ない。全体の構成にも、部分々々の切りこみ方にもついてまわる。実にタンネンにシウネクくりかえされるのである。その実例をあげて説明してもよいが、スペースが充分ないから、今は、はぶく。これらは中野の持っている「素朴病」とでも言ったふうの好みからも来ているらしい。誰にしても好みはあるし、書くものに好みが出るのをとがめるいわれはない。しかし、どうもそれだけではない。また、その程度ではないように思われる。つまりポーズだ。そして、このようなポーズではちきれるようになっているかぎり、中野には小説がさぞ書きにくいだろうと思うと同時に、他ならぬ、このようにヒネッたポーズが彼をして今日あるような「断片」小説家中野を支える柱になっている。そういう関係になっていると思う。
第二に、以上のことと彼のイデオロギイの関係についての私の観察をかんたんに述べる。中野はマルクシストだ。彼がどんな理由で、どんな必然性でマルクシストにならなければならなかったか、私によくわからない。彼がその文章や作品で示している気質はひどく「貴族的」――というと言葉が過ぎる――たとえば芥川竜之介などと同じ系列に属する「選民意識《エリート》」――と言ってもピタリと当った言葉とは言えないが、さればと言ってチョットほかに言いようのない高級な趣味的気質――に貫かれているものである。しかも、その出生と成育の過程の上で彼をマルクシズムの方へ決定して来る生活的経済的条件がそろっていたようには見えない。結局は「時代」の影響やインテリゲンチャとしての「良心」と言ったようなものが彼をマルクシストにしたのであろう。その点宮本百合子などと同じだろうと思われる。それはそれでよかろう。彼の敏感さの証明として賞讃されてもよいことがらではあっても、非難さるべきことがらではあるまい。しかし、それがそうであるだけに、彼のシステムがチミツになればなるほど、政治家としての行動や、評論的活動の範囲内では、彼が到達している理論的高さの平面で自然にフルに自分を展開することができるが、文学創作の世界ではかならずしもそうは行かない。中野の場合は、そう行っていない場合だ。しかも、ひどくそう行っていない場合である。
これは芸術というものの本質から来る制約なのか、それとも中野の質のために起きる限界なのか。両方だと私は思う。マルキシズムと芸術は、それぞれが高度に追求された場所では共存し得ない。(このことについては、不完全な形でだがすでに二、三の場所で私は私見を述べた。今後も述べるつもりだ。実は今していることもその一つである)すくなくとも、さしあたりは、双方の根本的な個所で背反する。しかも中野は幸か不幸か、かなり鋭い芸術家的気質や芸術的洞察力に恵まれている。そのために中野の内で、マルキシズムと芸術とがぶっつかり合って、いつでもあれやこれやのゴタゴタが起きているのではないかと思う。ゴタゴタはソッとして置けば、それなりでやって行ける。しかしゴタゴタの中で、いったん文学を生み出そうとなると、芸術とマルクシズムが背反しはじめる根本的な個所のズーッと手前のところで作品を生み出す以外になくなる。また、その二つの最大公約数(その数値は非常に小さい)として生み出す以外になくなる。それが中野の作品である。彼の小説が断片になりがちな理由はここにもあるわけだ。平野謙が中野の小説について言っている「わかりにくさ」も、一つは中野の「素朴病」やポーズからも来ているが、右の理由からも来ている。また、中野が宮本百合子のように「かしこく」も、別の意味で徳永直のように「バカらしく」も小説らしい小説が書けない理由もこのへんにある。小説家中野は、さぞ苦しいだろうと思う。注意しなければならんのは、或る種の苦しみは、或る程度内で或る期間の間くりかえされると、変てこな楽しみになってしまうということである。そうなれば、これまた、ポーズということになる。その人のポーズはその人の地獄だ。同時にその人のアヘン窟である。中野の状態がはたしてそんなふうにまでなっているかいないか私は知らぬ。しかし中野の小説が、「クサヤのヒモノ」のような匂いを持っており、近来とくにその匂いが強くなって来ている事実を、私としては右のようなことがらと関係させないでは考えられないのである。中野がもし小説家ならば、または、もしマルクシズム理論家ならば、そして、そのいずれの側でも、もしホントの答えを出したいならば、彼のフルのところで、彼のトップのところで、ギリギリいっぱいの、恥の外聞もポーズも投げ捨てたところで、投げ捨てざるを得ないところで、つまり、タブロウとしての小説を書いて見せてくれなくてはなるまい。問題は、そこいらから、やっと始まると思う。そして私は中野がそれをして見せてくれるだけの能力を持たない人だとは思っていない。
現在の中野のこのような姿は、ただそれを指さして拍手したり、笑ったりして置きさえすればよい姿ではないだろう。中野の姿は、中野だけのものでは無い。そこには、マルクシストたちにとってはもちろんのことであるが、マルクシストでない者にとっても解決しなければならぬところの、深い、そして一般的な問題が示されている。一定のイデオロギイと芸術との相関の問題だ。なぜなら、イデオロギイはマルクシズムだけではない。誰にしろ、キンミツに考える近代人は、何かのイデオロギイから完全に逃げ出すわけには行かないからである。私は私なりに中野の三つの小説から、そんなわけで、いろいろのことを学んだ。
「あ号作戦前後」――阿川弘之(「新潮」十一月号)
長篇小説の一部だとことわってあるが、これだけでも相当長いものである。戦争中、海軍軍令部特務班(無線通信による暗号盗読の作業をうけもつ)に勤務していた予備学生出身の小畑耕二を中心に、数人の同僚の青年将校の姿を、あの時代のあわただしい動きの中に、そして同じ場所に勤務している女子理事生たちとの淡い恋愛関係を点綴しつつ描いてある。特色は、近代戦における神経中枢とも言わるべき暗号通信操作の中心地帯についての記録風の解説や描写が質量ともに目立つように取りあつかわれている点と、しかしそれがただ単に作品全体の背景または地塗りとなっているだけでなく、作中人物たちの生活や心理と表裏一体のものとして掴まれている点だろう。記録的な構成の中に小説的な要素を持ちこんで、大した不自然さやアンバランスを引き起していないのは、最近現われたこの種の作品中目立ったものであるし、新しい小説分野への展開へのヒントのようなものをも含んでいる。それはこの作者の現実認識の眼がガッシリと重厚なこと、対象への態度とそれの表現にあたっての近代的に明晰なナイヴィテと、そしてセンスの新鮮さとから来ているように思われる。全体および各部の淡々とした非情の筆つきに、時に老成をてらった感じがないでもないが、しかし概してそれさえも材料とよくマッチしている骨の折れた仕事だ。そう思う。思いながら、なにか中途半端に、片づかなくなっている自分に気がつく。どうも小説が自分を強くは打って来ていないのである。これだけの仕事がしてあれば、なにかの形でもっとノッピキならずこちらを打って来るはずだ。しかも取り上げてある材料や時期がそれ自体としてほとんど激烈と言うに近いものなのだ。もっと強く来そうなものだと思う。それが何か白々と――と言えば言い過ぎるが、とにかくピタリとこちらの肌に迫って来ない。どうしてだか、よくわからない。もちろん私のがわの責任もあろうが、作品にもその理由がありそうだ。それを考えて見た。
第一に、作品に描いてある諸事実が事実としてプロバブルなパスポートを持っているだけにとどまっていて、それらの客観的な実在についてまったく疑いを※[#「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2−13−28]しはさむ余地が起り得ないほどに煮つまったものでないことである。
「さもありなん」程度であって「そのものズバリ」の実在感にとどいていない。記録物ないし記録的要素の上に立った作品に往々にしてあるところの「二重の虚偽の感じ」はまったくないが、ザッハリッヒな圧力は来ないのである。作の基調になっている、また部分としても最も大きな部分を占めている記録的な要素がザッハリッヒに「物それ自体」として来る以前に「ザッハリッヒな感じを生み出すための小説作法」として来てしまうのである。もちろん、現実の取り扱い方が着実であるために、よくある「小説のハメ手」には感じられない。あるいは作者はただナイーヴに「このようなことがあったから、それをそのまま書いたまで」かも知れないとも思う。そう思われるフシがかなりある。つまりなかば無意識の布置であったかもしれない。しかし、小説作法をまったく考えないほど、また、そのような意味でナイーヴではこの作者はないようだ。その証拠は、すでに最初からの視点(ポイント・オヴ・ヴュウ)の置きかたに示されている。つまり、この作者はホントは終始一貫主人公小畑耕二の視点に立って(小畑を「私」として)書きたく思ったか、または書かなければならぬと思ったかではなかろうか。しかし、それで書くと、書けない部分ができてくる(たとえば、作中「八」その他)。そのために、小畑の視点を中心にした第三人称で書くことに決めたのではなかろうか。これは私の推測だから当らぬかもしれぬが、とにかく作者はこれだけの物を書くのに、どこに視点を置くのが最も有利かということを(――つまりそれが小説作法なのだが)考えたろうと思われるし、事実考えた結果起きた抵抗の痕跡らしいものも数個所で指摘できる。つまり、文字通り日記を書く時のようなナイーヴさで書かれたのではない。あくまで小説として書かれているのである。客観的事実の記録は、フィクションにリアリテを附与するための裏打ちとして提出されていると見なければならぬ。つまり記録は手法として使用されている。もちろん、記録は手法として使用されてよいと思う。
そして作者の着実さは、かかる手法を一応駆使し得ている。記録的要素は作品の中で全体のオーケストレイションを妨げていない。消化されている。一応は、である。そのかぎりで、一つの新しい成就である。しかし同時に、実はそのようなものよりも、もっと大事なザッハリッヒな実在感をこの作品が失っているのも、実はそのことから来ていると私は思う。このような程度の、また、このような形での記録的要素の処理のしかたでは、実在感は充分には生まれて来ないだけでなく、往々にして、逆にそれが阻害されやすい、この作品は阻害された例だ。そして私がこの作品から打たれなかった原因は、そこから生まれて来ていると思う。つまり、フィクション全体にザッハリッヒなものを附与するために提出された客観的事実の記録が、ザッハリッヒなものを与える前に(または、部分的には或る程度まで与えながら)全体としては、「ザッハリッヒなものを作品に附与するための手法」としてこちらに来てしまうのである。いわば写真に写された「物」よりも、写したカメラのレンズの位置や質が強く来てしまう。目的が達成されなかったという意味で、やっぱりこれは失敗であろう。そして残念ながら、このような手法は、私の見るところでは、すべて失敗する。
現代の映画が、新しい芸術的手法として取り上げつつある要素にドキュメンタリイないしセミ・ドキュメンタリイがあるが、これが現在までのところ、みな不成功に終っている。その理由はいろいろあるが、最も大きな理由は、ドキュメントの部分と演出された部分とが互いに相殺するからである。それと、この場合が似ている。
ドキュメントというものは、それを生んだ大前提ポイント・オヴ・ヴュウに対して、まったく疑う余地のない客観的に完全な信頼性が与えられていなければ、ザッハリッヒは出て来ない。たとえば『戦歿学生の手記』中の一篇の方が、この「あ号作戦前後」よりも、「美」はどうか知らぬが、「真」と「力」をわれわれに感じさせるのである。
またフィクションの場合は、作者が現実に向ってした「認識の戦い」の末に「決定」が
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