、それについて尾崎の百分の一の苦労もしようとしていないのです。これは、コッケイと言うよりもアワレでしょう。
 つまりこうです。作家尾崎一雄のアミの性質に不平をとなえる事は出来る。となえた方がよい。では、誰のアミが現代のアクタモクタをホントにしゃくい上げることが出来るだろう? 田村泰次郎のアミがそれだなどと言う人があったら、失礼ながら私はひっくり返って笑わなければならぬことも言い添えておきます。
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ぼろ市の散歩者 ※[#ローマ数字1、1−13−21]



 東京の世田谷にボロ市というのがある。
 日をきめて、道の両側に露店の小店が無数にならんで、いろんな物を売る。古着や古道具もあれば、新製品や新発明品もあるし、農具、種苗の類、荒物からナマ物、モットモらしい物からバカバカしい物――たいがいそろっている。一つ一つ見て行くと、みなそれぞれに何かの役に立つ物が多い。しかし、これを一目で見わたして一言に言えばガラクタである。共通して安直だ。売る方は血まなこで売る。買う方はヒヤカシづらで買ったり買わなかったりする。にぎやかなものだ。
 私はこの手のボロ市を好いている。物を買うことはあまりしないが、そういう所を歩いて行くのが好きなのである。われながら、かしこい人間のすることではないと思いつつ、フラフラにくたびれるまで歩く。
 今の日本の文芸界の景色は、ボロ市の景色に非常に似て来た。中味も似て来たようだ。それぞれ何かの役にすこしずつ立つところの安直な品物がおびただしく並んで、にぎやかなことである。見わたしてみると、腰をすえてシッカリと作品を書いている者はほとんどいないのではないかと思われる。
 なんにしろ、市が栄えるのはおめでたいわけである。こういう所を歩いて行くのが私は大好きだ。もっとも、品物は、たいがい買わない。
 この誌面にしばらくの間、私は文芸時評みたいなものを書きつづける予定だが、これは月評にはならないだろう。毎月の雑誌の上に陳列されるおびただしい数の作品に向って、一月々々を単位にして私の注意力をキン張させていると、首の骨や腰の骨を痛める恐れがある。私は作家だ。批評家風のリューマチや神経痛を起すには、まだすこし、早過ぎる。
 ボロ市を歩くには、歩きかたがある。見るような見ないようなふうにして歩くことだ。もちろん、そんな歩きかたをしていたのでは、掘出物は見つかるまいが、そんなことは私の知ったことではない。
 だから、私は、その時その時に、過去三、四ヵ月の間に私が自然に読み過ぎて来た作品の中で、とくに私の注意を引いた作品を論評する。論評と言っても、かならずしも作の是非を言い立てたり、価値を上下しようと言うのではない。私という一人の人間が、それらの作品をどんなふうに読んだか、読みながら何を感じたか、読みおわって何を考えたか、と言ったふうのことをのべる。
 一貫して私が守りたいと思うのは、あくまで作品自体に添ってものを言うという方式だけである。

「ひさとその女友達」――広津和郎(『中央公論』十月文芸特集号)
 広津和郎が久しぶりに書いた(久しぶりではないかも知れないが、私の目に触れたものとしては久しぶりであった)この小説の題名と名前を見た時には、大変嬉しかった。誇張して言えば胸がすこしドキドキしたくらいである。期待と危惧が半々に入れまじっていた。「よい小説であってくれ」という気持と「どうせまた下手クソだろう」という気持が入れまじっていた。そして読んだ。
 しばらく前に私は広津の大概の小説が下手クソであり、そして何故下手クソな小説を彼が書かざるを得ないかと言ったことがある。「ひさとその女友達」は下手な小説ではない。私は非常に嬉しい気持で私の言葉を撤回する。いやいや、そうではない。下手は相変らず下手だ。それでいてこの作品がよい小説であることをさまたげていない。下手な小説がよい小説と言えるであろうか?
 そうなのだ。言葉のそのような使い方に私自身がひっかかっているのだ。いや、言葉というもの自体が、このように人をひっかけるものなのだ。世の中には「ヒョットコ面の好男子」も存在している。「下手な、よい小説」があって悪いわけはなかろう。ただそれには説明を要する。実は先に広津の小説が下手クソだと言いきった私の言葉の中にもこの意味が含まれていなかったわけではない。そのことを此処でもうすこしくわしく述べ、あわせて話をもうすこし前へ進めて見る。
 最初に打たれたのは、この小説の持っている実在感である。最後までそれは非常に力強く確かな形で持続する。女給上りのひさという中年女が、その人の好い平凡な――アヴェレヂな日本人大衆の中の一人の女として戦争中から戦後をウロウロと生きて来て、現在梶野というぐうたらな男を相手に暮している姿。生活に対して相当勘定高い考えを持っていながら、実際においてはその時々の波風や感情にほだされ流されやすい人間タイプの把握。それの対照として、彼女の友達の加代子という、どんな波風や男達の間をくぐって来ても、ケロケロと何の手傷も負わない、その時々の生活をまったく無軌道にやっていながら、結局は人生でトクばかりして行く女と、その夫の宮崎という、これも加代子に似たような性格のモデリング。この二組の男女の線が、戦争中から戦後へかけてのあわただしい時代を背景にして、一しょになったり離れたりしながら奏でてゆく庶民生活の、あわただしいような、どうでもいいようでいて、実はどうにもならない、意味があるようなないような、日常生活の歌……。それらがまるで作者が描く前からそこに在るような気がするのである。まず人々の生活がそこにあり、作者の筆はただそれを追いかけているだけだという感じがする。実は作者の筆こそ我々を導いて、そのような人々の実体を見せてくれているのだが、読んでいての感じは逆になる。運慶が大木で仁王像を彫っているのを見ると、もともと大木の中に仁王がいたのを、運慶はただそれを外へ取り出すために、余計な木くずを削り落しているだけであるように見えたということを或る人が書いていた。いくらか、あの話を思い出させる。広津のノミの切れ味は鈍い。速度も遅い。したがって我々が期待するような鋭さや速さでは人間像は浮び上って来ない。歯がゆいようにノロノロとそれらは筆の先から出て来る。しかし確かに出て来るのだ。それはそこに在るのだ。生きた人間がそこにいる。この実在感は疑いようがない。何はなくともこれさえあれば小説家として欠けるところはないとも言える。これさえあれば、ホントの意味では下手だとは言えないし、下手だと言われて、さしつかえない。しかし、
「その上に人生で羞恥心などといふものは疾くの昔に何処かに置き忘れて来てしまったような梶野は、隣室などには何の遠慮もなく破廉恥に振舞はうとする。それがひさには何より厭であった。」
 と言ったようなネボケタ抽象的な叙述で、この女の相手の男に対する性的嫌悪ならびに隣室に対する気持の抵抗などのジカな実感を読者に与え得ると作者は思っているのだろうか? 部分々々でジカな実感を読者に与えないことを作者が何かの目的のために意識して意図しているのであったら、これはこれでよいとも言える。しかし、この作品でこの作者がそのようなことを意図しているのだとは思えない。ただ無意識にそうしているだけである。よって来るところはまずこの作家の感覚の鈍化だ。次ぎに文章的表現についてのモノグサである。二つとも根本的には現実に対する「火」の消耗から来ている。大事なことは島崎藤村におけるがような、部分々々の描写におけるなまなましいものを回避することによって、全体としての、より大きな現実感を生み出すという方法から、これは区別されなければならない。広津が意図しているものは藤村あたりとはまったく違うと見てよい証拠があるからだ。それ故に私はこれを「下手クソ」と見る。そして下手クソはあらゆる場合に好ましいものではない。「ひさとその女友達」から、その他の弱点や、更に多くのすぐれた点を拾いあげることはできる。しかし、それらはさまで重要なことではない。そんなことよりも、この小説から私が考えたことでもっと根本的な、もっと一般的なことがあるからそれを書く。
 それはこの小説の「古さ」とこの小説における作者自身の自我の位置のことである。もちろんこの二つは相互に関係している。

 先ず古さについて言うが、たしかにもう古い。古いことが善いか悪いか私は知らないし、また、善い悪いを言って見てもしかたがない。ただ、とにかく、全体の構成も部分々々の切りこみ方も、それから文脈も、文章もそれらのテンポも、それから、ひさ夫婦と加代子夫婦の対位法風の処理のしかたも、古い。それが私のセンスに抵抗を感じさせる。「時代」を感じさせる。小説は文芸の中で一番今日的なセンスのものであろうし、ありたがる形式だ。今日的センス(私のセンスが百パーセント今日的なものであると独断しようと言うのではない。しかしこれは説明する機が来るまでそのままにしておく)に無益に抵抗する古さは、小説として長所とは言えまい。しかし、古さがそれだけならば、多分、この作品の決定的な弱点にはならないだろう。困るのは、その古さが、もっと根本的なものにつながって生まれて来ている点にある。それが、つまり、作品の中での作者の自我の位置のことだ。
 作品と作者の自我の関係と言ってもよい。それが古いのである。そしてこの場合の古さは、私から言うと、まちがった古さなのである。
 作者は、神の如く「下界を見おろして」書いている。神は下界の人間たちを一視同仁にあわれみ、愛し、許しているということは、一視同仁に軽蔑し憎み断罪していることだ。つまり「天に在って」下界に対しては平等に冷淡なのである。作者自身の人間的な「我」は、どこで呼吸しているかわからない。「てめえの料簡」がその時どうなっているかわからないのである。「自然主義的鉄のカーテン」である。十九世紀文学が築きあげたところの「偉大にして、散大してしまった視覚」である。その最大の実現者としてモーパッサンがいる。彼はすぐれた小説を書いた。そしてそれらの小説の中で彼自身の自我にとって重要なことを処理しようとしなかった。処理することを欲しなかった。そのため彼の自我の問題――宗教上の信仰からジフリスに至るピンからキリまでの自我の問題は、全部おいてけぼりを食い、ゴミのように彼のうちに溜って腐りはじめた。その毒気にあてられて彼は死んだ。モーパッサンを殺したものが、単純なジフリスや過労や過敏であるとは私は信じられない。ホントは、それらをも含めたところの、解決されざる自我の問題の蓄積の腐毒にあてられて死んだと思う。そして、モーパッサン式の自然主義的文学方法は、そのような意味で、すべての作者を殺す。死なないでいる自然主義作家は、症状が初期であるか、自然主義者として純粋でないか、ナマケモノであるからだ。広津が死なないのは、初期のためではないだろう。自然主義者としては純粋でないもの――つまり、もっと広い社会性だとか理想主義的な要素をあわせ持っているからだ。それに、ナマケモノであることも、事実だ。すくなくともモーパッサンほど小説を書くことにキンベンでないことは事実だろう。とにかくモーパッサンと小説との関係と、広津と小説との関係は、実はちがう。だのに小説を書く時に広津が取り上げる方法はモーパッサンの方法である。そこに問題があり、ここから困りものの古さが生まれて来る。
 先に私は広津について「あれだけすぐれたヒューマン・ドキュメントを書き得る広津が、何故にこのように下手な小説を書くか、また書かなければならないか」と書いたことがあるが、それがこのことに照応する。ドキュメントやエッセイの中で、彼は人間としての自分の高さに立って、同じ高さの平面に立っている人間を眺め、ものを言いかけ、語る。だから他の人について語る場合にも、その中で彼は彼自身の自我の問題を処理している。表現は「他」と「我」との切線の上にうち立てられている。別の言葉で言えば客体と主体が
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