ら2字下げ]
(トツトと橋を渡つて左手へ消える)
[#ここで字下げ終わり]
オヤ こん通りだ。(それを追ひすがり)こんだ罰金になれば牛まで売らんならん。立ち行かんです。それでなぐてさえ、飯米買ふ金もなぐて、困つてるの何ので無えだから。お願ひだ。お願ひ――(左手へ去る)
[#ここから2字下げ]
(間)
(口を利く元気もなくして呆然立ち尽してゐる四人。六平太がフラフラ待合の方へ休むために歩いて行く)
[#ここで字下げ終わり]
六平 ハーああ! ……まだ居たのかトヨ?
トヨ へい、もう直きん、行きます。(クミがシクシク泣き出す。左手で自動車の音)
笠太 (それを叱り飛ばす気もなくなつてボンヤリ下手を見てゐたが、ラツパの音で不意にビクツとして)……はあ、検査官は何処へ行くんぢやらう、区長さん?
六平 そんな事知るかえ。……甚次は来ねえわ。
トヨ 今の人は妻恋へ行くと云うて乗合に乗つたですよ。
笠太 あにい※[#感嘆符二つ、1−8−75] 嬬恋だと※[#感嘆符疑問符、1−8−78]
六平 そかつ! こら、いかん! (二人顔を見合せてゐる)こら、急がんと、いかんわ!(二人いきなり駆け出しかける)
笠太 さ、来いクミ!
クミ (しやくり上げつつ)乗合でなきや、いやだ。
笠太 あん大将より先い着かんならん。乗合なんぞに乗つて居れるか! 駆けるんぢや。(クミの手を掴んで走り出す)
クミ あれ! んで、甚次さんはあ?
笠太 甚次は又明日ぢや、さあ!(そこへ、黙つて六郎の手を引いて走つて来た六平太が突き当る)たツ!(混乱して)区長さん、あんたあ、お先い帰つてくだせえ、気の毒だあ!
六平 あにを申すか、貴様、二段田あ……(殆んど歯をむき出して相手になりかけるが、フイと止めて)帰つてんぢや無やあかい! 阿呆たれつ! さ、来う六郎! (六郎の腕を掴んで左へ走り去る。同じく笠太郎も、とうとう声を上げて泣き出したクミを引立てて走り去る)
紙芝 ……(驚いて待合の外に出て来てゐたが、呆れて四人を見送つてゐた後)……アハハハハハハハ。アハハハハ。
トヨ アハハハハ。アハハハ。(二人が自然に笑ひ止むと、四辺は急に静かになる。笑つた後だけに殊更に寂しくなつて、紙芝居は子を抱いたまま、再び待合に入つて掛ける)
[#ここから二字下げ]
(間)
[#ここで字下げ終わり]
トヨ ……はあ、あんたさん、まだ行かねえの?
紙芝 あんたは?
トヨ ボツボツ行こかなあ。
紙芝 久保多だつて言ひましたね?
トヨ 久保多の三業で茶屋の青柳と言ふ、表向きは仲働きぢやと云ふがね。名前はおトヨ。通りがかつたら寄つて下せ。
紙芝 ……青柳。……そいで、全体、いくらで?
トヨ 前借二百円です。……手取りが百十円。しかし、それば、新家の借家の借金の方へ廻したら、一文も残るどころか、まだ足らん。赤の養育料は向ふで稼いで送らんなりません。しかし、ああに、死んだと思へば、あんでも無えさ。私、やります。
紙芝 死ぬ時は、その髪の毛を抱いてお死によ。おかみさん――(眼は前の方をヂツと見詰めてゐる)
トヨ へ、あんですの?
紙芝 いやあ、これは芝居のセリフだ。(先程から男の腕の中でモズモズしてゐた幼児が泣き出す)
トヨ ああ、泣き出した。
紙芝 よしよし、腹が空いたのか。よしよし。
トヨ 私が乳をあげよう、先刻から張つてならぬから。どれ(と幼児を抱き取る)
紙芝 すみませんねえ。
トヨ (惜しげもなく、丸い乳房を出して幼児にふくませる)あれま、こんねに、むしやぶり付くわ。(紙芝居は外へツカツカ出て行つて、何となく崖の方を向いて立つてゐる)……ああ、妻恋では、私が赤も泣いて居るぢやろな。
[#ここから2字下げ]
(間)――(崖の端に立つた街燈の裸かの電球にポカツと灯が入る。山間の常で急に夕闇が立ちこめるのである)
[#ここで字下げ終わり]
トヨ ……ああ電気、ついた。
[#ここから2字下げ]
(間)――(紙芝居は硝子越しに乳を飲ませてゐるトヨを覗いてゐる。青い顔になり、総身ガタガタふるえはじめる)(遠くで、眠さうな自動車のラツパ)
[#ここで字下げ終わり]
トヨ あれ、もうええのかや? はあ、飲んでしまうたら、直ぐ寝よる。これでよい。さあ、あんたさん、どうしたの、あんたさん。
紙芝 (顫える掌で、むやみと顔中をこすりながら)あつしでござんす。信州の旅人時次郎でござんす。一旦出て行く事は出て行つたが耳に付く子供の泣声……ハハハ、ま、かう言つた調子だ。ハハハ(と言ひながら入つて来る)これはありがたう。(幼児を受取る)
トヨ 寒いのかねえ、えらく顫えて?
紙芝 いいえ、何でもない。
トヨ んでも、えらく顫えてさ。
紙芝 何でもない。ハハ(と笑ひかけるが、喰いしばつた歯が笑はせないのである)……ウーム。
トヨ さうれ。寒いのでせうが。此の辺は陽が落ちると急に冷える。
紙芝 な、何でもない!(歯をカチカチ言はせる)
トヨ 大事になさらんと、いけんぞえ。あんたが病気になつたりすると、赤さん可哀さうだ。
紙芝 ……ありがたい、ありがたいなあ。……苦しいままに、苦しいままで(と訳のわからぬ事を独言しかけるが、ヒヨイと我れに返り)……あんた、日が暮れてしまふと、困りやしないかね?
トヨ はあ、もう下り一方ぢやから。
[#ここから2字下げ]
(左手から女車掌の声)
[#ここで字下げ終わり]
声 あーい、篠行き、乗る人無えかーあ。篠行きの終車だぞーお。篠行き無えかーい!(自動車のラツパの音)
紙芝 あ、あれに乗つて行つたらよい。さうしなさい。
トヨ 歩きます。賃金〈車賃カ〉無あで。
紙芝 私に有る。三十銭でせう。それ。
トヨ ……(黙つて相手を見てゐた後、その眼は相手の眼を見たまま、すなおに)……いたゞきます。あいがたうさん。あんたは?
紙芝 私あ高井。そこから、ズツとしつかり稼いで、一度東京へ帰つて見ます。……久保多町の青柳でしたね?
トヨ あい、どうぞお大事になあ。(涙ぐんで手を出しかける)
紙芝 (その手を避けて、一二歩身を引いて)急がんと、乗り遅れる。
[#ここから2字下げ]
(トヨ思い切つてスタスタ待合を出て左手へ。橋の上で一度立停り、そのままの姿でヂツと考へて立つてゐた末、ヒヨイと振返るが、別に何も言ふ事が見付からぬので、再びスタスタ左手へ歩いて消える)
(黙つて見送つてゐる紙芝居)
[#ここで字下げ終わり]
紙芝 ……トヨ、か。ふん……(間)……二百円、か……(左手で自動車の響とラツパ。紙芝居は眠つた子を背へ廻して、帯でキリキリとしばる。ガチヤンと落ちるハーモニカ。それを拾つて)アハハハハ。よからう! ああ! 日暮れか? 朝の様な気がするんだが……。(声色)おお行かうぜ、坊や、(外へ出る)坊や、深い馴染みの宿はあすこだ! (崖のふちに立つて暮れかけた山の方をヂツと見てゐる)深い馴染の宿は……(ハーモニカを吹いて見る。暫く吹いてゐて不意にピタリと吹き止め、目を据えたかと思ふと、そのハーモニカをバリバリ噛みくだく。歯ぐきが切れて少し血が出る)畜生、馬鹿!(言ふなり、そのハーモニカを待合小屋へ力一杯叩きつける。ハーモニカは窓硝子に当つて、硝子はバリンバリンバリンと鳴つて破れるのである)……ハハハ、よし! さやうなら、よ! (崖のふちを離れ、右手の方へスタスタ歩き出してゐる)
底本:「三好十郎の仕事 第一巻」學藝書林
1968(昭和43)年7月1日第1刷発行
初出:「新潮」
1935(昭和10)年2月号
※字下げ、アキの不統一は、底本通りにしました。
※「〈〉」内は、底本編集部による注記です。「…カ」は、不確かな推測によるものをあらわしています。(底本では、「〈〉」はきっこう括弧です。)
入力:伊藤時也
校正:及川 雅・伊藤時也
2010年4月7日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネツトの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたつたのは、ボランティアの皆さんです。
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