好日
三好十郎
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)銀杏《いちょう》
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)韮山|正直《まさなお》
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(数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)※[#「臣+頁」、第4水準2−92−25]
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1 朝
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オルゴールの曲。
室数二十は下るまいと思われる、堂々たる邸宅の、庭に面した二つの座敷。梅雨季の薄曇りの朝。石も樹も格式通りに布置されてサビの附いた庭が、手入れを怠ったため、樹や草の少し伸び過ぎたのがムッと明るい。座敷の、上手の広い室(十五六畳)の縁側近く据えた紫檀の机の前に坐っている三好十郎。机の上には、原稿紙とペン、それから今鳴りわたっているオルゴールしかけの卓上煙草入れ。その辺の調度類とも、まるきり、ふさわしく無い青しょびれた[#「青しょびれた」は底本では「青しよびれた」]風貌で、セルの着物の袖つけの所の大きくほころびたのを着て、痩せた肩を突っぱらしている。煙草をくわえたまま、ボンヤリとオルゴールに聞き入っている。邸内はシーンと静まり返っている。……オルゴール、曲を奏し終って鳴りやむ。……三好、しばらく原稿紙を見詰めていた末、フト、ペンを取り、書きそうにするが、またペンを置き、何か考えていてから、ブルンと頭を振って、煙草を取ってパタンと煙草入れのふたをすると、オルゴール再び鳴り出す。三好、煙草に火をつけるのも忘れ、それをボンヤリ聞いている。……間。……オルゴールの曲が終りに近づく。
奥の襖を開けて入って来るお袖。四十六七の、腺病質らしい、垢抜けのした、銀杏《いちょう》返しの女。
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お袖 ……よくよくお好きなんですねえ、ほほほ……。
三好 (夢から醒めたように)なんですか?
お袖 いえさ、こないだっから、そればっかり聞いてらっしゃる。
三好 やあ。ハハ。……先生は?
お袖 奥の倉の中。
三好 見つかりませんか?
お袖 タンスや長持ちが開けられさえすれば、チャンと御先祖伝来のもんですからねえ、いずれどこかに有るにゃ有るんですけどね、たいがい、ペタペタやられているんですから。
三好 持って行かせたいなあ。
お袖 先生だって、そりゃねえ……ごらんなさいよ、あの朝寝坊さんが、こんなに早く裏口なんぞから入って来てさ、クモの巣だらけになってかき廻していらっしゃる。先生の気性を知っているだけ、私なぞ、出来ることなら――。
三好 引っぺがしゃいい。
お袖 だってさ、(両手を背後にまわして見せる)これですもん。
三好 かまわんですよ。僕が引き受けます。
お袖 とんでも無い。こうして、居て貰っているだけでも、すまないと言ってらっしゃるのに、そんな、あなた――。
三好 あべこべだあ。僕あ、行き先きの無い人間なんですよ。――とにかく、そいつは、持って行かないじゃ駄目だ。(立って行きかける)
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(そこへ、奥の廊下に足音がして、堀井博士が、手に日本刀を一本と小さい軸物を一つ持ち、塵をフッフッと吹きながら入って来る。四十才位で大きな身体に、半礼服の黒っぽい洋服。おしゃれと色白の顔と鷹揚な人柄がシックリ一つに溶け合って、年よりもズッと若く見える。良家に人と成って苦労知らずに育った秀才で、専攻の医学以外の事では、ひどく投げやりな風である)
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堀井 (子供が菓子でも貰ったようにニコニコ笑いながら、刀と軸を二人に見せる)有った。
三好 そりゃ良かった。
お袖 (心配して眼をキョトキョトさせて)まさか、先生……?
堀井 なに、奥の定紋入りの手文庫で、四つばかり封印の貼ってない奴が有ったろ、あん中さ。ハハ、骨を折らしやがった。(立ったまま刀をスラリと抜く。ドキドキするような刀身が庭の木の葉の反射を受けて光る)そら、まだ錆びてやしない。(一つ二つ素振りをくれる)
お袖 あぶないわ、先生!
三好 ……(再びモッサリと坐って)斬るつもりなんですか?
堀井 勿論さあ。
三好 だって、先生は、向うへ行ってもいずれ病院でしょう?
堀井 だけど、病院と言ったって、奥地へ入りこめば、そう始めからしまいまで、病人やけが人ばかりを相手にしてメスばかりいじくっているわけでもあるまいじゃないか。敵さ。敵だよ。
三好 さあ、敵も敵だろうが、それよりも、先生なぞ、自分の中のお人良しと言う奴を向うへ行って斬り捨てて来て欲しいな。
堀井 又、それを言う。……然し、君の言う通りかも知れんね。いずくんぞ知らん、敵は我が腹中に在りか。よし、そいつを、ぶった斬って来る! なあに! ウッと! なんしろ、持っているだけでも、気強いじゃないか。
三好 なんて言う刀です?
堀井 さあ、なんでも国なんとか言ってた。銘は、たしか入って無いよ。……しかし斬れるにゃ斬れる。
お袖 まだ大旦那様がいらした頃ですよ。猫を真二つにお斬りになって、大目玉をお喰いになってさ――。
堀井 袖、つまらん事を言うな。(三人笑う)
三好 ハハ……ちょっと拝見。(堀井から抜身を受取って刀に見入る)
堀井 チョットしたもんだろ? 五六代前のじじいから伝わっていると言うから、なんしろ古いもんさ。
三好 ……。
堀井 (その辺を見まわして)なにはどうしたの、あの綺麗な娘さん?
お袖 登美さんは、まだ離れでおよってです。
堀井 寝てるか。大した度胸だね、近頃の若い娘なんてえものは。
三好 いいな……(刀に見入っている)
堀井 相当の家の人らしいじゃないか? 文学少女と言うのかね?
三好 なんですか?
堀井 離れの娘さんさ。
三好 登美君? いやあ、文学少女じゃ無いんでしょうね。
堀井 あれ、君とはどう言うんだい?
三好 どう言うとは?
堀井 とぼけなさんな。
三好 とんでも無え。ただの知りあい……女房が女学校につとめていた頃、一二年教えていたから――。(その話に興味が無さそうに、刀身を見ながら言う)
堀井 そりゃ知ってる。君の奥さんが亡くなられる前もたしか泊りこみで看病していたのを見かけた事がある。奥さんをよっぽど好きだったんだね?
三好 そうです。死んだ奴が丈夫な頃も、よく泊りに来ていました。
堀井 (話がシンミリして来たのを、はぐらかすようにニヤニヤして)チト怪しいぜ。立候補でもしたんじゃないか? なくなった先生の御亭主の後釜と言うやつに?
三好 え? じょ、冗談言っちゃいけねえ! そんな事、登美君に聞かれたら、あなた、噛みつかれますよ。
堀井 ハハハ、ハハ、噛みつかれちゃ、かなわん。……だが、いずれにしても悪く無い、劇作家や小説家なんてえ商売も。あんなのがノコノコ、たよって来る。
三好 なに、行き先きが無いんでころげ込んで来ただけですよ。
お袖 ですけど、お家の方でも話がわからな過ぎるじゃありませんかねえ。登美さんの方で財産は要らないと言ってるんですから、その通りに運んでやればいいじゃありませんか。
堀井 財産は要らないと言うのか? へえ、もったい無え! 俺にくれんかなあ!(三人声を合せて笑う)だが、なんだね、そ言ったとこも、モダンガールにしちゃ、チョイト小股が切れ上り過ぎてる。
三好 モダンガールじゃ無い。
お袖 (茶を入れながら)だけど、なんですよ。私は感心しているんですよ。あれでいて、きまりきまりだけはチャンとしたもんですから。黙あって三好さんの下着まで洗濯なさる。
堀井 それにしても登美と言うなあ、時代だね。お登美さんか。(茶を呑む)
三好 ……(抜身を鞘に納める)このままじゃ持って行けませんね。
堀井 行くまでに拵えを直させるよ。
三好 この方は、なんです?
堀井 お不動さんの画だ。
三好 (軸物を開きながら)これも持って行くんですか?
堀井 いや、一所に入っていたから出して来たまでだ。
三好 ……(小さい軸物を開けて、そこに描いてある真赤な画を見て、ギョッとする。次に吸いつけられたように画に見入る)……ふーむ。
堀井 金《かね》なんとかてえ人の描いた、古いもんだそうだ。
三好 ……ふーむ。こいつは――。ふーむ。
堀井 唸る事あ無かろう。
三好 ……先生、これ持っていらっしゃい。刀なんぞ、くそくらえだ。
堀井 医者が仏さんなんぞ持って行けるもんか。気に入ったら、君にあげようか。
三好 そんな無茶な……。でも、持って行かないんなら、僕に貸しといて下さい。
堀井 いいさ。他にあげる物と言っても、なんにも無い。その煙草入れは気に入ったらしいけど、駄目だしなあ。これでも親父があちらから持って帰った時は、関税だけでも百円近く取られたらしいけど、こうして封印を附けて書き出して見ると、たしか七十円たらずだよ。なさけ無いや。まあ、そのお不動さんでも持っていたまえ。もしかすると、そいつが僕の形身になるかも知れん。
お袖 先生、そんな――。
堀井 いいよ、わかってるよ。大袈裟な事あ、俺あ、きらいだ。だけどね、……たかが軍医で行くのに、死ぬの生きるのと言うのも変な話だけど、実あ正直の事言やあ、……今迄みたいにしてフラフラやっているなあ、いやんなっちゃった。死んだっていいから、もっとハッキリした事をやらないじゃ、もう、俺あ、たまらん。
三好 ……(急になぐりつけられでもしたように、首をうなだれて聞いている)
堀井 人間、四十になって、こうして、先祖以来の家にも住めん。診療所も院長と言うなあ名ばかり、月給九十円の雇人だ。キョトキョトしながら、人にかくれて、親子三人アパート住いだからな。アッハハ。いくらノンキな俺でもちったあ考えらあ。
三好 …………。
お袖 この間お目にかかった時も、大奥様は泣いていらっしゃいました。
堀井 おふくろは、なんかと言やあ、直ぐ泣く。豪勢にやっていた昔を思い出すんだ。しかし、俺は違う。俺が情けないのは、そんな事じゃ無いんだ。
お袖 いえ、それは……大奥様も邦男に今更親孝行の真似なぞして貰いたいとは思わないと口癖におっしゃっていますけど――。
堀井 違う。俺あ親孝行だよ。家を無くしても財産を無くしても、親孝行な人間だと思っている。……俺の言うなあ、そんな事じゃ無いんだ。これで、診療所さえチャンとやって行けて、江東辺の人のためになることなら、俺あそのためなら、おふくろなざあ、すまんけど洗濯婆さんにでもなって働きに行って貰う。だけど、問題は、その診療所さ。いくら、あの辺の貧乏な連中を僅かな実費で診てやっても、さて、そいつが人のためになるかだ。ホントの意味でだなあ。それさ。この一二年、考える事あ、その点だ。そうなると、もう、まるでお先き真暗だからなあ。
三好 ……ふん。
堀井 ……テーベーの患者が来る。そいつを一所懸命診てやって、病勢を喰いとめてやる。半年か一年する、必らずそいつが、以前よりも悪くなって、転げ込んで来る。もう、どうしようにも手遅れだ。直ぐ参ってしまう。失敬だが、君の奥さんだってその一例だったと言やあ言える。……花柳病のクランケが来る。手当てをしてやって、チョット良い。暫くすると又来る。前よりもキットひどくなっている。……二人や三人じゃ無いもんなあ。なぜ二度と病気にならんようにしないんだと叱り飛ばしてやっても、メソメソしたり、ペコペコしたり、中にはセセラ笑ってる奴もいる。……そうだろうさ、なぜと〔言って〕俺から言われたって、どうにもならんのだ。あの連中にも、俺にも、どうにもならん原因から、あの連中の身体あ冒されて、死んじまう。……するてえと、診療所で俺のしてる事あ、物事をただ一寸のばしにしているきりだ。だろう、三好君?
三好 俺にゃ、よくわからん?
堀井 わからん? ふむ。……そりゃね、社会施設をもっと完備させろ、働らく人間がもっと安心して働いて行けるような組織……そいつをもっとチャンとしてくれと言ったようなことに、俺の考えはなるかも知れん。勿論、それもある。それが第一かも知れん。しかし、それで全部キレイに片附くか? 片附かんよ
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