、それは共産主義がまちがっているのでは無くて、おれ自身が共産主義者としてホントにきたえられていない……つまり百パーセントになっていないからだ」と、あなた方は考えますね? つまり、あらゆる共産主義者は自分が百パーセントに成り得る可能性を自分のうちに認めているのです。それは、結局、百パーセントであるということと同じことです。ところが、此処に当人自身が自分のことを十五パーセントと思い、そしてこの十五パーセントはどこまで行っても百パーセントにはなりっこ無い、仮りに九十九パーセントの所まで行ったとしても最後の一パーセントの所で、それまでの九十九パーセントが全部崩壊する、するかもわからないと思っている人がいるとします。そう思っている人が、安心して、主義者になり得るでしょうか? なり得ないと私は思います。そして、たいがいの芸術家はそのような人です。
A それでは、あなたは、キリスト教の牧師でいながら共産主義者になった赤岩栄さんのことを、どう思いますか? あなたの言っていられることに、多少関係がありはしませんか?
B あります。赤岩栄さんの考えや、なすっていることは、まちがいです。それをあの人は、まじめに誠実になさっているようです。ですから、お気の毒です。
A なぜですか?
B あの人は、自分のぞくしているキリスト教会に対してイラ立っただけなのです。社会革命や社会運動を、なぜしないんだ! と言って、イラ立ったのです。しかも、キリスト信者になり教会にぞくするようになったのは、もともと彼自身が進んでなったのです。つまり、彼自身が教会なのです。だから、イラ立っているのは、自分が自分に向ってイラ立っているのです。自分が自分にイラ立つのをヒステリイと言います。ヒステリイ患者は、発作を起すと、カラダを弓のようにそらせて、ところきらわず卒倒したりします。しかし、もっとよく観察してごらんなさい。どんなに激しく卒倒する時にも、火の上や針の上や机の角などに頭などを打ちつけて、自分の生命を危くするようなケガはしません。そんなふうには卒倒しないのです。「やむにやめない」卒倒の瞬間にも、自分が何の上に倒れるかをチャンと知っています。計算しています。赤岩さんを見ましょう。彼が共産主義者にならざるを得なかったのは「やむにやめない」ものだったようですが、彼は何の上に倒れたか? ジュータンの上に倒れました。彼は著名なる文筆家ないしは座談会出席者になりおえました。そして、むやみとオシャベリばかりしております。そのオシャベリも、ヒステリイ患者の発揚時における状態に非常に似ています。赤岩さんが文筆家や座談会出席者になる代りに、だまって、どこかの労働者町のセッツルメントか、「アカハタ」発送係りになってコツコツ働いていたら、われわれは別の見方をすることが出来たでしょう[#「出来たでしょう」は底本では「出来たでしよう」]。つまり、ヒステリイだと見た見方を修正しなければならなくなったでしょう。その点、残念でした。次ぎに、すこし虫が良すぎると思います。そこの所もヒステリックです。なぜなら、マルクシズムにとっては、宗教は「アヘンなり」です。宗教者にとってはマルクシズムは「毒薬なり」です。もちろん、アヘンとは別の猛毒らしい。その二つの、種類のちがった毒薬を、「赤岩栄」という一本のビイカアの中に一緒に入れて、かきまわしたり、ゆすぶったりして、何か有用な薬品を作り出そうとしているのです。無理な相談ではないでしょうか。それに、大体、「神」と言う、うらやましいものを持っていて、(彼がホントに神を持っているかどうかも、私には疑わしく思われる。しかし彼自身持っていると言っているから、しばらくそれを信じておきましょう)赤岩さんは、何が不足なのですか? 「神」では社会革命が出来ない、いいかえれば大多数の人間が「神」だけでは幸福にはなれないからですか? そんなことはないでしょう。キリストさんは、社会改革を禁じていません。むしろ、それをすすめ実行しています。場合によって「共産主義的」な位に。だから、赤岩さんもキリストと共にそれをやって見たらよいではありませんか。それをしないで、いきなり、その神やキリストの公然たる敵対物であるマルクシズムを採り上げるのは、どういうのでしょう? それは、結核患者が自分のタンの中に結核キンが絶えないのにジレて、コールタールを飲んでしまうような事です。かわいそうに! 同情します。しかし同時に、それは、あまりに虫の良過ぎる愚かさだと思います。そんなバカな事をしていると、人は死ぬか、死ぬような目に逢いますよ。見ていてごらんなさい、赤岩さんは遠からず、マルクシストとしてもヘンテコなマヤカシ物になり、キリスト者としてもヘンテコなマヤカシ物となります。別の言い方をすれば、マルクシストとして共産党員達の集会に出ては、同志達に向って「悔い改め」をすすめたり、代々木の共産党本部の中に教会を建てることを主張したりして、牧師としてキリスト教の集会に出ては、信者たちにひざまづいてインターナショナルを合唱するように命じたりするようになるでしょう。もっとも、すべての状態がゆるやかな間は、マルクシスト達もキリスト信者達も赤岩さんの熱心さや誠実さに免じて、微笑しながらそれを許して置くでしょう。しかし状勢がキンチョウして来れば、許しては置かないでしょう[#「置かないでしょう」は底本では「置かないでしよう」]。なぜなら、それは本質的に敵同士の関係ですから。すくなくとも、その双方が互いに相手方を敵だと思っている関係ですから。それは、ちょうど、ふだんの時ならヒステリイ患者が発作を起して大騒ぎをしているのを、たいがいの人が許して置けますが、ひとたび火事騒ぎになれば、しかた無く、その患者をうっちゃって置くか、踏んづけて消火活動をしなければならなくなるのと同じです。赤岩さんという方は、どちらかといえば善い方のようですから、イザという時にあんまりひどい目に逢わしたく無いものですねえ。もっとも、すべてのヒステリイ患者にとって、発作を起すのは、結局は彼の「幸福」の一つです。ヒステリイはエギジビジョナリズム(露出症)の一種ですから。赤岩さんも、かなり強いエギジビジョナリズムを持っていられるようですから、発作を起すのが彼の幸福である限り、やめられないであろうし、やめなくともよろしいでしょう。しかし、世の中が火事騒ぎのようになり、マルクシズムとクリスチャニズムとの関係が或る程度以上にキンチョウした中で、良い気になって発作を起して卒倒したりなさると、そこには必ずしもジュータンは敷いて無い、もしかすると頭を叩き割るような角石がころがっているかもしれないという事は、知っていられる方がよいと思いますね。世の中の火事騒ぎが今後起きない見通しよりも起きる見通しの方が多いのですから尚更です。
A そうすると、あなたの考えでは、赤岩さんはどうすればよいと思いますか?
B それを聞くのですか? ザンコクだなあ。では、たいへんセンエツですけど私の考えを言います。先ず、落ちつかれるとよいと思います。それには、ご自分のオシャベリを先ずやめられることです。ヒステリイ患者というものは、自分のオシャベリで自分が昂奮するものですから。また、それには「自分は先駆者だから受難するのだ」と言ったようなゴーマンな受難者意識を捨てられることです。ヒステリイ患者は一人残らず自分のことを「受難者」だと思っているのが通例ですからね。そして、勤労大衆を愛しているなら愛しているように、パリサイびとのように机の上や人なかでヘリクツを言い立ててばかりいないで、実際に勤労大衆のために働いてほしいと思います。こう言うと、自分が今おシャベリをしている事が一番勤労大衆のためになるのだといったふうに赤岩さんは言われるかもしれませんね。そらそら、パリサイびとにシンニュウがかかった。私の言っているのはそんなむずかしいソフィストリイの事ではありません。もっと単純なことを言っているのです。実際において勤労大衆を愛し、そのために働いて見せて下さらないでしょうか。赤岩さんはキリスト者ですから働ける筈です。そしてそれでよければ、それでよいではありませんか。そして勤労大衆のために働くために、共産党とでも何党とでも協力することが必要な時には協力したらよい。共産党であろうと何党であろうと、是々非々式にこれにのぞめばよいのです。それが出来ない筈はありません。いやそうする事が彼にとって最も自然です。自然なのが良い。スタンドプレイはみっとも無いし、永続きがしないでしょう。もしまた、実際的に働いて見た上で、マルクシズムに非ずんば、結局は勤労大衆の幸福をもち来らせることが出来ないという結論が生まれたら、自分のクリスチャニズムを批判し、否定なさるんですな。批判し否定できますし、批判し否定せざるを得ないでしょう。そしてキリスト者で無くなって、共産党に入党なすったら、いかがでしょう。そうなれば、マルクシズムにさんせいな者も不さんせいな者も「雨の降る日は天気が悪い」といった式に自然な出来事としてこれを眺めることができるのではないでしょうか。キリストの神を捨てないでマルクシストになるなぞと言うゲイトウは、普通の人間に「雨の降る日は天気が良い」ことをみとめさせようとするような事だと私に思えます。
A あなたの意見は極端すぎます。片寄っています。だから、まちがいですよ。なぜなら、共産党は今は大衆政党です。個人がどんな人生観を持っていても、また、どんな信仰を持っていても、共産党の方向にさんせいならば入党できるのです。現に、「税金が高すぎるから」と言う理由で入党している人もいます。赤岩さんがキリスト信仰を持ったまま入党しても、党員としてチャンと働いて行けば遠からずキリスト信仰を捨てることになる筈ですから、チットもさしつかえ無いのです。
B 同じ事ではありませんか。それに、赤岩さんはマルクシズムも相当べんきょうした人のようです。「税金が高過ぎるから」という理由だけで入党する人とは、おのずからちがいます。彼自身がそれを明言しています。あんまりキチガイじみた事はなさらない方がよいだろうと思います。
A キチガイじみてる? 何がですか?
B だってそうではありませんか。一方において天理教を信仰していながら同時に一方においてジコウ教を信仰することは、普通の人には出来ないでしょう[#「出来ないでしょう」は底本では「出来ないでしよう」]。
A それはタトエがまちがっている。赤岩さんの場合はマルクシズムとキリスト教です。そしてマルクシズムは宗教では無くて科学です。
B マルクシズムは科学ではありません。一般に、それを見る人の立場の相異によって認識や評価がちがって来るような思想は、科学ではありません。マルクシズムが、他の社会思想にくらべていくらかよけいに科学「的」であるとは思いますが、科学ではありません。それは一個の観念体系です。
A いずれにしろ宗教では無いですよ。
B そうです、それ自体宗教ではありません。しかし、それが一個の観念体系であるという点で(なぜなら、すべての宗教はそれぞれ一つづつの観念体系ですから)、宗教に似ています。しかも、人がマルクシズムを是認し信じて、それを実践しはじめた瞬間から、その人とマルクシズムの関係は、信者と宗教との関係と全く同じことになります。したがって、生きた人間が、それを実践の綱領または規準として把持しはじめた瞬間から、その人にとってマルクシズムは宗教と同じものになるし、また、そうならなければ、実践的な力は生まれて来ません。だからこの場合、赤岩さんにとっては信仰する宗教が二つ出来たと見てさしつかえ無いのです。そして、それは普通の人には出来にくい事です。だからキチガイじみていると言いました。
A キチガイとまちがいか。まちがいだな、あなたの考えは。しかし今はその点にふれないで置きます。赤岩さんのことはそれ位にして、森田草平さんや出隆さんや内田厳さんや、その他いろんな文化人がたくさん共産党に入りつつある現象をあなたはどう思い
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