うな気がする。まだ、これで、政治や経済の組織に一切合切をかづけて、それで以て割切っていれば、どうなるならんは別問題として、落着いてだけは居れるだろうがね。君なんか、そうだろう?
三好 違いますね。
堀井 だって君あ、以前マルキシズムをやってた事があるんだろ?
三好 少しかじっただけで、なんにもわかっちゃいないんですよ。
堀井 そうかねえ。
三好 わからん。……ぶっつかって見る以外に手は無いんだ。とにかく。正《しょう》の物にぶっつかって、アッと思ったトタンに、自分がどんな音《ね》をあげるかです。丁と出るか半と出るか、そいつが掛け値なしの自分です。よしんば醜態をさらしても、もうこれ、致し方なし。……近頃、すべてそれでやっているんですよ。
堀井 ハハハ、丁と出たか。……いや、君の言う通りかも知れん。正の物にぶっつかるか、……それさ、結局僕がこんだ行くのもそれだね。戦争に掛け値は無い。これでよしと思った瞬間に敵弾に当って死んでもよしね。……帰って来れたとしても、もしかすると、そん時は僕はもう医者では無くなっているかも知れんな。少くともこれまでの様な人道主義者では無くなっていたいよ。力と言うものを持たぬヘロヘロの善意なんてもの、何の役にも立たん。物事をこぐらからせるだけだ。業《ごう》を引きのばすだけだもんなあ。おふくろに言わせるとさ。業だ。言って見りゃ対症療法だね。必要なのはオペラチオンだ。
三好 ……だけど、先生が、今迄なすって来た事をそんな風にばかり考えていらっしゃるんだったら、僕あ反対だな。
堀井 だって、そうだもの。(何か言おうとして口をモガモガさせている相手に)まあ、いいよ。とにかくセンチかも知れんが、そんな気がするから、僕あ行く。
三好 …………わかります。
堀井 ひょっとすると、もう会えんかも知れんね。
三好 来月の五日でしたか?
堀井 (うなずいて[#「うなずいて」は底本では「うなづいて」]見せてから、ニヤニヤして)だいぶまだ間は有るけど、なんしろ、これだ。君も、いよいよ此処に居れなくなると困るだろうが――。
三好 困りゃ[#「困りゃ」は底本では「困りや」]しません。なんにも持ってない人間から、誰が何を取り上げる事が出来ます? 先生こそ身体に気を附けて、どうか――。
堀井 ありがとう。……そうそう身体と言やあ、痔の方はその後どうだい?
三好 大した事あ無い、まだ少しは痛いけど。
堀井 どれ、チョット見せたまい。(寄って来る)
三好 いいですよ、いいですよ。(尻ごみをする)いいですよ。そんな、今頃――
堀井 だって、これが見納めになるかも知れんぜ。そんな事言わないで見せろよ。どれどれ。
三好 (逃げまわりながら)なあんだ、いいですったら! 僕のケツがどうだってんだ。馬鹿にしなさんな。
(お袖泣いていた涙を拭きながら、笑い出す)
堀井 ハッハハ、まあ、そいじゃ、悪くなったら診療所に言っとくから、後藤君に診て貰うんだな。(刀を持って立つ。その辺を見まわしながら)見納めと言やあ、此処も見納めかな。いやさ、よしんば僕が無事でいても、どっちみち、とうに他人の物だ。……なんしろ、古い家さ。
三好 ……(坐り直して、畳に両手を突いて頭を下げる)先生、いろいろ言いたい事も有りますけど――どうかシッカリやって来て下すって――。
堀井 (立ったまま、これも頭を下げて)……ありがとう。君もどうか。……後の事よろしく頼む。
お袖 じゃ私も、そこいらまで――(立つ)
堀井 いいよ、いいよ、見送られるてえガラじゃ無い。
お袖 でも、なんですから――チョット行く所もありますから。
堀井 例の神様か? 袖も、いいかげんにした方がいいぜ。インチキ宗教であろうとなんであろうと、信仰すると言うのは悪い事じゃ無いが、縁談から金談、堀井家の再興まで受合う神様なんて、話がうますぎる。
お袖 馬鹿になさいまし。今に先生も思い当られる事が出来て来ます。
堀井 ハハ、思い当るか。いやさ、お前が退屈ざましに、神様を見に行くと言うんだったら、話あ別だ。大変な色男だそうだな?
お袖 (怒っている)……ば、罰が当りますから! そんな事おっしゃっていると――。
堀井 怒るなよ。僕あただ、お前が飛んだ延命院に引っかかりゃ[#「引っかかりゃ」は底本では「引っかかりや」]しないかって心配してるだけだよ。そんなことでグズグズしているよか、横須賀の伯父さんの言う通りに、その船の人の縁談を受けたらいいじゃないか。子供が一人や二人あったって、構わんじゃないか。船員と言うものは、船から降りると恐ろしく情が深くって、オツだと言うぜ。
お袖 たんと、おっしゃいまし!
堀井 いやさ、そうしてシャンとしているお前ほどのものを、もったい無いと言うのさ。
お袖 ホントに、先生は、――(怒って居りきれず、笑い出してしまう。堀井も三好も笑い出す)馬鹿ね!
(その笑声に混って奥でベルが鳴り出す。三人ヒョイとそれに気が附いて、次々に笑い止んで耳を澄ます)
堀井 ……野郎、来やがった。(少しキョトキョトする)
お袖 どうしましょう? そうでしょうか?
三好 ……裏木戸から行って下さい。
堀井 袖、靴だ靴だ!(お袖、足音を立てないように走って上手奥へ去る)三好君、頼むよ。(縁側に出る)
三好 大丈夫ですよ。……(下手奥の玄関の方に聞き耳を立てている。その方で誰かが何か言っている声が微かにする)僕あ、玄関で喰いとめていますからね……(行きかける。そこへお袖が堀井の靴と自分の下駄を抱えて小走りに戻って来て、少しウロウロする)
堀井 (押し殺した声で)袖、早くしろ!(お袖、下駄を庭におろして穿き、堀井の靴を並べる)三好君、じゃこれで。
三好 じゃ――。
堀井 おっと――(靴を穿きにかかるが、あわてているので、うまく穿けない)くそ、外で穿け!(いきなり靴を手に持って、足袋はだしで庭に出て、お袖を先に、ユスラ梅の所を廻って上手の方へスタスタ行きかけ、フト靴と刀をかかえ込んだ自分の姿を振り返って見て、不意におかしくなり声を忍んで笑いながら縁側の三好を振返る。三好は、笑わず早く行くようにと手で示しながら、玄関の方を気にしている。お袖と堀井、庭を上手へ消える。それと殆んど入れ違いに、下手八畳の室の下手の襖を開けて初老の男(韮山)が、ノコノコ入って来る。古ぼけた洋服が身体に合わず、小さい両眼が赤く充血している。三好は此方の縁側に立ったまま、その気配に気を配っている。)……(やがて、大きな声でどなりつける)誰だあ?
韮山 …………(その声に耳を立てるが、返事はせず、キョトリキョトリとその辺を見まわしている)
三好 ……(振返って見て、堀井達の立去ってしまったのをたしかめてから、廊下をノソノソ歩いて、八畳の方へ)ああ、あなたでしたか。
韮山 やあ。……
三好 ……なんだかムシムシしていやな天気ですねえ。
韮山 天気? 天気など、どうでもよろし。堀井博士に私が来たと言って下さい。
三好 堀井さんは、居ません。
韮山 冗談言ってはいけまへん。居ないものが、あんだけ呼びりん鳴らすのに、なんで誰も出て来ない?
三好 (笑い出して)居ないから出て行けないのですよ。だけど、ベルをあんなに激しく鳴らすのは、かんべんして下さい。二三日前僕が修繕したばかりだ。
韮山 (相手の言葉を無視して)本所の病院の方に私は行って来たんですよ。いらっしゃらん。院長ともあろうものが、そうそう病院に出て来ないと言うのもおかしな話じゃが、いくら捜しても居やはらんしな。だから此処だ。
三好 此処には今、僕が居るきりです。まあ、お坐り下すったら、どうです。(そう言う自分も立ったままである)
韮山 (ニヤニヤ笑いながら、花林の卓の前に坐る)たしか、なんとか言いましたね?
三好 三好です。(これも坐る)
韮山 堀井博士とは、どう言う御関係でした?
三好 亡くなった家の者が先生に診て貰っていました。僕も厄介になって来ましたが、まあ、友達……と言うのも当らんかも知れんが、先輩の友人と言うとこですね。どうしてなんです?
韮山 こうしてゴタゴタしている家屋の留守番をなさっている位だから、勿論私に対する博士の債務のことも御存じだすな?
三好 くわしい事は知りませんが、でもまあ、いくらか――。
韮山 そう落着いていられちゃ、困りますねえ。とにかくね、よござんすか、此の前も言ったように、私の方のことを何とも片附けないで、ことわり無しに此の家屋を銀行へ二番に入れると言うのは、聞こえないと思うんだ。憎いですよ。私が腹に据えかねているのは、そこだ。そうじゃありませんかね?
三好 だけど、銀行の方は、あなたの方よりもズット以前の抵当じゃなかったんですか?
韮山 そりゃ、私の方の証書の書き代え以前の話だから、書式にすれば銀行の方が先口かも知れません。しかし、その前から私の方じゃ証書一枚で随分御用立てしてあったんだから、義理人情を多少でも知っていたら、みすみす銀行に持って行くと言う法は無いのだす。
三好 韮山さんが義理人情のことをおっしゃると、少し妙ですね。
韮山 (怒り出す)そうでしょう? そうなんだ! あんた方あ、その腹だ。高利貸しが義理の人情のと言うと、あんたらの眼で見りゃ、狸が衣冠束帯で出て来たように見えるのかいな! ふん! その狸にだ、生きるの死ぬのと言って泣き付いて貸して貰ったなあ誰かね? 笑わしちゃいけませんぜ。いいかね? 義理も人情も問題にしないで私が開き直ればだ、いやさ、仮りに私がその気になって荒立てて来れば、この二番抵当のことは、刑事々件にだってなせる事じゃ。
三好 刑事々件ですか?
韮山 詐欺取財だす。そうじゃありませんかね? だけど、先生とは永年のおなじみだから、まさか、こうなっても、それほど冷たい事も出来ないと思うて、わては、これでも、我慢に我慢をしぬいて来ている。先生に会おうと思って足を棒のようにして彼方此方お百度を踏みはじめてからだって、もう一月の余にもなります。そこんとこはあんたも諒解して貰いたいな。
三好 そりゃ、わかっています。
韮山 でしょう? それなんだ。第一、私は、先生が誠意さえ示して下さりゃ、元金《もときん》だけで、利子の分はスッカリ棒を引いてもいいと言う腹さえ持っている。
三好 この前も伺いました。……だけど、今の先生には千円一万円も同じことじゃないかな。
韮山 だ、だからさ、だからわては言うんだ。問題は誠意ですよ! 誠意の問題だす。先生が誠意さえ見せて下さりゃ、なにも好んで事を荒立てたいとは思うていません!
三好 そうですかねえ。だけど無いものは無いんだから……いっそ、どうです、その刑事々件にしちゃったら!
韮山 そ、そんな、あんた。あんたは心易く言うが、そいでは、そうしてもよろしか?
三好 ほかに仕方が無ければ……。
韮山 だから問題は誠意の問題だと言うとるんや、私は! な! 人は情の淵に住む、歌の文句にも言うたある。いいか! 問題は誠意の――。
三好 誠意なら、先生は持っていますよ。
韮山 (いたけだかに)持っている! 持っている人が、どうして、こんな具合に、弁護士に頼んで銀行の方だけに家屋から家財一式を、そっちの方だけに、封印を貼らせてしもて、私の方で債権を実行しようとしても手も足も出ないように、でけます? しかも、話を附けようと私がこれほど追い廻しているのに、逃げかくれして歩くことが、どうして、でけます?
三好 金さえ有れば問題無いでしょう?
韮山 そりゃ、金が有れば、金が有れば、私の方は、もともと、――(フッと言葉を切り、聞き耳を立てる。奥で何か物音がしたのである。三好もそっちを見る。再び奥でコトコト物音がする。韮山スッと立って、上手の広い室との間の襖を開けて入って行き、誰も居ないので変な顔をして四辺を見廻わす。三好も続いて入って来て、韮山のする事を眺めている)……ふむ。……(韮山、再び此の室の奥の襖を開けて、出て行く。三好もそれに従って奥へ消える。……間。あちこちの室を人を捜して忙しく歩きまわっている韮山の襖を開け立てする音。……しばら
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