して君は多分、二度三度とは見に行かなくなるにちがいない。それでよい。
 第三に、「しかし自分たちは演劇を勉強しているのだから、その参考のためにも、それから先輩たちの経験から滋養分を摂取するためにも、やっぱり見なければいけないのではないか」と言ったような考えをスッパリと捨てたまえ。それは「自分は女について知りたいからパンパンを買わなければいけない」と言ったような考えと同じで。パンパンを買わなくても女のことは知ることが出来る。演劇の勉強は猿が物マネをするのとは、ちがう。この生きた現実の人生が劇のお手本だ。学んでよいのは人生だけである。それに、これらの「先輩たち」は、よい気になってゴマカしているけれど、演劇芸術家としてのウンチクや経験など大したものは持っていない。たいがいお寒いものか、デタラメか、コケオドカシである。彼らの内幕や経歴をかなりよく知っている私が言うから、信用してくれてよろしい。
 第四に、既成の新劇人たちの指導による演劇学校や研究所の生徒や研究生になるのは、よしたまえ。既になってしまった諸君は、明日からそこへ行くのをやめた方がよい。なぜなら、そのような指導者たちの学識や内容は、たいへん貧弱なものであり、かつ、彼らが諸君を集めて講義したりしているのは、演劇に対する愛や若い世代に対する責任感のためと言うよりも、「演劇師匠」としての世渡りの手段や自己の勢力を保持するための方法や自己の属するイデオロギイや党のために貯水池を作るための段取りであったりする場合の方が多いから。やめるのは早ければ早いほど良い。そして、勉強したければ、諸君たち自身が横につながって仲間を作り、共同研究をやりたまえ。それで足りない所は、諸君の総意が指すところに従って、信頼し尊敬することの出来る先輩だけを招いて話を聞きたまえ。
 第五に、諸君が新劇をはじめるとしても、当分の間、公演活動をやることを急ぎたもうな。前にも書いたように、このデコボコのインフレが或る程度までおさまらない限り、演劇公演は合理的な形では成り立たない。成り立たないものを、無理にやろうとすると、諸君は不当に大きなギセイを払わなければならなくなる。だから急がぬがよい。そして主として研究活動と、会員制による試演会に集中するがよい。そしてその間、なるべく諸君は他に仕事を持ち、それでもって最低生活を堅固に支えながら、やった方がよい。
 第六に、非合法の手段や暴力によらないところの、あらゆる手段と勢力をつくして、既成の新劇を叩きつぶすことに努力したまえ。老衰して歪んだまま諸君の前に立ちはだかっている既成新劇は、諸君のジャマになる。そのようなものを叩きつぶすことは、若い世代の若い魂の特権である。勇気を出すがよい。叩きつぶして惜しいものは、今の新劇の中には、ほとんど無いのである。
 新劇とは、もともと、演劇の領域に於ける若々しい魂による革命運動のことである。そうであってこそ、はじめて、新劇運動は日本文化芸術の第一線に立つことができるであろう。そしてそうなったら、新劇を除外しては日本の文化や芸術を語れないことになるだろう。そのために諸君は不当に諸君を圧迫したりジャマしたり「指導」の名のもとに支配しようとする力に向って闘いたまえ。演劇芸術の前ではどんなにでもケンソンになることを辞さないと共に、演劇芸術の名によって「偶像」を諸君に強いようとするものをガンコに拒否することを辞したもうな。そして、もしできるならば、そのような諸君のうしろから私も歩いて行き、諸君の仕事に私もつながって行きたい。しかし、もちろん或る意味で既成の新劇の中から育って来たために、自分では気づかないでそれの残りカスをまだ身につけているであろう私のようなドラマティストをも叩きつぶす必要があるのならば、諸君から叩きつぶされても、私は、うらみには思わないであろう。
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或る対話

A……或る共産主義者
B……私


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A あなたは、どうして共産党に入らないんですか?
B あなたは、どうして棺おけに入らないんですか?
A あなたの書いたものを読み、会って話していると、あなたの思想はひどくアナーキスティックだが、同時に、一面、共産主義にたいへん近いんだがなあ。
B あなたに会ってこうしてあなたを見ていると、あなたのオナカはふくれ過ぎていて、そのままでは寸法が余るだろうが、同時に一面、あなたのカラダは棺おけに入るのに適当なかっこうをしているがなあ。
A からかってはいけません。私はマジメに言っている。
B からかってはいけません。私もマジメに言っています。
A ホントに、共産党に入りませんか? おすすめします。
B どうもありがとう。御好意に感謝します。
A それでは、入りますか?
B いや入りません。
A では、どうしてありがとうなどと言うんです。
B もちろん、あなたの御親切な気持に対してお礼を言っているんです。
A ですから――
B あなたはチャキチャキの共産党員でしょう。そして、そういう人は一般に、自分の主義や党が、すべての主義や党の中で一番りっぱなものだと信じているのが普通です。あなたもそのようですね。あなたがそれ程りっぱなものだと信じていられ、そしてあなた自身その中にいられる所へ私を入らないかとすすめてくださっているんですもの、これは大きな御親切です。御親切に対してお礼を言うのはあたりまえでしょう。それと、その御親切を受けるか受けないかは、別にしてはいけませんか? No thanks. という言葉がありますね。この事をもっとよくあなたにわかってもらえそうな実例が一つあります。聞きますか?
A 聞かせて下さい。
B 終戦直後、新日本文学会というのができた前後のことです。徳永直さんが手紙をくれて私にも加入をすすめて来ました。私はいろいろ考えた末に、加入しないことに決めて、徳永さんにそう返事しました。するとまた手紙をくれました。その手紙と共に使いの人まで来てくれました。手紙には親切な言葉が書いてありました。同時に「君が参加してくれないと、演劇関係の参加者がまとまらないから」というコッケイな言葉も書いてありました。私は、その親切な言葉に感謝し、次ぎにそのコッケイな言葉に腹をかかえて笑いました。徳永さんが「君が参加してくれないと云々」と言ったことは、いろんな意味にとれます。そのいずれの意味にとっても徳永さんの善意から出たことがわかります。それでいて、私には、それがコッケイで大ゲサに思われて、笑ってしまったのです。つまり、こうなんです。「三好が参加しないと演劇関係から新日本文学会へ参加する人がまとまらない」と言うのが、先ずウソです。私はそんな有力者ではありません。だのに徳永さんは、どうしてそういう言い方をしたのでしょう[#「したのでしょう」は底本では「したのでしよう」]? それは徳永さんが文学や文学者を「政治的」に見たためのように思われるし、また、自分自身を指導的な「くちきき」であると思ったためのようでもあるし、同時にまた、ヤリテババア式とも言えれば親分式とも言えるデマゴーグ的習慣に陥っているためのようにも考えられました。そして、私は腹の中で「徳永さんよ、ゴールキイごっこはよいかげんにしてくださらんか」と申したわけです。私もツンボやメクラでは無いから、まだいくらか見えもすれば聞こえもします。自分が良いと思い先方が良いと言ってくれれば、ヤリテババアの口車などに乗らないでも、新日本文学会だろうと旧日本文学会だろうと、入るぐらいのことはできます。だから笑ったのです。笑う以外のことが私にはできませんでした。だって、とにもかくにも人さまがその人なりの善意と親切心から言ってくれることに対して、怒るわけには行かないではありませんか。そんなわけで私は、その徳永さんの親切にありがとうと述べ、しかし参加するのは、さしあたり見合せておきたい、その理由は「今までの自分の事を考えてみると、きまりが悪いから」とだけ書いて返事を出しました。……そんな事がありました。この話のどこかが、あなたの御参考になれば仕合せです。
A いやあ、どうも、あなたもヒネクレたもんだなあ!
B 徳永さんの場合? あなたの場合?
A どっちもですよ。
B そう、ヒネクレたと言われれば、それもしかたが無い。自分では、それほどヒネクレタような気がしないけれど。だって、徳永さんの場合もあなたの場合も、入れ、入れとすすめているのはそちらで、こちらは、ただ、入りたくないと言ってるだけなんだから。それを、そちらでいろいろに言うもんだから、こちらもいろいろ言わなければならなくなっているだけだもの。それをヒネクレたなんて言うのはセッショウだなあ。
A では、私もソッチョクに言いますから、あなたもソッチョクに答えて下さい。
B 承知しました。
A あなたが共産党に入らないのは、なぜですか?
B 私が共産主義者でないからです。
A あなたはあなたが共産主義者でないことが、どうしてわかりました?
B 共産主義の理論をかじりましたから。
A しかし誰にしたって、はじめから共産主義者では無いでしょう[#「無いでしょう」は底本では「無いでしよう」]。あなたのカジった共産主義理論は、まちがった、悪いものだと思われたんですか?
B そうは思いません。なかなか正しい点や善い所もありました。まちがった点や悪い所もありました。書かれたり説かれたりしている限りでは善い所の方が多うござんした。
A だのに、なぜ共産主義者にならなかったのです?
B そんな無理を言っては困ります。百グラムのビフテキに〇・一グラムのクソが付いていても、あなたはそのビフテキが食えますか? いやいや、あなたなら多分、そのクソの付いた所だけを切捨てて、残りの肉を食うかもわかりませんね。しかし、食えない人間だっております。私も食えない人間なのです。
A あなたは何を言っているんです。
B 私が芸術家であるということを言っているんです。また、芸術家になりたいと思っている人間であることを言っているんです。と言うのは、芸術家の仕事は、その〇・一グラムのクソを問題にする所から[#「問題にする所から」は底本では「問題にすも所から」]はじまるものですから。それがなぜそうなのか、ハッキリしたことは私にもわかりません。すこしはわかりますけれど完全にはわかりません。ですから、さしあたり、そういう生れつきの人間もいるのだとでも言って置きましょう。そういう人間は、あらゆる主義者にはなれないようです。共産主義者になれないだけでなく、その他のどんな主義者にもなれません。主義者「的」にはなれますが主義者にはなれないのです。なぜなら、あらゆる主義というものは、九十九・九グラムの肉の所だけを見て、それが全部だと見なす(仮定する)のでなければ成り立たないものだからです。〇・一グラムのクソを「認め」た瞬間に、あらゆる主義は根本的に崩壊するものだからです。
A わかりました。それはしかし、芸術家が主義者になり得ない理由としては、おかしいと思います。と言うのは、たとえば共産主義を例にとれば、初めから百パーセント共産主義者など居るわけが無いし、また、初めからでなくても、いつでも、どこにも百パーセント共産主義者はいないと思うのです。それがいるかのようにあなたは思っており、そして自分がそうは成り得ないから、共産党に入れないと思っているようですが、それはあなたの観念的な理想主義的幻想ですよ。実はあなたの言う「的」でよいのですよ。主として何「的」に人間や社会や世界を眺めるかが重要な点です。
B あなたの言う通りでしょう。しかし、他人から見て七十八パーセントの共産主義者でも、また、十五パーセントの共産主義者でも、当人自身は百パーセントと思っているでしょう? すくなくとも、百パーセントに成り得ると思っているのでしょう? そうでなければ理窟が通らない。つまり「おれは共産主義的に世の中を見、行動している。これは正しい。まちがっていない。もし、まちがっているならば
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