い性質だけど、虫がきついから、始終気をつけて虫をこじらせないように、なんでも単純に単純に考えないといけない――。
三好 全くだぞ。
登美 でも三好さんだって同じよ。私が居れば、私さえ泣かされていれば、そいで三好の虫はなんとか納まって行けるけど、私が居なくなったら、どうなるんだろうって、先生、心配なすってた。
三好 あいつ、そんな事まで君に言ったのか?
登美 亡くなる四五日前にも、おっしゃったわ。三好さんだってもうシャンとしないと、先生お泣きになってよ。
三好 なによ言やがる。
登美 だって、三好さんのこと、先生、とてもそりゃ大事になすっていたんだから――。
三好 いいよ、いいよ。彼奴の事はよそう。いや、もうよせ。……ふん。……しかし、荒れてるなあ。
登美 あたし?
三好 いや、お袖さんさ。迷っているんだよ。無理も無いんだ。水商売とは言え、もともと良い家で育って、此方の女中頭でチャンとやって来た、あげくだ。子持ちの船乗りの所へなぞ、そうチョックラ行けはしまい。
登美 お気の毒だわ。あんだけの長唄ってものが叩き込んであるんだから、あれで何とか身は立たないのかしら。うまいと思うんだけどなあ。
三好 うまい。うまいのを通り越して、あの三味線を聞いていると、時に依って、なんか、人間の号泣しているのでも聞いているようで、俺あ、こたえる。……しかし、でも、長唄の師匠になるにも金がかかるらしいね。名取りになるだけでも、小千円かかるって、こないだ言ってた。
登美 だって、そこいらの名取りなぞより実際に実力が有れば、それでいいじゃありませんか。
三好 それが、そう行かないんだな。先刻の浦上の言い草じゃないけど、そいつが世間の雰囲気と言う奴かね。
登美 馬鹿にしてるわ。なんだい!
[#ここから2字下げ]
(短い間)
[#ここで字下げ終わり]
佐田 ……三好さん、僕の作品、どうでしょう?
三好 う?……うむ。
佐田 ハッキリ言って下さい。
三好 そうだなあ。……だが……君、此の前、原稿持って来た時、変な事言っていたねえ?
佐田 なんですか?
三好 その作品が駄目とわかり、将来書いて行っても到底望みが無いようなら、なんだとかって。あれ、ホントかね?
佐田 ……言いましたかねえ?
三好 そ、そいじゃ、なにか、君あ、俺をおどかす気で、僕を脅迫するために、あんな大げさな事言ったんだね?
佐田 でも、……身体の方も、もう永い事は無いと医者も言いますしね。せめて食って行くだけの金でも有ればだけれど、……簡易旅館なんかでゴロゴロしていたって仕様が無いし、でも、書いた物が多少でも望みがあれば、まだ、なんですけれど、そうでなければ此の際――。
三好 ――死ぬのか?
佐田 ええ。(淡々と答える)
三好 それを僕に言わせようと言うのかね? 僕に、それが言えると思うかね?
佐田 言って下さい。
三好 ……仮りにだ、僕がそれを言ったとしてもだよ、僕などの言う批評に、そんなに絶対的な権威は無いよ。
佐田 有ります。少なくとも僕には、さうです。
三好 なぜだい?
佐田 僕が先輩の劇作家としてホントに尊敬しているのは、あなた一人きりだからです。……あなたから、君はもう望みが無いから、書くのはよした方がいいだろうと言われれば、……諦らめます。二十七年間、何かまちがって生きていたんだと思えば、それでいいんです。
三好 ……親兄弟は無いと言っていたが、誰か、伯父さんとか従兄弟だとか、親戚は無いのかね?
佐田 北海道に従姉が一人居る筈ですけど、生きているかどうか、……生きているとしても、酌婦かなんかやって暮していたし、とうに身体あ腐っちゃってるでしょう。
三好 ……君はヤケになっているね?
佐田 ヤケじゃありませんね。この一二年、冷静に考え抜いたあげくなんですから。なあに、そうと決めれば、わけは無いですよ。
三好 ……今、わが国は戦争最中だよ。恐ろしい時代に差しかかっているんだよ。俺達は一人々々よほどシッカリしなくちゃ、ならんのだぜ。君の様に、そんな風にばかり物事を考えるのは、まちがっていると俺あ思うがなあ。
佐田 この前も、おっしゃいました。そうです、あなたの言う通りです。……しかし僕が自分の事を、こんな風にしか考えられないのは、どうもしようがありませんからね。良いの悪いのと言って見ても、始まりません。
三好 だって君、それにしてもだ、死ぬの生きるのと言う問題じゃ無いだろう。創作がいかに大事でも、それよりも俺達の生活、……生命……毎日こうしてやっている生は、そんなものに較べりゃ百層倍も尊い。
佐田 その自分の生命の中で一番大切なもの、生活の中心が作品に在るんですから、……そう思う事が良いか悪いかは別問題としてですよ……そうしか考えられないんですから、仕方がありません。……あなただって、そうだと思います。いつか、そうおっしゃっていたし、此の前の戯曲集のあとがきに、お書きになっていました。僕も、実は、あの通りなんです。今となっちゃ、僕の生きて行くメドは戯曲に全部かかっているんです。
三好 ……(なにも言えず、眼をグルグルさせ、冷汗がにじみ出して来たらしい顔をしている)そうか。……しかし、それにしちゃ、君の書いた物は――。
佐田 (フッと顔を上げて、三好を直視する)……駄目ですか?
三好 ……(ドギマギして、眼のやり場に困っている)いや……駄目の、駄目で無いのと、……そんな事よりもだな……(ヤット立ち直って)この前にも言った。僕は、僕よりも若い人間が戯曲を書いて行きたいと言っても、大概の場合に賛成出来ない。又、現に賛成していない。……この国では戯曲では食って行けない。それよりも、第一、骨が折れ過ぎる仕事だ。なにかむくわれる所が多少でもあればいいが、まるきりそんな事は無い。……俺の顔を見たまい。戯曲なんてえ変なものを永い間書いていると、こんなひどいツラになってしまう。人間の顔じゃ無いだろう、こいつは?……そんな仕事だ。しかし俺は、もう、これで狂犬に噛み付かれたのと同じで、もうこれ、戯曲はよせん。一種の慢性病だからね。……しかし、若い人間が、又ぞろ、こんな酷い仕事に入って行くのを黙って見ちゃ居れん。……つまり、俺は、残念ながら、他人にはすすめる気になれん仕事を自分でやっているわけだ。……しかし、世の中には、時々、馬鹿でもハーチャンでも、叩き殺されても、苦しくても、どんな目に逢ってもだ、或る一つの仕事の中に打込んで行かなきゃ、生きて行けん人間も居るんだ。その仕事が文化的に尊いの尊く無いのと、そんな事は俺あ知らん。ただ、それをしないでは、どうしても、居られない。……こいつが、まあ、俺と戯曲との、関係だ。そうなんだ。そんな人間だよ、俺は。……そして、もし俺と同じような人間が他に居れば、こいつはもう仕方が無い。とめたって仕方が無い。だから一緒に、力になり合ってやって行こう。初めて、そんな気になる。……それ以外の人には、俺は、絶対に、とめる。こんな苦しい仕事は、もう俺だけでたくさんだ。そんな気持ちだ。
佐田 わかっています。
三好 いや、わかっていない。……俺は二十年近く芝居を書いて来ている。勿論、まだ大した物は書けん。下手だ。世間ではチットは何だかだと言ってくれた頃もあった。……それが、どうだい?……現に先程の浦上との話は君も聞いていたろう? 半年近くウンウン言って書いた作品、うまくは無い、うまくは無いが、とにかくこれで一応出来てると思って出した脚本が、あのザマだ。いいかね?……なにさ、浦上達の劇団が特にひどい劇団で、あすこだけが劇作家に対してこんな事をするんでは無いんだ。どこの劇団でも似たり寄ったりだ。又、特に僕だけが、彼奴は今落ち目だってんで、こんなアシライを受けると言うわけでも無い。たいがいの劇作家は、先ず似たり寄ったりの目に始終逢っているんだと思う。……そいで、じゃ俺はもう戯曲を書くのは、よすかと思うと、よさん。よせないんだ。……あんな目に始終逢い、醜態の限りをさらしても、そいでも、なぜよせんのか? わかるかね? こいつは、業《ごう》と言うやつだよ。……業が深くって、書いて書き抜いて、どこまで行っても、戯曲の中に自分をぶちまけて行かなければ、苦しくて苦しくて、どうにもジッとして[#「ジッとして」は底本では「ヂッとして」]居れんからだ。
佐田 ですから、僕も、あなたと同じなんですよ。少くとも、同じようになりたいと僕は思っています。でないと――。
三好 違う違う! わからんかなあ! (と先程から何と言って相手を説き伏せたらよいか、弱りに弱っている[#「弱っている」は底本では「弱ってゐる」]。当の佐田はしかし、ションボリとしたまま平静に落ちつきはらっている。まるで、アベコベのようである)これ程言っても、わからんかなあ! ね君、考えて見たまい、今、戦争だぜ! しかも、こいつは、一年か二年経てばキレイに済んでしまって、その後は又元通りに平和になると言った、そんな戦争じゃ無い。世界が、煮えたぎったルツボの中に叩き込まれたんだ。いやだと言ったって、もう、こんりんざい、抜け出しては来れない。逃げる先は無いんだ。戦い抜き、その戦いを通して生れ変って来る以外に、法返しは附かないんだ。文化などが、なんだい? いいかね? 戦争は、そして、戦争だよ! 喧嘩だ。我慾では無い。我慾からのものでは無い。他人の裡の、それから自分の裡の敵を叩き倒すんだ。……そりゃね、戦争だから、又、総力戦だから、文化もこれに参加すべし、文化諸部門もこれを発達させなければいかんとする考え方もあろう、わからん事は無い。しかし、そいつを甘っちょろい文化主義者共が言っているのが現状だ。ふざけるなと言うんだ。そんなものは屁理窟だ。戦争をするのに絵や小説や芝居は要らんのだ。そんなものが無くっても戦争はやれるんだ。それをだな、インチキな文化主義者達共の歯の浮くようなゴタクに踊らされたり、今迄うぬらが当てがわれていたケチックサイ屋台骨に恋々としてしがみ附いていようと言う量見を捨て切れないために、科学の独立がどうのこうの、文壇や劇壇なんて吹けば飛ぶようなものが、うんだのつぶれたのとゴタゴタやった末が、見ろ! 却って、その辺に氾濫している小説や芝居が、どれもこれも時局便乗の、きわ物になってしまうんだ。あたりまえだ。士が切腹しなきゃならん時に立ち至って、死にともながれば、卑怯者になるのは当然だ。芸術が死ななきゃならん時に、死ねなければ、オベッカ芸当になるのは、わかりきってるよ! そうじゃないか?
佐田 ……わからんなあ。すると、あなたのしている事は、なんですか?
三好 僕がしている事?
佐田 そんな風に、文化は亡びなければならんと思っていながら、あなたは、そいでも戯曲を書いている。
三好 ……(虚を突かれて、ギョッとし、口をモガモガさせていたが、やがてガックリと肩を落して唸る)うむ。……そうだな、俺あ、……まだ、俺なんか、駄目だあ。
佐田 そいつが、しかし、人から人民戦線だとののしられていりゃ、世話あ無いですね。
三好 なんとでも言うがいいんだ。その内には……その内には、この俺が、この俺こそ、チットは書いて見せる! 必らず、書いて見せる。それまで、何とでも言え、何と言われたって、俺にゃ、自分の量見をひん曲げて、タイコモチの真似は出来ん! きわ物の時局便乗物は書けん! そんな事をして、自分をいつわり、今の時代に時めき、それに依って、此の、此の偉大な時代を軽しめ、日本を嘲弄する気にはなれんのだ! (殆んど号泣するに近い)そんな事をする位なら、俺あ、このペンをおっぺし折って、首でもくくってくたばってしまう! それ以外の事なら、どんな苦しみでも俺あ耐えて行く覚悟でいる。しかし、しかしオベッカをしなければやって行けん苦しみにだけは、俺は耐えきれん! それだけは耐えきれん。それだけは、こらえてくれ! (頭をかかえ、机の上に突伏してしまう。背が波を打っている)
登美 (いたましそうに、それを見ている)……三好さん。
佐田 ……(これもマジマジ、三好の背を見守っている
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