」は底本では「話しょうで」]極くこの――
三芳 あたってみて下さいよ、なんだったら? 内の所員をいっしょに見に行かしてもいい。
ツヤ あのう(と、出しぬけに言う)私、今夜、北海道へ帰ります。
大野 う――?
ツヤ (三芳に)一度、北海道に帰って来ます。
三芳 ……そうかね。そりゃ君の自由だろうけど――しかし家内には相談したのかね? どうせまた、この家にもどって来るんだろうからそのへん、あんまり自分勝手になにされても――
ツヤ いいえ、お宅へはもどらないの。こんだ上京する時には、友達んとこに行くことになってるから。
三芳 そうかね。……そりゃ好きなようにしたら、よいだろうが――しかし急にまた、どんなわけで――?(ツヤ子返事をしない)どういうんだい? え?、
ツヤ ……気がヘンになります。
三芳 え? 気がヘンに――?
大野 ハッハハ、はじまったね。内にいた時もチョイチョイこれ式だった。ヘンになるんじゃなくって、はじめっから、少し君あヘンじゃないかね。ヘヘヘ、なんだなあ、アブノーマルというんだなあ。ハハ、第一、君、さっきから見ていると、そうやって、米の袋を腰にぶらさげてだなあ、とにかく、ツヤ君みたいなベッピンさんのすることじゃないね。
ツヤ ヘドが出たくなるのよ。
三芳 ヘドが? ……なにかね、胃が悪いの?
ツヤ とにかく、北海道に帰るわ。
三芳 好きなようにするさ。そりゃ。しかし、なんだぜ、どこへ行ったって、今のように困難な生活で、君みたいにそんな、つまり、いっしょに生活している人間との共同生活においてだなあ、この連帯性だね。つまり、ほかの者と仲良く助け合ってだな、暮していこうとする気がなくては、困るんじゃないかね?
ツヤ ええ。
三芳 社会的な教養がまるでないんだから、むつかしいことがわからないのは無理もないけど――とにかく、その病的なところを、なおさんといかんなあ。
ツヤ 私、病的でしょうか?
大野 ハッハハ、ヒヒ!
三芳 病的だよ。第一、君、たとえば、その米の袋にしたってだな、そんなふうに寝てもさめても、ぶらさげているなんて君、少しキチガイじみすぎるよ。
ツヤ だって、これは私のぶんですもの。
三芳 そりゃわかってるさ。君のぶんを、誰も無理やりに取って食おうとはしないんだから、なにもそんな――
ツヤ だって、誰も取って食わないのが、台所に置いとくと、すぐに半分ぐらいになってしまうのは、どういうわけ? さっきも、奥さんが私にだまって取り出して、たこうとなさってるのよ。
三芳 そりゃ君、時によって内でも切らすことがあるんで、そりゃ君、こうしていっしょに生活していりゃ、それくらいお互いに助けたり助けられたりするのは当然で、それくらい、君――つまり連帯性というのはそこんとこさ。
ツヤ 助けたり助けられたりとおっしゃいますけど、私は助けられたことは一度もありません。自分で食べる物は、配給でたりないぶんは買い出しに行くし、無い時は水だけ飲んでがまんしてます。
三芳 どうも、なんだ、病こうもうに入ってるなあ、エゴイズムが! とにかくなんだよ、たとえばだなあ、津村君という人は、今この、進歩的な陣営の中で実に大事な男なんだ、それぐらい君にもわからんことはないだろう。つまり日本の――つまり人民にとって、つまり人民を幸福に導いていく仕事の上で、かけがえのない人だよ。その人に時折食事をあげるためにだなあ、僕らが多少の不自由をがまんするくらいはだなあ――
ツヤ 時折じゃありませんよ、今月になってからだって十三度です。あの人だって、自分の内で配給受けてんですから、内で食べればいいのよ。でなきゃ、それを持って来ればいいのよ。
大野 へえ、かんじょうしてあるのかい、ヘヘヘ!
三芳 わからんなあ、どうも! 忙しい人だから一々内へ帰ったりしちゃおれないじゃないか。愚劣というか愚まいというか、ホッテントットだなあ、まるで! 君にゃわからんのか、われわれが、津村君たちをだな、大事にしている理由が?
ツヤ そりゃ、先生は、トクをなさるからでしょう?
三芳 ト、トク?
ツヤ 私はべつにトクになりませんから。
三芳 話あ通じない。まるで、猿だ!
大野 ヘヘヘ! ハハ!
三芳 北海道へ帰るなり、友だちの所へ行くなり、勝手にしたまい。君みたいにエゴイスチックになってしまえば、人間、つまりがパンパンにでもなる以外に道はないんだ。
ツヤ (平然と)パンパンだって、いいわ。
大野 パンパンで、いいか。いやあ、この――当人が少しも恐ろしいと感じていないだけに、実に恐ろしいねえ!
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(その時、奥の方が急に騒々しくなり、「はあ、いいえ、いいんですの、どうぞお通りくだすって」などと久子が叫ぶように言っている声。ツヤ子に向ってなおも何か言おうとしていた三芳が、そっちの方に耳を取られて、立ちかけるところへ、浮々と昂奮した久子が小走りに入って来る)
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三芳 ……どうしたの?
久子 来たのよ、あんた!
三芳 え? 誰が?
久子 「群民新聞」の記者! 例のそら、ホラサ、こないだ、あなたが講演[#「講演」は底本では「講満」]したでしょう――あの事で記事にしたいから、チョットお目にかかりたい。つまり、インタアヴューよ!
大野 へえ、そりゃ――
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(言っているところへ二人の新聞記者が入って来る。一人はカメラをさげている)
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久子 さ、どうぞ、こちらへ(椅子をすすめる)
記者 や、どうも。
大野 (自分のかけていた椅子をカメラマンにすすめる)どうぞ、おかけになって!
三芳 やあ……(わざと不きげんそうな顔で)いらっしゃい。三芳です。
記者 (名刺を出して)「群民新聞」の文化部の者です。こちらは写真班の者で。先生の方では御存じないでしょうが、私の方では、方々でよく存じあげております。特に先日の京日講堂での先生の報告演説を――
三芳 やあ、あれを聞かれちゃったのか。いやどうも、あんときは昂奮しちゃって、すこし醜態を演じてしまって――
記者 とんでもない! 映画の方面であすこまで突込んで論じられた人は、これまでないもんですから、実にわれわれとしてもカイサイを叫びました。どうもなんですね、大きな映画会社に属している人たちは、なんといっても当りさわりが多いし、ヘタをすると自分の首にまでひびいてくるというわけでしょうか、腹では思っていても正直なことをなかなか言ってくれませんで。
三芳 いや、たしかにそれはあります。それに問題自身がなかなかデリケイトだからねえ。
記者 やっぱりなんですねえ、イデオロギイ的にハッキリした立場に立った方でないと、最後のところで、明確さを欠くことになるようですね。やあ、これはどうも。どうぞおかまいなく! (これはその時までにいちはやくウイスキイのコップを二つ持って来て、ついでくれた久子に向って)……それでですねえ、今日は、先生の御意見をもう少しくわしくうかがって記事にしたいと思いまして――
三芳 そいつは弱ったなあ。僕など、いわば映画界の野武士というところで、ハッハ! それに、戦犯問題についちゃ、あまりキレイなことも言えない人間ですしねえ(ホントに弱ったような表情)――どうぞ君、やって下さい。(これはウイスキイを相手にすすめるのである)
大野 どうぞ、どうぞ、あなた、どうぞ! (これはカメラマンに向ってすすめる)
久子 どうぞ、ごえんりょなく[#「ごえんりょなく」は底本では「ごえんりよなく」]! いいじゃありませんの!(ほとんど絶頂に達した彼女の幸福が紅を塗った顔を紅以上に上気させている。椅子の上からトンコを抱きあげ、その顔を撫でながら、三芳と記者たちを見くらべつつ立っている)
記者 ……どうも!(ウイスキイを三杯ばかり、あざやかに飲みほして)ハハ! けっこうです! こっちのねらいも、その野武士というところですからね、先生には失礼ですが。実際この、映画界もですね、いつまでも大資本による独占的な営利主義いってんばりでは、しかたがないですからねえ。(原稿紙と鉛筆をかまえる)
三芳 どうもねえ、しかし、僕なぞが君……(頸をかいたりする謙遜な態度が、実に自然な好感をにじみ出させる。その姿に向ってカメラマンはすでにカメラを向けている)
記者 どうか、きらくにお話し下さい。どうぞ!(鉛筆をなめる)
三芳 弱ったねえ!
大野 弱ることはないじゃありませんか。(これはまた、どういうかげんか、自分のことのように満面に喜色を浮べて、三芳に向ってウイスキイをついでやる。隅の方のツヤ子だけが、相変らず編物をつかんだまま、無表情に時々こちらを見ている)
三芳 (久子に)津村君はもう出かけたのかね?
久子 ええさっき。あなたもすぐ後から行くからって言っといたわ。
三芳 (記者に)どうも忙しくって、ハハ。
記者 津村さんというと、津村禎介氏――?
三芳 知ってるんですか?
記者 どうも、さっきそこの角で逢ったのが、そうじゃないかと思ったんです。いや、個人的に知っちゃいないんですが、――チョイチョイ見えるんですか?
久子 はあ、いえ、あの、ほとんど自分のおうちのように――(ほとんど性的昂奮に近い発揚のしかた)
三芳 津村も、まだ出て来てから間がないしねえ、あんまり無理をして、からだでもこわしちゃ、事が大きいと思ってねえ、まあ――
記者 そりゃ、まったくです。特に文化方面に関しては、大事な人ですからねえ。……そうですか。
三芳 ハハ。……じゃ、しかたがない、しゃべりますよ。(ウイスキイをグッとほして)……ええと、ええ――この、戦争責任という問題については、終戦以後、いろいろの方面でいろいろの人々が論じていますが、これは、われわれにとっての大問題でありまして、この問題にたいして明りょうな[#「明りょうな」は底本では「明りような」]答えを出さないかぎり、わが国文化の再建は考えることができないものであります。したがって――早すぎますか?
記者 (筆記しながら)いえ、けっこうです。もっと早くても――
三芳 ええと――したがって、この問題の論議にたいしては、できるかぎり広汎な人々が、つまり全国の各階層の全部が参加しなければならない。そして各人が自由に討論しなければならない。ところで現在流行している戦争責任論の中で、われわれが警戒しなければならぬ一群の傾向があります。それは何かと言えば、正確な意味での戦争犯罪者は、戦争を直接に誘発した少数の軍部指導者や財閥指導者たちと、それから国際法規によって規定されている一方的残虐行為を犯した者だけであって、それ以外の一般国民は、だまされていたのと同時に、起ってしまった戦争に負けてはたまらんからと思って協力しただけだから、戦争責任はないという議論であります。……これは一見、もっともらしく、かつ俗耳に入りやすい議論ではありますが、実は、よく考えてみると俗論中の俗論で、三百代言式の言いのがれ論である。――なぜなら、事実上戦争をしたのは、国民全部であります。ごく少数の進歩的考えを持っていた人たちが、これに参加しなかっただけであって、その他は全部戦った。責任はあるのであります。特に国民の意見の指導者代表者であるインテリゲンチヤ、文化人には、非常に大きな責任があるのである。であるのに、今言ったような古くさい法理論でもって責任を回避しょうとするのは、ですね、かかる論をもって国民全体にアユツイショウしょうという醜悪さと、同時に自己保身のための恥なき態度と言わざるをえない……かかる徒輩をそのままにしておけば、ついに日本再建は不可能となるばかりでなく、さらに日本を将来ふたたびファッショ化するところの基盤を温存することになるのであります! 特に、映画界においては――実は私も映画人の一人でありますが、はなはだ残念ながら、かねて日本の文化人の中で映画人――つまり活動屋が最も下等ですが、いやいや中には立派な人間もおるにはおります――おるのでありますが、このなんです(すこしシドロモドロになってくるが、しかし自分のシドロ
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