免なさい。休ませて下さい。
トヨ あい、どうぞ……。
(紙芝居掛ける。紙芝居はボンヤリ何か考へ込んでゐる。――間)
トヨ あんたさん、赤ちやんば下しておやりんなればよいに。……そいでは苦しそうぢや。
紙芝 へえ。……ぢや、まあ。(帯を解き、子を背からおろす。無言でそれに手を貸してやるトヨ)
トヨ 幾月かな? 四月位かね?
紙芝 へえ、五月になりますよ。……(子を膝に置いて再び掛ける。トヨも前の処に掛ける)
トヨ まあよく眠つて。……どうしたお子かいな?(問ふともなく、一人言の様に)
紙芝 ……(前を向いたまま)女房に死なれちやつて。
トヨ 難儀ぢやろうなあ。
紙芝 (自然な気持の流れを自分でせき止める様に)……ハハハハ。なんですねえ、かうして方々を見て来ると、村方でも近来これで、楽ぢや無さそうですね。聞いてこそ居たが、まさかこんなに酷からうたあ思はなかつた。
トヨ お乳にお困りんなんだろね?
紙芝 方々で米作がひでえし。もつとも、いくら良くても、値が下がれば、同じ事か。
トヨ お乳はどうなさるかいね?
紙芝 へ? ええ、シンコ溶かして煮てやります。どうもね、一々面倒で……。
トヨ お砂糖は?
紙芝 へえ、少し入れてね。いやあ、やつぱり母乳にはかなわんと見えて、五月でも、まだこんなに小さい。ハハ、生れて来るのもよしあしだ。……(トヨが不意にクククとすすり上げて泣き出す。残して来た子の事を思ひ出したのであらう。紙芝居びつくりして、はじめてトヨをまともに見る)どうなすつたんです?……どうなすつたんです?
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(間。……泣いてゐるトヨ。やつと泣き止んで顔を上げる)
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トヨ ごめんなせ。つい……(微笑して見上げる)
紙芝 ……(立つて)あんたあ――?
トヨ (涙を拭きながら)妻恋の者でねえ、こいから遠い所さ行くだけど、いろんな事思ひ出しちまつて。……(相手がマヂマヂ見詰めてゐるので、眼のやり場に困つて)実言ひば、生れたばつかりの赤が、私にも有んで……。
紙芝 ……それを?
トヨ 仕方無えので、置いて行きます。……赤ば絞めて自分も死なうと考へた事もあます。因果に生まれてきた子だがどう云ふもんかヤツパリ可愛い。私あ四日も五日も眠らねえで思案したです。自分で自分にかう云うてね、トヨ、お前は赤ば殺して自分も死ぬか、それとも久保多の町でダルマになつて子ば育てるか……。
紙芝 ……ウム。
トヨ ダルマは死ぬより辛いと云ふ。直きに病気になるげな。(と次第に独言の様になる)二人で生きて居れんなれば、どつちか一人は死なんならんのぢや。好きで産んだ子でも無いに、生れて見れば可愛うて、自分の身はたとえ死んでも子供の手足は伸してやりたい。これはどう云ふ訳でがせうね? 神様がわし等ばこらしめなさるのぢやらうか? 罰ばお当てんなるのかね? ……かうして居ても乳が張つて、わし等は苦しいのです。わし等に子供がいとしいのは、やつぱり罰が当るのぢやらう。
紙芝 ……罰をねえ。……子供さんのお父つあんは?
トヨ……(ツト立つて相手を見詰める。父と云はれて不意に湧いた反感がその顔に認められる。ヂツと見詰めてゐたが、相手に皮肉の意味が全然無いのを見て、我れに返つて)……ハハハ、あんた様は村の人では無かつたけ。村の人ならば、私にそんな事ば、真面目になつて問ひはせんもの。ハハ。……食いぶちだけは仕送るから、末は必ず嫁にするからと、無理に私をだまくらかして……。それに、それに、私あ……。
紙芝……?
トヨ (声をしぼつて)何でもええから、自分を可愛がつてくれる人が欲しかつたんぢや。寂しかつたんぢや。そこへやさしい事言はれて、ツイほだされてしまうた。私と云ふ者は小さい時から、人に可愛がつて貰うた事がなかつたのぢや。寂しかつた。ああ。……ズツと前可愛がつてくれた人が一人だけは有つた。学校帰りにはアケビば取つてくれては、私の口に入れてくれた。その人はどんな気でゐたか知らぬ、私はその人のお嫁になる積りで居た。その人は東京で偉い出世ばしてゐるげな。……さうでなくても、かうなれば、もう駄目ぢや。もう駄目ぢや。はあ、もう駄目ぢや。……(フツツリ黙る。紙芝居何か言はうとするが言へず、これも黙つてゐる)
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(余り離れてゐない太田屋で、酒を喰ひ酔つて喚いたり唄つたりしてゐる高井村のオヤヂの声が聞えて来る)
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トヨ ……(又我れに返つて、フト気を変へる。少しきまりも悪いのである)ああ、私ああにをベラベラ喋くつたかいね? ハハハ、初めて会うた、あんた様つかまえて。ハハ。んだが、あんたさんであればこそ聞いて下さる。村の人あ皆私とは口も利いてくれんもんね。ヤツト、ヤツトの事で胸ん中の事スツカリ人に話して、セイセイして元気が出たやうな気がします。村を出て行く今日と云ふ日ぢやけれ、どうか、こらえて下せえ、よ。
紙芝 なあに、そんな事あ……。だが、余計な事言ふ様だが、相手の、その父親に当る人の事を村の人達にも打開け、当人にもそう言つて、村に居て何とか身の立つ様にして貰つたら――
トヨ 向ふは物持の息子だし、どうせ嫁にする気は有りはせん。嫁取りの話がほかで進んでるやもの。このままで居れば俺の家も分散するばかりぢやけれ、持参金の財産目あてに、俺はいやでたまらんけれども篠の穀問屋の娘を取ることになつた、お前の事がバレると何もかもぶちこわしだで、どうか助けると思うて俺の事は世間へ云ふてくれるな……さう言ふて私を拝んで泣くのぢや。……拝まれたつて私あ元の身体にはなりはせぬ。……しかしこれを世間へ打ち開けてその男ば困らせて見たところで、元の身体にならぬは同じぢや。ハハハ、私には同じことだもの。ウンと言ふてしまうたでさ。ハハ。私あ小せえ時からのツムジ曲りだ、人の情にすがつて楽をするよりは、八つ裂きにされた方がましです。久保多へもその気で行くですわ。ハハハ。
紙芝 ……八つ裂きにね? ……えらいなあ。そこへ行くてえと私なざあ……。
トヨ 自分の事ばかり喋くつてゐたが、あんた様、紙芝居とやらで――。
紙芝 ハハ、いやどうも。自分で自分の気が知れないんだ。商売なんかぢやない。ウロウロして歩くのに都合が好いから、やりはじめた。何をしていいかわからないんだ。……半年前までは、これでもチヤンとツトメを持つてゐたんです。そこをチヨイとした事、さう、知つた男に金を十円貸してやつた。軍需品工場の事務員だつたが、それが赤だつたと云ふのだ。なに私は直ぐ警察から戻されたが、社では否も応もない、首になる、女房が病気になる、此の子を生む、後直ぐ死んぢまふ。ボンヤリしてしまいましてね。悲しいと云ふんぢやない、八つ裂き、とまでは行くまいが、四つ裂き位にはなつたかね、まあ筋が抜けちまつた。もともとイクヂの無い男なんでしよう。そいで一度ヂツクリ、とまあ……そいでかうして居ますよ。ハハハハ、ムキになつて働いても、どうせどうにもなるもんか、と、まあね、ハハハハ。もつとも、此方で働く気でも、さうでなくても失業地獄の当世に、子持の上に、シンパ嫌疑で首と云ふケチの付いた男だもの、片つぱしから、相手にもなつてくれない。ハハハ、そいでとうだう、旅費も無しね、自分にも思ひもかけない、かうして――(と忘れて手に持つてゐたハーモニカが眼について吹き鳴らす)
トヨ まあ! ハハ。
紙芝 (声色)生れ故郷の沓掛宿、はるかに望む秋の野を、泣くな泣くなよ太郎吉と、ひたすら急ぐ時次郎、てなわけだ。ハハハハ、ハハハハ!
トヨ ハハハ、ハハ、のんきでえゝわいね!
紙芝 のんきだあ! ハハハハ、のんきだあ! ハハハハ! (哄笑するが顔は泣きさうである)
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(左手から、洋服、ゲートル姿の男が楊枝で歯をせせりながらツカツカ出て来る。一度橋の上に停つて時計を出して見て、それから陽を見て、ブツブツ呟いてから、待合の方へ。中の二人をヂロヂロ見る)
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洋服 ……あんた等も妻恋行きかね?
紙芝 (涙を指で拭きつつ)へえ? いいえ。
洋服 妻恋行は、たしかもう一度出る筈だね?
紙芝 さあ。(トヨに)出るんですか?
トヨ へえ、五時のが出る。(紙芝居に)あんたさん、どつちへ行くん?
紙芝 へえ、さあ、と……妻恋――村の高井に祭があるさうで。さう、高井へ行きませう。
トヨ 祭なれば妻恋のお薬師さんも今夜が宵宮だで。
紙芝 いや高井へ行きますよ。
洋服 五時半はもう過ぎとる。どうも時間が不確かでいかん。此処で待つて居ればええかね?
トヨ 五時の妻恋行は、お客が一人もなければ、行かねえ事も有つから、行くんなら下の車庫ささう言つとかんと、いきませんが。
洋服 そら、いかん。そら、いかん!(と左手へソソクサ行きかける)
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(そこへアワを食つて左手から走り出て来る六平太、笠太郎、クミ、六郎の四人。洋服の男とバツタリ出くわす)
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六平 (息を切りながら、相手を見上げ見下し)はあ、すると云ふと……はあ、これだ、これだ! 早道をしたで行違いになりをつた!
笠太 こ、こ、こりや! こりや立派になつたのう、甚次! 面突き合しても、こいでは甚次たあ解らんわえ! ほう! 立派になつた、立派になつた! 甚次よ!
六平 (負けないで)はあ、立派なものだ! 出世したもんよのう! 甚次君、六平太の小父だやう! どうだい、辺見甚次君だ! 万才々々!
六郎 バンザーイ。バンザーイ。
笠太 甚次よ、あにをボンヤリして居る。伯父の笠太郎ぢやが! よかつた、よかつた、私あ、私あ、なんぼう嬉しいか解らんぞよ。こら、クミ、来い! あにを羞かしがつてゐるや! それ、これがその甚次だ! ハハハハ、甚次よ、これがクミぢや。見てやつちくれ。ハハハ。
六平 いやあ妻恋の名誉の段では――。
笠太 辺見一家でこれ程の出世ば――。
洋服 (すがり付いて来る手を振りほどいて、後ずさりして、呆れて見廻してから)……何がどうしたでが? さうガヤガヤと――。
笠太 はあ、俺あ嬉しくつて嬉しくつて、お前を迎へるのに昨日から此処に立つて待つてゐたわな。ハハハ、いやあ、大したもんよ!
六平 大出世だあ! 私も昨日からズツと歓迎しようと思うての、ハハ。
洋服 私を歓迎――?
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(トタンに右手から前出の高井のオヤヂが、又酒を飲んだと見えて、殆んど泥酔に近い状態で、鎌を振り廻しながら走り出して来る)
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オヤ (わめく)検査官が、あんでえつ! 畜生! 人の怨みが有るものか無えものか! バラしてやつから、出て来いつ! 出せつ! どこさ逃げあがつたつ! 自分の手で自分のクズ米で、ドブロク拵えるのが、あにが悪いかつ!(といきなりクミの肩を掴む)
クミ キヤア!
オヤ キヤアたあ、あんだつ! 出せ、やいつ、検査官出せ、殺してやつから!
洋服 おお、お前、先刻の松川ぢやないか。殺すと?
オヤ おお殺すとも……(酔眼を近寄せて相手を調べる)フエーイ、あんただあ! はあ。(今迄の威勢はどこへやらヒヨタヒヨタ坐つてしまふ)
洋服 なんだ? えらい元気だなあ!
オヤ そ、そ、それ……いえ、いえ、その、頼まうと思うて追ひ掛けて来たでがす。わしが悪い、悪いから、今度だけは告発すんのだけは、許して下せえよ。こん通りだ、こん通りだ。(手を合せて拝む)
洋服 (笑ひ出して)人を殺すのはいかんよ。悪い事をしたのはお前さんだからな。ハハ。今度だけは今度だけはで、これで君あ三度目ぢやなかつたかな。罰金も払へんと言はれれば、私も事情には同情はするけつども、知つた上は仕方がない。
オヤ そこん所ば、こん通りだ。こん通りだ。(六平太と笠太郎は事情がわかつて見れば、待つてゐた甚次ではないので、一度にガツカリして塩をかけられた青菜の様になつてゐる。クミと六郎は、地に坐つて拝んでゐるオヤヂを、呆れて口を開けて見てゐる。待合のトヨと紙芝居も覗いて見てゐる)
洋服 私はかうしては居られん。急ぐのだ。
[#ここか
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