ。センチメンタリストだからよ。御自分のセンチなツボの所にヒョッと突込んで来られると、直ぐムキになって、それで以て夢中になって、一人で角力を取って、一言に言うと結局非常に頭を悪くしてしまう人よ。
三好 ……センチメンタルか。……そうだな。そうだ。うん。頭も悪くしてるようだ。(登美の言葉でホントの所を突かれ、すっかり参っている)……でも今更仕方が無い。
登美 そうじゃ無いの。センチメンタルになった時に必らず頭を悪くしているんだわ。私が見ていても、わかる。ハラハラするようなのよ。私、センチメンタルは好きよ。ホントにセンチメンタルになれる人はえらいと思うの。三好さんは、えらいと思う。しかし、そいで以て段々自分と言うものを駄目にして行くんだったら、なってないわ。いくら、えらくったって、馬鹿であることに変りは無いわ。見てごらんなさい。三好は一番すぐれた性質を発揮する時に一番馬鹿げているから……亡くなった先生がいつも言ってらした。やっぱり先生が三好さんの事一番よく御存じだったわ。
三好 ……よそう。あいつの話はよそう。……俺も考えて見るよ。
登美 フフ。……(急に涙ぐんでいる)
三好 どうしたの?
登美 いえ、私、今の三好さんの姿を見ていると、亡くなった先生が、おかわいそうでならない時があるの。こんな三好さんを一人放りっぱなしに残して、先生、さぞ死にたくなかっただろうと思うの。……
三好 泣くのは、よせよ。……わかった……俺がなって無えんだ。……(二人しばらく、そのままで居るが、やがて三好、頭をブルブル振りながら立ち、縁側に出て、編棒を持ったまま、ユックリ歩く……間)かには自分の甲らの形に自分の穴を堀る。……俺を窮地に追い込んでいるのは、誰でも無い、俺の性格かも知れん。
登美 (フッと顔を上げて)私、いつまでこうしていても仕方が無いから、タイプの方で勤め口でもめっけようかな[#「めっけようかな」は底本では「めつけようかな」]。
三好 ……そりゃ、いい! そりゃ、いい! 是非そうしたまい。家の方にも早く戻るんだな。一人で帰りにくかったら、僕が連れてって、あげる。是非そうしたまい。(廊下をノソノソ歩く)……あぶない。みんな、あぶない瀬戸ぎわを歩いているんだ。なんとかしないと、みんな、あぶない。……みんな、生れ変る事が必要だ。
登美 ですから、私、生れ変ろうと、思ったの。……内ん中のゴタゴタ、財産を兄さんにつがせたらいいの、私に婿を取って相続させたがいいの、ゴタゴタゴタゴタ……お父さんとお母さんが眼くじら立てていがみ合うし、親戚連は親戚連で二派に分れて策略の弄しくら……私、いやでいやでたまらなくなった。
三好 だから、兄さんに相続させればいいじゃないか。
登美 そうよ、私もそう言ったの。ところが、兄さんは、せんのお妾さんの子だからってんで、いけないって言うんだわ。私は今のおっ母さんの子でしょう? 私につがせるのが本当だと言う人が多いの。お母さんだって私につがせたいんだわ。私がいくら、兄さんにつがせて下さいと言っても、駄目。本郷の伯父さん……いつか此処へも来てくれたわね……あの伯父さんなんかがお母さんの尻押しをするの。……お父さんはお父さんで、表面は何も言わないでいるけど、勿論、兄さんに家はやりたい。それを又、尻押しする人達がいる。……そりゃもう、いやだわよ。しまいに、お母さんが、御飯の中に毒を盛って兄さんに食べさせようとしたなんて言いふらす人があったり、こんだ、それを聞いたお母さんが、そんな事をしたと言われては申しわけが無いから、私が死ぬんだと言って騒いだり、……それが、なんだと言うと、五万か十万か知らないけど、僅かばかりの財産のためだ。……
三好 聞いた。……
登美 たまらなくなって飛び出して来た。……私が居なければ何とか早く片附いてくれるだろうと思っていると、……伯父さんの話では、相変らず、以前と同じらしいの。……せっかく、せっかく、抜け出せた、ああ何とかなると思っていたら、何ともならないで、又、元の家へ戻って行くんだわ。
三好 いいじゃないか。それでいいさ。……君さえシャンとしていれば、そして諦らめないでネバリ強くやって行けば、その内、なんとかなる。……どこへ行っても大概似たようなもんさ。……凡々として、その日その日の塵や泥の中を、こねくり返して、やって行くのさ。それでいいんだよ。
登美 ……なさけ無いわ。
三好 なさけ無くったって、かまわんよ。
登美 いえ、私の言うのはね、そんな周囲のイヤな事もだけど、それよりも、私自身のこと。……これまで私、チットは人より頭も良いし、生きて行き方に就ても多少は新らしい理智と言ったようなものも持っている人間だと自分で思っていたの。……それが、まるっきり自惚れ。……そんなもの結局なんにもなりはしない。ただ要するに平凡な、馬鹿な、道に迷っている一人の女に過ぎなかったのよ。やっと近頃それに気が附いたわ。
三好 いいさ、俺あ、むしろ、それに賛成だよ。君はもともと大変良い子だよ。僕は好きだ。しかし、ふだんから、君の中にある新しがりやの[#「新しがりやの」は底本では「新しがやりの」]、変に高飛車な所だけは好かん。そこに君は自分で気が附いたんだ。いいじゃないか。……人間ふだん何でも無い時は、いくらでも高飛車な事を言って居れる。しかしイザと言う場合に、ホントに自分を支えてくれるものは、大概、外部から見れば平々凡々たる単純なことだ。現に女房が死んだ時に俺を支えてくれたものは「神」の観念だった。……兵隊が死にぎわに、「天皇陛下万才!」と叫ぶそうだ。中には「お母さん!」と言って死ぬのも居ると言う。……俺にゃ近頃、そいつが身にしみる程よくわかる。そいつが嘘もかくしも無い自分だよ。ホントの自我だよ。……俺達は、その他の物からは逃げようと思えば逃げ出すことが出来る。しかし自分、自我からだけは逃げられん。これが、俺達に与えられた全部だ。そして、こいつは、ただの一|刹那《せつな》だ。良くも悪くも、その時その時にすっぱだかになって、アッと思って、やって行くきりだ。ベストを尽せば、人間の事は終る。裏切られたって、うっちゃられたって、醜い事を見せつけられたって、いいじゃ無いか。それも亦、めでたき人生の一部だ。元気を出せ。
登美 三好さんこそ、元気を出しなさい。なんなの、その恰好。今にもぶっ倒れそうよ。
三好 フフ、倒れるかな? しかたが無いじゃないか。(二人は互いに憐れむような顔をして微笑し合う)
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(そこへ、韮山正直が、ひどくキョトキョトしながら下手奥から出て来る。いつの間に玄関に行ったのか、手に自分の靴を下げて来ている)
[#ここで字下げ終わり]
韮山 やあ、……(言いながら、奥を気にしながら、縁側に出て、手早く靴を穿きにかかる)
三好 どうしました?
韮山 いやあ、チョットな……(靴を穿き終って庭に降りる)
三好 本田さんとかは?
韮山 私は、これで、今日は……(エヘラ笑いをしてソソクサと歩き出す)
三好 え? 帰るんですか?
韮山 堀井さんには、いずれ又……。
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(そこへ、顔色を変えた本田一平が、奥から走り出して来る)
[#ここで字下げ終わり]
本田 韮山さん! 韮山さん! どこへ行ったね、韮山――(その声を聞くや、韮山はアワを食って駆け出そうとしたトタンに庭石にけつまづいて、モロに転ぶ。もがいてはね起きて、ソソクサ走り出しかける。それを見るや本田は、いきなり、足袋はだしで、縁側から横っ飛びに飛び降りて行き、韮山にむしゃぶり附く)野郎、逃げるか!
韮山 ワァ! 痛いっ! 痛いがな! これ!
本田 人が、おとなしく話をしていりゃ、ナメやがって!
韮山 こ、こ、これ、乱暴な!
本田 はばかりに行くからって言うから、まさかと信用して此方は待っていりゃ……あんまり遅いから出て来て見ると、このザマだ! 話を中途にして逃げると言う手があるかっ!
韮山 そんな、そんな乱暴せんかて! なに、さらす!(二人、組打ちとなる)
三好 ……(登美と共に、アッケに取られて見ていたが、やっとの事で)どうしたんです? 全体、どうしました?
本田 どうしたも、こうしたも、この野郎! 人をナメやがって!
韮山 しゃあから、しゃあから、返さんとは誰も言うとらん! ただ、もう少し待ってくれと、これ程言うても、あんまり話がわからんよってに――。
本田 逃げるのか! よし、逃げて見ろ、野郎!(尚も二人取組合い)
三好 まあ、まあ……(思わず、縁側から飛び降りて来て二人を引分けにかかる。登美も縁側に出て来て見ている)
韮山 痛えっ! わても淀橋の韮山だ。逃げたりかくれたりはせんぞ!
本田 逃げたりかくれたりはせんと言う奴が、こうして、もう、とうに期限は切れているのに、しかも、私の方から何度も足を運んで行っている事を承知していながら、なんで逃げまわるんだ、此の狸め!(ピシリと韮山の頬をなぐる)二三日前から、私は、手前の家をはじめとして、妾の家までサンザンお百度を踏んで、追いかけて歩いているんだ。それを、それを、こんな所に逃げ込んで、シャーシャーとして昼寝なんかしていやがって――。
三好 まあまあ、そんな乱暴なことをしなくたって、おだやかに話しをすれば――。
韮山 (なぐられた頬を撫でながら)だれもシャーシャーとなんぞして居らん! 眠うて眠うてならんから、ツイ知らん間に眠っていただけや。
三好 全体、どうしたんですか?
本田 いやね、先程から、もうサンザン話をして、口がすっぱくなる程言っても、この人にゃわからんのですよ。大体、此の男には誠意と言うものが、まるで無い!
三好 誠意か……(朝の内、堀井博士に就て韮山が自分に対して言った事を思い出し、妙な気特になり、ゲッソリして手を引込める。本田と韮山の叩き合いはいつの間にか、やんでいる)
韮山 だから、いくらそんな風に言われても、無い袖は振れんと、先程から、私はこれ程言うてるやないか! 此処の堀井博士が金を返してさえ呉れれば、たかが千や二千、たった今でも返すからと、これ程言うても、あんたが――。
本田
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