リポリ掻き、眼を醒す)まだかえ、父う? あれ! まあ、トヨさ……。どうしたん? いつ来たん?
トヨ たつた今ぢや。……まだ身体が本調子でねえけれ、くたびれてねえ。
クミ 歩いてかい?
トヨ うん。コンデンメルクば二つ買うたら車賃なぐなつてしまうて。
クミ 赤は、んぢや置いて来たん?
トヨ 新家の婆ん所、あづけて来たわね。……甚次さん、まだ着かねえの?
クミ んぢや、んぢや、お前も迎へに出て来たんか。いらん世話ぢやがねえ。
トヨ 違ふ。私あ少し遠方へ出かける。
クミ んなら、どうして知つてゐるの、甚次さんの帰つて来るのば?
トヨ そいでも村中で偉い評判ぢやが、黙つてゐても耳にはいるもの。あんでも、えらく出世して金持ちになつて帰つておいでるそうな、ね? ……私、甚次さんとは仲好くして貰うて居た。小せえ時、甚次さんにも二親がなかつたし、私にも、おつ母だけしかなかつた。
クミ フーン。……(急に意地悪くニヤニヤ笑つて)トヨさよ、お前ん産んだ赤のお父うは誰だえ?
トヨ ……(返事をせずに、クミの顔をジツと見てゐてから下を向いてしまふ)
クミ 誰だえと云うたら誰だえ? 高井村の染谷の二番目の若旦那だて云ふ噂だぞ。製材の朝鮮人の阿呆だと云ふ噂も有らあ。なぜ言へんの? ふーん、なぜ言へんのか、トヨさ? なぜさ?
トヨ ……(顔を上げてクミを見詰める。唇をかんでゐる顔が泣きさうになつてゐる。しかし言葉は無表情に)……言へん。
クミ フーン。さう、フーン。……さうさう、もう私に声は掛けて呉れんな、トヨさ。お前と口利いてゐるの処女会に見られると、仲間はづれにされつからな。
トヨ ……私から声をかけられる心配なぞ、これから、せずともよくならあ。……(ヂツと前を向いたままの両眼から涙がタラタラ流れてゐる)
(間)
(六平太と笠太郎が、ガツカリして無言で戻つて来る。待ち人が来てゐなかつた事が一見して解るのである)
笠太 ……(石に蹴つまづき、口の中で)……チキシヨウ!
六平 ……(無意識に歩いて待合の方へ行き以前に掛けてゐた席に掛けようとして、そこにトヨが居るのを認めてギヨツとして)はあ、斎藤トヨで無やあか。(トヨ返事をせぬ)……トヨどうして此処さ来た?(言はれてもトヨは返辞をするのも忘れてヂツと相手を見詰めてゐる)
笠太 あに? トヨだと? はれまあ、トヨだ。いかん、いかんぞ、こらトヨ! お前みたよなイタズラ娘が、甚次ば迎へに来ると言ふ法無あぞつ! 帰れ。うん、帰れ! 子供ん時は好え仲だとか、許婚だつたとか、そら、ホンマであつたとしてもだ、そりは、貴様の身性がマツトウであつてこそだ。何処の誰ともわからん者の子なんぞ産みやがつて――貴様そいでも、甚次の来るのば待つてゐて、あんとか又話ば――。
トヨ 笠太郎の小父さ。……私あ、迎へに来たんでない。篠町へ出て、汽車ん乗つて、久保多の町の方へ行きます。くたびれたで、休んで居るだけぢや。(これで笠太郎は口をふさがれて石の様に黙つてしまふ)
六平 ふーん、ぢや、久保多の三業の方に話が出来たと云ふはホンマかい?
トヨ ……へい。
六平 子供あ新家に置いてか?……んだがお前、三味線ひとつ引けめえに、三業と云うたところで、事は知れてら。気の毒――。
トヨ ……へい。……誰がしたんでも無あ、自分で自分ば売るんぢやから。
六平 赤の父親ば打開けて言へばよかろに。
トヨ ……婆と私の二人で、いぐら芝あ担いでも、おかいこ飼つても、口過ぎ出来なかつたです。そんで……。(短い間)
六平 一体が、その男にしてからが、悪気が有る訳でも無かろよ。又、心当りに話しとかあ。よし、ぢや、とんかく産後ではキツからうで、篠までは乗合に乗つて行きな。さ、私が、賃金は出してやつから。さ、遠慮いらね、取つときな。
トヨ ……へい。いりません。
クミ いただいといたら、えゝに、折角人が――。
トヨ いらねえ。
笠太 ……いけ、剛情な――。
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(間)
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クミ はあ、もう、おつつけ日が暮れら。
笠太 (又出しぬけに、六平太に向つて)区長さん、あんたもう帰つてくだせ、よ。
六平 (これも亦、火が付いた様になつて)そもそも高山の二段田と云ふは、本村では、三石が少し切れると申す取れ高一番の上田であつて見れば、ねらつてゐるのは、尊公一人と思ふと当がはづれるぞ。娘一人に婿八人、えゝと、婿は七人だつたかいな……(クミがクスクス笑ふ。六平太は自分で自分の話の脈絡を失つて、尚一層の馬力で喚く)そ言つた訳! 尊公が高山に対して手附の上にいくら貸金が有るか知らんが、その尊公にあいだけの貸しが有るのは私だ。その私が又、どうにもかうにも染谷への払ひが出来ず染谷は染谷で分散しかけてゐるとあつて見れば、これは全体どう云ふ理窟になるか! うん?
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