ぶち当って燃えたところで答が出されている。そこには人間を見下して軽蔑しながら憐むところの「神」の散大した視点はない。これこそ現代小説が自然に到達した方法である。少くとも我々が自然主義を通過して到達した方法である。つまり、広津はそのドキュメントやエッセイでもって、自然にそして正当にそこに到達しているのである。だから彼のドキュメントやエッセイは彼の小説よりもズット正当な意味で現代小説なのだ。しかし彼自身そうは思わないらしい。そしては「小説」を書く。その時にはかならず机の塵を払い原稿紙に向ってむづかしい顔をして対し、一言に言うと文学青年的に緊張して、自身の中の一番古めかしいところ、十九世紀の隅っこまで後退して書く。まるでそれは、卵を生む時にかならず小屋の隅へ退くニワトリの習慣のように厳粛な、矯正しがたい、そしていくぶんコッケイな習慣だろう。
 言うまでもないが、作品の中で「我」の問題を解決して行くと言うことは、かならずしも作中で直接自分のことを書くとか、いうところの私小説を書くとか、直接自分に関係のある問題を取り上げるとかいうことを意味しない。要は、それを自分が眺め、感じ、考えて、自分として最も高度に燃えて来る対象を描くことである。物理的な意味での自分であるか他人であるかは問題でない。自分にとって最も重大であり、最も興味の持てるものでさえあるならば、たとえ一匹の蚊のことを書いても、作家はその中で結局は自我の問題を解決して行くことが出来るし、解決して行かざるを得ない。そして広津にとってこの作中のひさその他の人物たちは、実はどうでもよい人間たちではないだろうか? 極端に言えば作者にとって死のうが生きようがどうでもよい人間ではないだろうか? すくなくともこの作品でとらえられているかぎりでは、そうとしか私には見えない。
 そして、そのことがこの作家の中に、良いことを何一つ引起していないのである。それはただ、古さを引起している。その古さは、一般的にも古いと同時に、実は広津自身が到達している地点から言っても古いのである。しかもさらに、彼の感覚を鈍化させるにも、あずかって力のある古さである。どんな理由で彼がこんな習慣に固執するのか私にはまったくわからない。広津ほどの鋭い頭と永い経験をもってしても、これはどうにもならないことだろうか? 芸術というものが、そんなふうに人をしてしまうものであろうか? それも、わからないことはないような気もする。しかし、よしそれが差し当り仕方のないことであったとしても、われわれはそれに抵抗し、そして克服するための努力を捨てるわけには行かないであろう。つまり、冷たく散大した、気味の悪い、そしてまったく荒蕪な「神の視覚」を拒否することをである。それが「小説」を自己崩壊に導くものであるならば、にわかにそうはできないという考え方もあろう。しかし、事実は逆だ。十九世紀以来の小説の歴史は、それ自体として「神の視覚」を拒否して人間の視覚に近づこうとする歴史であったし、現に小説の地盤が人間の視覚に立てば立つほど、小説は人間にとってより興味あるものになり、より喜ばしいものになり、より有用なものになって来つつあるのである。
[#改ページ]

ぼろ市の散歩者 ※[#ローマ数字2、1−13−22]



「よごれた汽車」――中野重治(「人間」十月号)
「吉野さん」――同人(「中央公論」十月文芸特集号)
「夜と日のくれ」――同人(掲載誌を忘れた)
 この二、三カ月の間に右の三篇の中野重治の小説を読んだ。わざわざではなく、自然に目にふるるにしたがって読んだ。どれにも感心しなかった。感心しなかったものについて物を言っても、しかたがないと思っていた。ところが、先日何かのキッカケで、右の三篇の小説のことをかためて一度に思い返して見る機会があった。すると、そこにおもしろい問題がいくつかあることに気づいた。そこで右の三篇の一つ一つを、もう一度読みなおして見た。
「よごれた汽車」は、青森から東北へ走っている夜汽車内の短いスケッチである。引揚者やそうでない老若男女の姿と会話が点描してある。「吉野さん」はそれよりもいくらか長い作品で、戦争中に「わたし」が知り合いになった、一風変ったおもしろい気骨を持ち、英詩を作る老自由主義者のことが書いている。淡々と記録風な書き方がしてある。「夜と日のくれ」は、ちかごろの郊外の夜道が物騒なことをつとめ人の兄が同じく働きに出ている妹の身の上を案じる形で描いたもので、これまたごく短いものだ。
 三つとも、うわついた書き方はしてない。カタギなものだ。しかしヘタな小説だ。それがただのヘタではない。ヘタを気取っているので、読んでいると実に妙な気持になるヘタさだ。しかしそれだけならば、かくべつ新しいことではない。中野が小説を書くのにカタギでヘタで、そしてヘタを気取るのは今にはじまったことではないから、そのことから今特別の刺戟を受けたりはしない。私の考えたのは、それとはチョットちがったことである。それはこうだ。
 この三篇を「小説」と言われても、別に私に反対すべき理由はない。雑誌の小説欄に組んであるから小説なんだろうと言ったふうのシマリのない気持で私は雑誌小説を読んでいる者だから、どんなに小説らしくない物を読まされても、たいがいびっくりはしない。やあヘンテコな小説だなあと思って過ぎてしまう。
 この三篇を読みおえた後でも、なんだかわかったようなわからんような、おかしな小説だと思い、そのわからなさ加減が私に不愉快であったが、それはそれとしてそれ以外に、またそれ以上に、三篇とも小説として何か異様に欠けているものがあるのを感じた。しかも、かなり重要なものが欠けている。その欠けかたまたは欠けた理由または原因として私に考えられたものの中に問題があると思われた。
 第一に、中野は作家であるよりも芸術理論家ではあるまいかという彼についてかねて私の抱いていた見方を、もっとハッキリと強くしたこと。というのは、この三篇の中で中野は、芸術理論を展開する時のように彼のトップのところで、彼のフルのところで動いてはいない。つまり、カンカンになって書いていないのだ。もちろんナメて書いているのではないが、自分の持っている手段と精力のありったけをつくして、そのトッパナのところでノルかソルかと言った式に自分を働かしてはいないのである。中野は理論的展開をやったり、特にポレミックの場合には、それができる人だし、現にやっている。小説を書くのにそれをしないのは、やれないのであろうか、何かの考えがあってやらないのであろうか。どちらにしろ、そのへんに小説家中野の重大な特質も有るようだし、そして彼の小説が重要なものを欠いでしまうのは、そういうところから来ているように私に思われる。
 昔私の知っていた画学生にこんなのがいた。美に対して非常に大きな能力をこの画学生は持っているらしく見えた。絵画に対する彼の鑑賞力や批判力は鋭く、そして、おおむね正鴻を得たものであった。美学や絵画理論について彼が樹立したシステムは相当に高く堅固なものであった。絵を描かしても、うまい、ただし、それはデッサンやクロッキイやスケッチにかぎられた。タブロウは描かない。たまに描いても、まとまらず、未完成に終る。そしては、デッサンやクロッキイに舞いもどってくる。そのデッサンやクロッキイを見ていると、この男が本腰をすえてタブロウを描いたら、どんな良い画ができるだろうと思わせる。しかし、タブロウにかかると、うまく行かない。そういうことをくりかえしていた。そのうちに、デッサンばかり描く絵かきになってしまった。つまり彼の可能性はズット先きにあり、そしてそれが、常に、そして永久にズット先きに置いておかれているかぎり、可能性であり得た。つまりデッサンやクロッキイを描いてさえおれば彼は或る種の画家であり、かつ画家としての自尊心は保たれ得るのであった。同時に彼の絵画理論は彼が到達しただけの高さと完全さを破壊される恐れなく、安全に温存され得るのであった。それはそれでよかった。ところが、そういうことを永く続けている間に、この男は、自分ではまったく意図しないで、また自身気づかないで、抜きがたいポーズに侵されてしまった。それが、ただのポーズではない。その男本来の姿と区別することの困難なようなポーズ、ラッキョウの皮をはいでもはいでも同じような皮が出て来て、どこまで行ってもラッキョウくさいと言った式のものになってしまった。つまり、ポーズが骨がらみになってしまった。そして遂に彼はホントの画家――タブロウに全身をかける者――にはなれないでしまった。しかも、まるきり絵をやめるわけにも行かないので、時々絵のようなものを描き、あとは画論をしたり、後進を指導したり、絵について警句を吐きちらしたり――一言に言っておそろしくキザな人間になってしまった。
 これに中野がすこし似ていると思う。彼の文学理論は或る高さにまで鍛えられたものだ。しかし作品というものは理論だけではできない。すくなくとも理論だけをそのままに放って置いただけではできない。当人のフルのところで、トップのところで、自身の持っている一切合財を対象にぶち当てて行くのでなければ作品はできにくい。そして、とにもかくにも、自分の全部をあげて対象にぶち当てて行くところにポーズは生まれて来ない。醜くかったり美しかったりはしても、キザにはならない。一所懸命な態度からポーズやキザが生まれることはない。中野は自分の全部で小説にぶちあたることをしない。または、できない。彼はいつでも断片を作る。「断片」は或る程度までうまい。しかし「小説」にはなかなか取りつかない。小説はズット先きにあり、そしてそれがズット先きに置かれてあるかぎり、可能性であり得る。つまり彼は断片を書いてさえおれば或る種の小説家なのである。重要な点は、そうしてさえおれば、彼は彼の達している理論的高さや完全さを、ゆすぶり立てないで過ごして行けるということだ。これを彼が全部意識的に――ズルく計算した上でやっているとは私には思えない。計算してやっている部分もあるが、大部分は無意識に、または追いつめられた形で、しょうことなしにやっているのではないかと思う。いずれにしろ、そういうことを久しく続けている間に、当然のこととして、ポーズに深く侵されてしまった。そして今となっては、中野がいてその上にポーズがくっついてしまったのか、シンから底までそのポーズに見えるものが中野の正体なのか、ちっとやそっとでは見分けがつかないくらいになってしまった。それが良いことか悪いことか私にはわからない。しかし、それがそうであるかぎり、中野がホントの小説家――小説に自身の全部をかける者――になり得ることはないように思う。そして、そのような小説家や小説は私にすべてキザに見える。小学生が大学生のマネをするのはキザであるが、大学生が小学生のマネをするのはさらにキザに、二重にキザに見えるし、そして前のキザはわりに治りやすいが、後のキザは容易に治らない。中野の小説は、その後のキザに私に見える。
 実例を一つだけあげる。「よごれた汽車」の中で「女は五十すぎの年配で、上等でない商売をしていた人のような黒い顔をしていた」と言う句がある。「上等でない商売」というのはインバイかインバイ屋のことではないかと思われる。もしそうなら、なぜそう書かないのだろう? 下品になるからか? いや、そうは思えない。それとも、ただ「低級な」または「あまり儲からない」等の意味だろうか? それなら、これまた、なぜそう書かないのだろう? 小説家なら、「ような」と書いても、その想像力の中で何かのイメージや連想を持っただろうし、持つはずだし、そして持ったのであれば、こんな「手前のところで気取った」表現をとる必要はない。いや、だから、これは表現ではないのだ。表現とは、「あえて、踏み込んで、決定する」ことだからである。
 これだけではない。あちらにもこちらにも、この種の表出がある。他の二篇の中にもたくさんある。しかも、これが文章だけのことでは
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