はしていない。存在していないのにその様な言葉で人を指すのは、たとえば、唯単に人を陥れるために、その人の蔭にまわって「あいつは、赤だ」と言うデマ政治家の類いでしょう。そんなものこそ、ホントは革新を害する毒虫だ。
浦上 しかし、なんですよ、あなたの作品と言えば、今お返しした物もそうですが、いつでも、社会の暗い部分、貧乏な層だけが、十年一日の如く、いつでも題材になっていますしね。多少、そう思われても――。
三好 阿呆なことを言いたもうな! 暗い部分や貧乏人が現に居れば、そいつを明るくしたり、貧乏を無くして、日本人として健康なものにしなきゃならんのだ。それこそ革新だ。それ以外にどんな革新が在る? そして、そうするためには、先ず第一に暗い所や貧乏人の現状をありのままに正直に見て行く、人にも見せると言う事が絶対に必要なんだ。
浦上 いや、唯単に題材の点だけでは無いですよ。書かれ方も、そうなんだ。そいつを、どんな方向に向って[#「向って」は底本では「向つて」]解決するように、つまりどんな線に添ってそれを描いてあるかが問題なんだ。
三好 じゃ僕の物が、どんな描き方をしているかね? 先ず僕は貧乏な人間の善良さや力強さに引かれる。国民としての健康な本質に引かれる。だから、貧乏人を描く。描くからにゃ、ありのままに描く。しかも、その描き方の中にも国民として、民族の一人として、まちがった方向に向って引きずって行くような描き方は、絶対にしていない! これは俺は誰の前だって言える!
浦上 それならそれでいいじゃありませんか。あなたが事実そうで無いのならば、他から何と言われたって関[#「関」にママの注記]う事は無いんだから。(庭に立って冷たく笑っている)そんな風に、あなたが、チョット言われた位で、そんなにいきり立つと、却って、それじゃ、何かやっぱり在るんだろうと思われやしないかなあ?
三好 そ、そんな――そんな言い方で、君!……だから、俺あ、聞いているんだ。もしそんな所が僕に有れば――。
浦上 もう失礼しますよ。いつまで言っていても仕方が無いと思うんだ。しかし、これで七八年前の事を言えば、あなたにもそんな風な時代が有るにゃ有ったんだからなあ――。(庭口の方へ歩いて行く)
三好 そ、そ、それを――それを君――それを君が言うのか! そうか!(文字通り顔を叩きなぐられたように真青になって立ちすくむ)
浦上 ……じゃ失敬。いずれ又――。(庭口から歩み去る。轟はチョットマゴマゴしていたが、やがてコソコソと立ち去る)
三好 待て! それで行ってしまわれては、俺あ――。(ヨタヨタと庭口の方へ追う)おい、浦上君! 轟! 君もチョッと待ってくれ! おい轟! 君まで行ってしまうのか! 浦上君! 浦上! (あまり昂奮しているので走って行けず、ハアハア喘ぎながら庭木戸の傍の木につかまってしまう)
登美 三好さん――(立って来る)もう、いいわ。
三好 …………(なさけ無い姿で木につかまって、ハアハア喘いでいたが、やがて、しゃがんでしまう)
登美 どうなすったの? 三好さん?
三好 うん。…………(昂奮のあまり、やがて、ゲーゲーと嘔吐する)
登美 あら! (びっくりして、下駄を突っかけて走り寄って来て、三好の背に手をかける)どうしたの? いいじゃありませんか、あんな人達の言う事なんか! そんなムキにならないで! チェッ! 醜態だわ!
三好 ……(よごれた口のはたを横なぐりに拭きながら)うん。……うん。……やられた!……俺にゃ一言も無い。それを言われちゃ、一言もない。いたちっ屁を、ひっかけたきりで行ってしまやがった! いたちっ屁だ。参った。……彼奴の言う通りかも知れんのだ。畜生! (フラフラしてまだ歩けない)
登美 (ハンカチを出して)はい、これで拭いて! いいわよ、もう! 何てえザマなの?
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(佐田がボンヤリ二人を見ている)
[#ここで字下げ終わり]

     3 夕

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 梅雨晴れの午後の陽がカッと照りつけ、底一面、燃えるような緑の輝き。半透明の鮮紅の実をこぼれる様に附けたユスラ梅。縁側に座布団を持ち出して坐った[#「坐った」は底本では「坐つた」]三好と、少し離れて、これもモッソリと坐った佐田。登美は机の向うに坐ってレースを編んでいる。三好と佐田とは、ズッと前から、ボツリボツリと、とぎれ勝に話していたらしい様子。間。静かである。
[#ここで字下げ終わり]

佐田 ……読んで下さったでしょうか、僕の戯曲?
三好 ああ読んだ。
佐田 どうでしょう?
三好 うむ。……
佐田 言って下さい。……かまいませんから。
三好 うん。……君の名前は伝次郎と言うのか?
佐田 ええ。
三好 原稿に書いてあったので、はじめて知ったよ。本名なの?
佐田 本名ですけど、変ですか?
三好 変なことは無いさ。佐田伝次郎か。すげえ名だ。
佐田 すげえんですか?
三好 ……うーむ。(何か他の事を考へながら唸る。登美がクスクス笑い出す。それを振返って)なに?
登美 だって……。
三好 そうだ、韮山さん、天どんを食ったかな?
登美 持ってってあげといたから、お食べんなったでしょう?
佐田 駄目でしょうか?
三好 え?
佐田 僕の作品ですよ。
三好 チョッと待ってくれ。
佐田 ……そうと決れば、いよいよ僕も……(眼を据えている)なんとか考えを決めなければならないんですから。(上手奥でカタリと音がする)
登美 (それを聞きつけて)チョイト……(二人を手で制する)
三好 (なんだと言う顔)
登美 応接間から出て来たわ。……(短い間。……やがて上手の端の襖を開けてお袖が顔を出す)……なあんだ、お袖さん?
お袖 ただ今。
三好 お帰り。先生は?
お袖 直ぐそこでお別れして、先生はあちらへ。あのう、なには、無事に帰ったんですか?
三好 いやあ、会えるまで此処にがんばるんだって、応接の方にズッと居るんですよ。無事なだんじゃ無い、転げ落ちてね。
お袖 転げ落ちた? どこから? 誰が?
三好 韮山がさ。長椅子からね。
お袖 へええ。どうして、また――?
三好 ドタンと言ったんで、びっくりした。行って見ると、床の上でキョロキョロして御当人も驚いているんだ。居眠りをしていたらしいんだな。あんな連中の神経は、わからん。借金とりに来て、よその内で寝込んでしまう……大したもんだ。
お袖 ホントに何てえ、ごうつくばりでしょうね。
三好 だって、当然の金を取りに来ているのに[#「いるのに」は底本では「ゐるのに」]、ごうつくばりは無いだろう。
お袖 いいかげんに、もう諦らめたら、いいじゃありませんか。もともと六七年前に関西からポッと出て来て、小金を持っているもんだから何か始めようとマゴマゴしていた頃なんか、あれで随分先生の御厄介になった奴なんですよ。お借りになった金だって、たしか千円とチョットですよ。あれから毎年法外も無い利息を入れて来ているんですから、利息だけでも、とうの昔に元金は出ているんですよ。
三好 でも韮山はなんでも、一万円がどうしたとかこうしたとか言っていたが……ケタが違うようだな。
お袖 証文にはどうなっているか知りませんよ。書き換え書き換えして、利に利が積んで来ているんでしょうからね。でも、とにかく、五年前に先生のお借りになった金は千円とチョットですよ。忘れもしません。病院の方の、僅かばかりの建て増しの金なんですから、なんしろ、高利の金と言うのは怖いもんですよ。三好さんなども、お気を附けなさいましよ。
三好 ハハ、なに、貸して呉れる先さえあれば、高利もヘッタクレも[#「ヘッタクレも」は底本では「ヘツタクレも」]構やあしない、のどから手が出る位に欲しいけど、先様で相手にしません。でも、物は試しだ、韮山に申し込んで見るかな。
お袖 とんだ事をおっしゃる。淀橋の韮山正直と言やあ、あの島では名代《なだい》だそうですからねえ。彼奴にかかられて生血をしゃぶり[#「しゃぶり」は底本では「しやぶり」]尽された者が、どれ程居るか知れないんですよ。
三好 生血か。……血ぐらいなら、僕にもまだ、いくらか有る。
お袖 それに、憎らしいじゃ[#「憎らしいじゃ」は底本では「憎らしいぢゃ」]ありませんか。あれで、色気だけは隅に置けないんですよ。みずてん芸者の若いのを二人も三人も妾にして、待合いなんぞ出させているそうですよ。それでいて、女と見りゃ、誰彼なしに、直ぐにいやらしい真似をする。
三好 お袖さんなども、一票を投じられた口じゃないかな。どうです。チット色を持たせて、あべこべに大将の生き血をすする?
お袖 おお、いやだ! 男ひでりが、しやしまいし!
登美 ようよう!
お袖 こら馬鹿! お登美!(三好、登美、お袖笑い出す。佐田だけが、自分の傍で喋られている事にまるで無関心に、死灰の様に坐っている)……さてと、じゃ、私、離れの方に行きますから、彼奴には黙っていて下さいよ。先生の事を聞いて、又うるさいから。クサクサして仕方が無いから、おさらいでもするんだ。
登美[#「登美」は底本では「三好」] あとで、私にも又教えてね。
お袖 モダンガールに弾かれちゃ[#「弾かれちゃ」は底本では「弾かれちや」]三味線が泣く。
三好 鞍馬山だけは、かんべんしてくれないかな。あいつをやられると、脳味噌を引っ掻きまわされるようだ。
お袖 おっしゃいます! こうなったらなんでも引っ掻いてやる。(立ちながら)だけど、どうかなすったの? お顔が真青ですよ。
三好 ヘッヘ、若葉の照り返しだ。
登美 ふんだ! さっきの、ザマ!
お袖 なんですの? ……(それよりも自分の言った真青と言う言葉で自ら刺戟されて、改ためて佐田の顔を見る。三好の顔も青いが、佐田の顔色と来たら青いのを通り越して、殆んど土気色である。……佐田は、しかし、他の者達から注視されている事など知らぬものの様にボッサリと坐りつくしている)……じゃ、まあ、ごゆっくり――(廊下を廻って上手へ行きかける)ユスラ梅が綺麗だこと。
三好 お袖さん、お参りの方は、行って来たんですか?
お袖 ええ。
三好 なんだか、御神宣[#「宣」に「ママ」の注記]が、よくなかったらしいなあ!
お袖 御神宣[#「宣」に「ママ」の注記]もなにも……先生は、今日は御病気。
登美 アッハッハハハ。
お袖 なにを笑うの?
登美 アッハハハハ。
お袖 ほかの事と違って、これだけは、笑ったりすると、ききませんよ!
登美 オッホホホホ。
お袖 登美子さん!
登美 だって、お袖さんの神様は、信者の病気だとか心配事なんでも治して呉れる方《かた》でしょう? そう言ったわね? その神様が御自分の病気は治せない。
お袖 そりゃ、先生だって、人間だから――。
登美 人間でしょう? だから、おかしいの、ウッフフフ。
お袖 ……ふん、あなたにゃ、なんでも、おかしいのよ!(尚、何か言おうとしていたが、よして、トットと廊下を上手へ消える。ホントに怒ったらしい)
三好 よせよ。そんな、からかうもんじゃ無いよ。
登美 だって、おかしきゃ、笑うわ。
三好 人間にとって、神様は、やっぱし人間であっても差しつかえ無いんだ。
登美 ツアラトストーラ、かく言えりか……。
三好 (カッと怒って、出しぬけに大きな声を出す)だまれ! 生意気だぞ君は! ツアラトストラがどうした? 君にとっては、なにもかも遊びかも知れんが、お袖さんは真剣だ。
登美 (いっぺんにしょげてしまって、しばらく黙って眼をショボショボさせていたが、やがて大変すなおに)お袖さんがどうか知らないけど、私に何もかもが遊びだって事はホントね。泣きたくなるような遊びだわ。……いくら考えても考えても……その結論が、私も男に生れて来ていればよかった……と言った、まるで、わかり切った、それでいて、今更どうにもならない結論に来れば、世話は無いわ。……ごめんなさい。
三好 (これも怒り出した時と同様に、唐突にスッと機嫌を直して)いいよ、いいよ。
登美 死んだ先生もおっしゃってたわ。あなたは、もともと大変子供らし
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