……そうかね。でも、そいつは何かの都合が有ったんじゃないか? 第一、批評するしないは当人の自由だもの。
轟 僕は、しかし、派閥根性と、一種の嫉妬心だと思うなあ、たしかに意識的なボイコットなんですよ。
三好 だが須堂さんが君に対して嫉妬心を抱くと言うわけも無かろう。
轟 外に取りようが、だけど、無いんだもの。当然この次には僕の戯曲に触れるべき所まで行くとグラリと方面を変えて他の雑誌の作品の批評をはじめているんですよ。たしかに、有ります! ほかの事は知らんけど、この僕のカンには間違いは絶対に無い! 絶対にありませんよ! なにが間違ったって、こいつだけは――。
三好 しかし、いくらなんでも、あの連中だって、それ程ケツの穴が狭くもないと僕は思うけどな。
轟 そりゃ、あんたが――。あんたが、そう思うのは、暫く引込んでいたからだな。現にあんたの事だって、あの連中ずいぶん酷く言ってるんだ。
三好 ふーん。なんだって?
轟 僕も又聞きですからね、ハッキリは言えんけど、……大概まあ、あんたの後輩でいながら、随分思い切った事を言うんだ。
三好 ……赤大根のインチキ野郎とでも言うか?
轟 いや、まあ、いろんな事をね……一つは御時勢がこんな風になって来たんで、連中、とても威勢が良くなったせいもある。
三好 時勢のせいじゃ無いね。……僕が昔ホントに赤大根だったせいだよ。
轟 そ、そんな、そんな――。
三好 いや、こいつは皮肉でもなければ、よくある自嘲でも無いんだ。俺あ、そうだったんだよ。七八年前を想い出すと冷汗が出る。
轟 だって、一人の劇作家として、とにかく戯曲と言う面から言って、つまり純粋に芸術的な業績としてチャンと――。
三好 そんなもの、大した事じゃ無い。又、もしそうだとしてもだ。そうだとすれば尚更だ。これはね。過去の自分をあわてくさって言葉の上だけで否定し去ることに依って、現在を韜晦《とうかい》するために、言っているんじゃ、決して無いんだ。鞭をあげて俺を叩く資格を持った人は、いくらでも鞭打つがいいんだ。……何と言われようと、俺あ、もう腹は立たん。俺あ、これから勉強しなおすんだ。よしんば……身体もこんなに弱ってるし……その勉強がなんの実を結ばなくても、実は結んでも、そいつを世に問う事が出来なくても、そいでも俺あ、いいんだ。自分として、腹ごたえの有る気持に到達出来さえすれば、そいつを誰が知らなくっても、俺あそれで満足する。戯曲なぞ書けても書けなくてもいい。末の末だ[#「末の末だ」は底本では「未の末だ」]。
轟 (深くうなづきながら聞いていたが)そこまで、あんたは自分を掘り下げて来ている。僕あ、頭が下がる。
三好 とんでも無い。掘り下げだなんて、そんな事じゃ無いさ。こりゃ男としての恥だよ。恥をさらけ出しているんだ。恥も外聞も無くした、言わば破廉恥な態度だ。
轟 いや、そうなんだ。それでこそ、あなたなんだ。……しかしね。僕あ思うんだけど、あんた自身のそんな風な考えは考えとして、そのあんたを良く見たり悪く見たりする世間も有る。これは又これで客観的な立派な一つの事がらだと思うんだ。そしてそいつが、不当に間違っていれば、やっぱし怪しからんと思いますね。
三好 ところが、そいつが間違っていないんだな。いや僕の事に就いてだけじゃ無い。すべての事、仮りに作品に就いてだって、外部からの批評と言う奴は、その高さや低さはあるかも知れんが、実は全部当っているもんだよ。昔の人はうまい事を言った。「目明き千人、めくら千人」。
轟 だから、その、主にめくらの方の千人にぶっつかった奴は災難ですからねえ。僕は近い中に一度、辻森淳三さんにでも逢って、新聞か雑誌でもう一度あらためて批評して貰おうと思っているんだ。
三好 違う違う。僕の言うのは、目明きが千人居て、別にめくらが千人居ると言うんじゃ無いんだ。同じ千人だよ。目明きの千人が同時にめくら千人なんだ。一人々々が、みんな目明きだし、同じその人がめくらだ。どっちにしても批評と言うのは、そんなものなんだ。
轟 そうかなあ。……しかし立派な批評家に批評して貰った作家は幸福だと僕は思うがなあ。
三好 僕は必らずしも、そうは思わんな。同じだよ。場合に依って、批評家から何だかだと言われるよりも、その辺に歩いている車引きのおっさんみたいな人から何か言って貰う事が、僕なぞ、うれしい事があるぜ。
轟 そりゃ、わかるけど。……三好さん、辻森さん知ってるんですか?
三好 よくも知らんけど、二三度会った事はある。逢うの?
轟 ええ。とにかく今後の事も頼みたいし。紹介状書いてくれませんかねえ?
三好 ……ああ、書いてもいい。この次ぎまでに書いとく。
轟 いつも、すまないけど。
三好 だが……逢うのは、いいが……どうして君は、そんな事ばかり気にするのかね? 少しあせり過ぎやしないかな。
轟 ……でも、人間、三十づらを下げて、こうしてウロウロしていますとねえ。それに生活……生活と言うんじゃ無い、生きているだけ……ただ食って寝て生きて行く食物や家賃さえ、来月のやつが見当が附かない、と言いたいが、四五日先きの当てが無い。おまけに病人だ。……せめて書いた物を上演してくれるあてでもあれば、金も金だけど、おふくろだって、暮しのことも病気の苦しさだって耐えて行ってくれる――。
三好 無理も無い。チャンと一人前の劇作家として世の中に立って行けるだけの腕は君には有るんだものな。……しかし今更そんな事を言ってたってどうなるんだね? 文壇だとか劇壇だとか考えて見たって、結局つまらんじゃないか。人一人、安心して死ねる所じゃ無い。つまらんよ、そんなもの。全体、俺達はウヌの好きで何は措《お》いてもやりたいと思った事をやってる。世間を見渡して、これで、自分のホントに好きな事をやっていると言う人は、極く僅かしきゃ居ないぜ。俺達が、なんだかだと言いながらも、かつえ死にもしないで、こうしてやって行けているのは、ありがたいと思わなきゃならん。僕あ、そう思っている。……僕なんぞも、言って見りゃ、明日の日がわからん。金はもう、此の二月ばかり無いしね。よく生きてると思う。
轟 だって堀井さんの方から、いくらか――?
三好 先生の方は僕よりゃ[#「僕よりゃ」は底本では「僕よりや」]、ひどいさ。……先ずお袖さんの才覚や、登美君の金で食わして貰ってるんだなあ。ハハハ、痩せる筈さ。もっとも、チョット心当りが無い事は無いから、それがどうにかなったら、少しは君の方へも廻せる。
轟 いや、こんだけ厄介になっているのに、その上そんな……実際、頭がカーッとして叫び出しそうになる事があるんだ。……おふくろだって、黙ってはいるが、やっぱりそうだと見えて、夜中にうなされたりしているんですよ。先日もヒョッと眼が覚めて見ると、おふくろが寝床の上に起き上って、ボンヤリ指を折って何か言っているんだ。よく聞くと、「一俵二俵三俵……」と言っている。昔、田舎で盛大にやっていた時分の、小作米の勘定をしているんだな。……人間の妄想と言うか……現在一升の米にも困っている病人が、よる夜中、床の上に起きて米俵の勘定をしてる。……僕あゾーッとしちゃってねえ。
三好 ふーむ。……
轟 ……なるほど僕は、あせっているように見えるかも知れない。しかし、あんたが、こうして、落着いて居られるのは、僕なんかと違って、現在は困っていても、誰が見ても、あんたには作家として既に築き上げられた地位と言うものが有るんだからな。それにあんたさえその気になって、少しぐらいおかしな劇団の本でも我慢して書く気になりゃ――。
三好 僕の地位? アッハハハ、僕の地位か! そんなもの有るもんか! よしんば有ったにしたって、そいつが何になるんだよ? 事実何になっている? 御覧の通りどこでも相手にはしてくれないんだぜ? 僕は、もしホントに書かせてくれりゃ、世間からどんなにインチキだと思われている劇団の本だって、ムキになって書く気でいる。インチキ劇団はインチキ劇団で、それはそれで本職となれば僕あ立派な仕事だと思っている。その気になるもならんも無い。ただ先様に僕等に書かそうと言う気が無いだけさ。……駄目だ。君は一方に於て、そんな風な仕事を馬鹿にしていながら、同時に一方に於て、世間的な地位を早く手に入れたいとあせっているんだ。つまり、言って見りゃ、ホントは馬鹿にしきっている者に自分自身が早くなりたいと思っているんだな。
轟 ……矛盾していると言う事は、自分でも知っていますよ。だけど、あんたは、いちがいにそう言うけど、そんな地位だとか、人気だとかで一切が左右されるジャーナリズムとか[#「ジャーナリズムとか」は底本では「ヂャーナリズムとか」]文壇と言ったようなものが、現に存在している事は事実だからな。浮薄な事実かも知れんけど、或る意味では、事実ほど強いものは無いし、現実の真実だと思うんだ。それを否定していると、否定した此方があべこべに否定されて、ひっくり返るかもわからん。
三好 うん。わからんじゃ無しに、ひっくり返るね。現に、ひっくり返された僕と言う者が、こうして、居る。……しかし、それが全体、なんだてんだい?
轟 なんだって事も無いけど、そんな偏狭にならないで、此の世間的なアクタモクタをも避けないで、肯定した上に立って進んで行く方が、やっぱし作家としてのホントの道じゃないかと、近頃、そんな気がするものだから――。
三好 ……なるほど、僕は偏狭だよ。こりゃ、直さなきゃ、いかん。……だから、僕が考える通りに君も考えろなんて、僕は言いたくは無い。しかしだな。君がたった今言った事と、先刻言った事とは、字面は似ているけど、まるで違う事だよ。そして、君のホントの腹は前のようじゃないかね?……いや、だからと言って、僕は君をどんな意味ででも非難しようとは思って無い。たしかに、そんな態度も有るし、その方がホントかも知れんからね。ただ残念ながら、今のところ、僕はまだそんな風には考えきれない所でフラフラしているんだ。せめて、戯曲を書くことを、自分と言う人間のヤワさを鍛えに鍛え抜いて行く修業だと思って、やらして貰ってる。……その内には、もしかすると、何か少しは役に立つような物が書けるかも知れない。……書けないかも知れない。……その間、一所懸命にやるから、済まんけど、無駄飯を食べさせて置いてくれ。……生かして置いてくれ。……大げさな言い方をするようだが、それさ。
轟 ……(次第に坐り直し、頭を垂れて聞いている)
三好 先ず、地獄だ。世間も、そいから自分の裡もだ。神よ神よと叫びながら、しかし、自分の身体で、こいつの中をのた打ち廻って、思い捨てないで、毎日々々を、これきりだと思って、汗水を垂らして行くんだ。救いが、もし有るならば、そいで、実は、此処にしきゃ無い。地獄のほかに逃げ場所が有ると思えれば、そいつは、地獄じゃ無い。此処だけだ。此処に全部あるんだ。廿四時の地獄だよ。
轟 …………地獄か。
三好 …………(涙を拭いながら)やれやれ、頭がズキズキ痛みやがる。
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(間。……四辺は静かである)
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轟 ……僕も考えて見よう。僕の立っている所など、あんたに較べれば、まだ甘いもんだ。なるほど、対世間的なことなど考えてあせるのは僕など、まだ早い。
三好 (昂奮の過ぎ去った後の静かな調子)いやいや、達うよ。俺が甘っちょろい男だから、こんな大げさな事を考えなきゃならん所に、おっこちるんだ。ばけ物をこわいこわいと思っている臆病な子供が、闇の中から白い物が出て来たのに、ハッと思った怖さの余り、そいつに掴みかかって行くと言った類いだろうな。ハハ、弱虫の証拠だろう。どこまで行ってもリアリストで無い。……世間と言うものはこんなもんだと平たく思って、すなおに順応して行くのが、ホントかも知れんさ。俺だって、心がけだけは、そうしようと思って居る。ただなかなか、そいつがうまく出来ないだけさ。君を非難したいとは思わないと言ったのは、そこの事さ。そんな世間は馬鹿らしいが、その馬鹿らしい世間が厳然とし
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