あって、はじめてザッハリッヒが生まれる。別の言い方で言えば、現実を認識するにあたって、自我が燃焼して現実が再編成され再生して、はじめて冷たい事実以上にリアルな現実感が生れる。たとえば、志賀直哉は「真鶴」の中で、対象を見つめ抜いて、それを「自」か「他」かわからぬところまで追いつめて、最後に「決定」している。ために、主人公の子供は、ザッハリッヒに生き動いているのである。(――実は、それが「表現」の本質であると私は思う。)「あ号」は、そのいずれでもなく、しかも、右のようなドキュメントとフィクション双方の持ち得るメリットを二つながらあわせ取ろうとした作品だと思う。非常な慾張りだ。慾張りは大いに結構である。しかし双方が二つながら中途半端に――つまり失敗しているために、互いが互いを相殺して、プロバブルな実感しか生れて来なかった。
そして考えるのは、ドキュメントとフィクションは、もしかすると結局は、一緒にすることのできないものではなかろうかということだ。どこまで行っても相殺するのではなかろうか? つまり、それぞれ、いずれか一つに徹底する以外に、ザッハリッヒを生み出すことはできないものではなかろうか。
ハッキリした答えは私にはない。しかし今のところ、そんな気がする。この点については、ハンス・カロッサの小説が提供している方法などを参照しながら考えて見る価値があろうし、また、実作品において、阿川弘之および新しいたくさんの作家たちが、実践して見る価値があろう。もし万一、ドキュメントとフィクションが同時に採用されて双方が相殺しないばかりでなく、互いに互いが作用し合って二プラス二が六になるようなザッハリッヒを生み出すことができるようなことになれば、小説のための新しい広大な境地が開けるだろうと思う。
この作品について、もう一つ言い加えて置きたいことは、作中の青年たちが、ほとんど全部、あの戦争中、戦争の中心地帯に生きながら、戦争に対してひどく冷淡であるように書かれているが、私にはこれらの青年たちが戦争を肯定するにしても、否定するにしても、ここで書かれているような熱度の低さで生きていたとは信じられない。それは事実でなかったような気がする。実は作品全体がザッハリッヒな力で私に迫って来なかった理由の一つに、それがある。つまり作者は、その点でほしいままに事実をまげているのではないだろうか。またはそこのところだけを抜かして書いているのではあるまいか。そして、もし、この点で、現在こういう時代になって来たための、作者の意識的無意識的なデフォルメーションが加えられているとするならば、私は賛成できないし、これまた作者の「記録者」としての弱さ、「小説家」としての甘さの証拠だと思う。
以上の私の考察は、直接にはこの作品についてのさしあたりの感想であるが、同時に、近来盛んに試みられている記録物やルポルタージュ作品一般に或る程度まで共通して考えられることだろうと思いつつ、これを書いた。
底本:「叢書名著の復興1 恐怖の季節」ぺりかん社
1966(昭和41)年12月1日第1刷発行
底本の親本:「恐怖の季節 現代日本文学への考察」作品社
1950(昭和25)年3月25日発行
初出:大インテリ作家「群像」
1949(昭和24)年2月号
小説製造業者諸氏「群像」
1949(昭和24)年2月号
『日本製』ニヒリズム「群像」
1949(昭和24)年5月号
ブルジョア気質の左翼作家「群像」
1949(昭和24)年6月号
落伍者の弁「群像」
1949(昭和24)年7月号
或る対話「群像」
1949(昭和24)年8月号
ジャナリストへの手紙「群像」
1949(昭和24)年9月号
恐ろしい陥没「作品」
1949(昭和24)年10月号
小豚派作家論「文藝春秋」
1950(昭和25)年1月号
ぼろ市の散歩者「中央公論」
1950(昭和25)年1〜2月号
※「ロシア」「ロシヤ」、「スロオガン」「スロウガン」、「マキアヴェリ」「マキァヴェリ」、「ハンデキャップ」「ハンディキャップ」、「むずかしい」「むづかしい」、「ずつ」「づつ」、「サボって」「サボッて」などの混在は、底本通りです。
入力:伊藤時也
校正:伊藤時也・及川 雅
2008年12月12日作成
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