くして、再び此の室に戻って来る。誰も見つからなかったらしい。少しボンヤリして室の中央に立っている)……え、と……。
三好 どうしました?
韮山 ふん……(上手の襖の方へツカツカ行き、それをガラリと開ける)……(その奥――食堂や洗面所がその方にある――に、予期しなかったものを見たらしく、ガッカリした顔で立っている)
女の声 (奥で、向う向きになって、何かしながら言う声)……あら、三好さん?
三好 ……今頃起きたのか?
登美 お早うござい。……(言いながら歯ブラシを口にくわえた顔を出す。廿二三の、身体つきのスラリと若々しい女。寝起きに冷水摩擦をしていたもので、ワンピースの胸のスナップをはめながら、まだボンヤリ立っている韮山を見てチョット目礼)……いらっしゃいまし。
三好 眼の玉が熔《とろ》けちまやしないか?
登美 ハッハハ。お袖さんは? もう朝ごはんすんで? 私、おなかがペコペコだ。(歯をゴシゴシみがく)
三好 もう何時だと思っているんだい? ソロソロ昼飯だよ。お袖さんは居ない。
登美 また、神様? フフ。(韮山に)失礼いたします。(奥へ引込む。鼻唄を低く唄いながら、水を出す音)
韮山 (毒気を抜かれたようにユックリ歩いて、紫檀の机の傍に坐りながら)……あんたの奥さんですか?
三好 いやあ。
韮山 すると言うと――?
三好 友人ですよ。
韮山 ふーん。……(左手の人差指で自分の頭の上でクルクル輪を描いて見せて)少し、この、来てるんじゃないかな?
三好 ……(ニヤニヤして)そうですね。
韮山 気の毒に、あんなベッピンさんを。
三好 ハハ。……煙草いかがです?
韮山 ありがとう。……(急に又、緊張した顔になり)ホントに、博士の居所を教えて下さいよ。な! 頼む!
三好 僕も知らないんです。
韮山 そんな筈は無からう。此処にだって、たまにはやって来るのでしょうが?
三好 来ます。しかし……。
韮山 それであんたが知らんと言う法は無い! そんなシラを切っても、通らせん!
三好 でも知らないんだ。(煙草入れから煙草を取る。すると、やがてオルゴールが鳴り出す)
韮山 チェッ! (再びイライラして、いたけだかな声を出す)アホ言うたら、いかん! そんな、そんな、あんたらが、腹を合わせて、私を妨害するならば、私にも覚悟があるぞ!
三好 訴えるんですか?
韮山 いや、博士の居所がわかるまで、私は此処に置いて貰う! あんたが教えてくれるか、先生が此処に現われるかだ。すまんが、それまで居させていただきます。
三好 ……そうですか。そりゃ、まあ仕方が無いけど、僕はホントに知らんし、先生も今日明日には来ないだろうし――。
韮山 かまん! もうこうなったら私も意地や! 置いて貰う!
三好 そいじゃ、まあ、どうぞ。
韮山 あんたらから、舐められている韮山かどうか、まあ見ているが――。
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(言っている所へ登美が、深呼吸をしながら、上手の廊下口からスタスタ出て来て、廊下の角の所に姿勢を正して立つ。素顔に素足が戸外の照り返しを受けて白くピチピチしている)
[#ここで字下げ終わり]
登美 ……(やがて、すなおな張りのある号令をかけながら、ダルクローゼ体操をはじめる)一、二、三、四――。(それが自然にオルゴールの曲に合う)
韮山 (それを見てビクッとして言葉を切る)…………
登美 (足を上げ手を振り、無心につづける)五、六、七、八。……一、二、三、四、五、六、七、八。――
韮山 ふーん。……(少しキョトキョトしながら、われ知らず立ちあがって、登美の体操をマジマジと[#「マジマジと」は底本では「マヂマヂと」]見ている)
三好 ……(ニヤニヤしながらその韮山の様子を見ながら、坐って煙草をふかしている)
登美 一、二、三、四、五、六、七、八。……一、二、三、四――。
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(そこへ下手の庭木戸の扉を開けて、着流しの轟一夫〈卅二三才〉が入って来る。頭髪を長くモジャモジャに[#「モジャモジャに」は底本では「モヂャモヂャに」]した男で、原稿紙をフロシキに包んだのをぶら下げている)
[#ここで字下げ終わり]
轟 お早う……。(呼びながら庭に歩み入って[#「歩み入って」は底本では「歩み入つて」]来るが、直ぐに登美の姿に眼を引きつけられてしまう)
三好 (坐ったまま振返って)ああ、轟君か。
轟 今日は。ベルが、又、こわれたようだな。(言いながら眼を三好から、突っ立っている韮山に移して、変な顔をしてしばらく見ていたが、やがて又登美に眼をやる。この男は、登美のダルクローゼは以前に一二回見たことがあるらしく、韮山のようにびっくりした見方では無いが、ゆるやかに正確なリズムで動く若い女の姿態の新鮮さに眼を洗われたように見守っているのである。その間にオルゴールが一曲奏し終る)……。
三好 何か用? まあ、あがりたまい。
轟 ええ、ありがとう。チョット相談をしたい事がありましてね。いやあ、もう、僕あ、いよいよ以て駄目ですよ。(まだ庭に立ったまま、登美を見ている)
三好 まあ、あがれよ。
登美 一、二、三、四、……三好さん、オルゴールもう一度鳴らして! 五、六、七、八。……一、二、三、四、……(つづける。韮山は、まだ立って見ている。三好が、再びオルゴールを鳴らす)

     2 昼

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 三好と轟と登美が、簡単な昼食をすましたばかりの所。三好と轟は机を中に坐って茶を呑んだり煙草を吸ったり、登美は机の上の食器類を片附けている。

 相変らず薄曇りの空。
[#ここで字下げ終わり]

轟 ……御馳走さん。
登美 どう致しまして。……(三好に)応接の方は、うっちゃっといていいかしら?
三好 どうして?
登美 だって、おなかがすくでしょう?
三好 あ、そうか。でも腹がすけば、なんとか言うだろう。
轟 あれ、なに? たしか此の前も見かけたなあ。
登美 アイスクリーム。(食器を抱えて奥へ出て行く)
轟 え……? (登美を眼で追う)
三好 堀井博士に会わせろと言うんだけどね。この家の抵当のことさ。
轟 ……こんだけの家を抵当にすれば、随分借りられるだろうなあ。どれ位なんです?
三好 僕あよく知らん。
轟 あんたは、いつ迄此処にいるんです?
三好 強制処分になる迄は居る。頼まれた様な形になってるしね。
轟 後《あと》は、どこへ行くんです?
三好 さあ。……(煙草をふかす)
轟 僕んとこでよければ来て貰うんだけど、狭いしね、それに病人を抱えていちゃあ――。
三好 その後、おっ母さん、どんな具合だい?
轟 もう、あかん。病気も病気だけど、そこいら中、メチャメチャですよ。僕も、早くなんとかしなきゃ、下手すると、間も無く幕が降りちまう。
三好 …………(考え込んでいる)
[#ここから2字下げ]
(登美戻って来て、机の上をフキンで拭く)
[#ここで字下げ終わり]
登美 ……(下手奥の方を※[#「臣+頁」、第4水準2−92−25]で指して)応接、馬鹿にシーンとしているけど、どうかしたんじゃないかしら?
三好 ……(チョットその方に耳をやってから)静かで、いいさ。
登美 だって、あんまりお腹が空いた結果――。
三好 眼をまわしたか? ハハ、君じゃあるまいし。
登美 いえさ、それだけで無くさ、なにか……。
三好 そんなに気になるんだったら、電話で何かそう言って……。
登美 電話は、とうに、切られているじゃ[#「いるじゃ」は底本では「いるじや」]ありませんか。
三好 そうだった。じゃ、やめるさ。
登美 いいわ、私、ちょうど手紙を出すのが有るから、ついでに言って来てやろう。いくらなんでも、かわいそうだわ。(立って奥へ)
三好 ついでに煙草買って来てくれないかな。
登美の声 はーい。
三好 金は、チョット角の店で借りて――。
登美の声 私、有るの。……(ドカドカ上手奥へ去って行く足音)
轟 ……全体、どうした人ですかね。
三好 だから、借金取りさ。韮山|正直《まさなお》か。音で読めば正直《しょうじき》だから笑わしやがらあ。
轟 いや、あの登美子さんですよ。
三好 登美? どうとは?
轟 どうして内を飛び出して、此処へ来てるんです?
三好 さあ。僕も詳しい事は知らんがね、家の相続問題でゴタゴタしているとか言ってた。あの人の上に兄さんが一人居てね、二人兄妹だが、その兄きと言うのが、なんでも妾腹の子だ。そいで、家の後しき〔跡式〕をその兄にやらせるか、登美君にゆずって婿を取るかと言うんで家ん中がムチャクチャにこぐらかってるらしい。なまじっか小金の有る家によくあるやつさ。そいで、やっこさん、家ん中がいやになったんだなあ。つまり、だから、結婚問題もからんでいるわけだろう。
轟 じゃ、その婿があの人と財産を一挙に手に入れると言うわけですね。もったい無いなあ。いずれ、じゃ、その相手を嫌って――?
三好 嫌ってるんじゃ無いらしいね。おかしいと言うんだ。
轟 おかしい?
三好 近頃の若い男なぞ、大概、ああ言った、女には、おかしく見えるんじゃないかね。なんしろ見合いをしていても、おかしくて笑いが止まらないそうだ。その癖、見合いと言う形式そのものを馬鹿にしてるんでも無い。
轟 変っているなあ。
三好 変っているかねえ? ……もっとも、今出征している男友達に好きなのが一人居るらしいが、それの帰って来るのを待っていると言うんでも無いらしい。待っていたって、帰って来るとも限らんしね。いずれにしても明るいもんだよ。勿論ニヒルとも違う。もっと健康だな。
轟 まるで、まあ、新らしいタイプですね。
三好 さあね。でもシンは普通の性質の女だよ。
轟 いつまで此処にいるんですか?
三好 家の方が多少片附けば戻るんだろう。僕あ早く戻って、なんか働きにでも出たらとすすめているが、……なかなか人の言う事なんぞ聞く女じゃ無いからね。
轟 それにしちゃ、しかし、あんたのめんどうなど、よく見てくれるじゃありませんか。知らないで見ると、ちょいとこう――。
三好 ハハハ、あれ位の年頃の女には、そ言った本能が一般に有るんじゃないかね。……それに女房が生きていた頃を知ってるしね、僕がこうして一人でウジをわかしているのを見ると、あわれになるんだろう。……ひどく気にするじゃないか?
轟 気にするってわけでも無いけど。……奥さん亡くなられてから、一年と――。
三好 間も無く、六ヶ月になる。
轟 あなたも大変だなあ。……なんしろ、あの悪戦苦闘の後だもんなあ……。(間)
三好 ……君んとこのお母さん、いっそ病院に入れたらどうだ? そんな風にグズグズしていると、取り返しの附かん事になるよ。
轟 だけど、なにしろ先立つ物が無くっちゃ――。
三好 それは、しかし、此処の先生の診療所に話せば、なんとかなる。
轟 ありがとう。いずれ、お願いするかも知れんけど……それよりも、僕の作品の事が、目下のところ先決問題でしてね。
三好 だって、ああして発表してしまえば、一応その方は片附いたようなもんだから。
轟 そりゃそうだけど……そう大して人が読んでも呉れんだろうし――。
三好 そりゃ、まあ、あんな、始めたばかりの雑誌だからな。しかし、どうも僕が口を利いてあげられる雑誌は、あすこいらしか無いからね。
轟 いえ、そりゃ、僕なぞの作品を発表出来たのは、あなたのおかげだと思って、感謝しているんです。誤解して貰っちゃ困ります。発表した場面に不足を言ってるんじゃ[#「言ってるんじゃ」は底本では「言ってるんぢゃ」]無いんだ。僕なんぞが、そんな、そんな事言っちゃ罰が当る。
三好 いや……。だが、君のこないだの話では太田さん達の仲間あたりでは、だいぶ読んで呉れたって言うんだろ?
轟 あの一派は、あなたとの関係が有りますからねえ。でも、それにしてからが、あと、別に誰も何とも言ってくれんし、須堂さんなぞ今月の「世紀文学」に月評を書いてるんだけど、僕の作は黙殺しているんだ。あれだけ知ってるんだから、なんなら悪口でもいい、せめて一行でも書いて呉れたっていいと思うんだけど。
三好
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