猿の図
三好十郎
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【テキスト中に現れる記号について】
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大野卯平邸の豪華な応接室。壁によせかけ多量の荷造りした疎開荷物。フランス窓をこちらに一段さがるとテラス、テラスの下が防空壕になっている。人が三四人しゃがんでおれるくらいの広さの壕の内部が、こちらから見える。
背広姿の大野卯平と第一装の軍装の薄田が、室の中央の円卓に向い合ってソファにかけ黙々としてブランディを飲んでいる。その二人に並んでもう一つのソファのまんなかに、小さく、ゴーゼンと坐りこんでいるくめ八。
それに向って両足をそろえてキチンと立った三芳重造が、原稿用紙に書いた文章を読みあげている。ゲートルまで巻いた防空服装。
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三芳 (しんけんな語調で)……『かくのごとくなって来た状勢の中で、私どもは、かつて私どもの犯していた罪悪が、いかに兇暴なものであったかということを、今さらながら、いな! 今までのどのような場合よりも百千倍も強く、身にヒシヒシと痛感するものであります! それを思うと、泣いても泣ききれず、くやんでもくやみたりません。……なるほど、私どもの思想上の転向は――すくなくとも私の転向は、心底からの日本人としての真の自覚――自分の内における日本人の発見、発掘ということから出発したものであります。つまり、ホントの開眼でありました。どのような意味ででも外部の力に依って強制されたものではありませんでした。つまりわれわれの内に流れているスダマにもよおし立てられて、ふるさとに帰るがごとく転向した者であります。正確にいえば、それは転向ではなくて、誕生であり、眼ざめであります。でありますから、自分自らにおいて私どもは一人一人みな、そのことに満足しています。それにまた――このようなことを申しますと、御列席の検察当局や司法当局の方々に対して或いは御不快を与えるかもしれませんが、しかし私はあえて正直に申してしまいます――つまり私どもは、国家の法律の前に公然と裁かれ終ったものであります。もちろん、当局の御好意に依ってわれわれに下された裁断はわれわれの罪に相応したものではありませんでした。そのことに対する私どもの感謝の念は限り無いものでありますが、それが限りないものであればあるだけ、それを此処で言葉の上だけで述べるような軽薄さをしたくありません。とにかく、私どもは、法律によって裁かれ、かつ、自分自身の内的必然的な課題として転向したものであります。その点、私どもは誰に向っても既に恥じるべきなんらの理由を持っておりません。……しかるに、われわれは今や、それ位の気持でもって、かつての自分たちの思想及び行動を振りかえってみることができなくなったのであります。われわれの犯した罪は、単に法律やそれから自己一片の良心に依って裁かれ許されれば足りるといったような種類の罪ではなかった! それを、身をもってわれわれが知ったということであります! そしてそれを知ったのは、このたび催していただいた伊勢神宮における錬成会においてであります。……もちろん、私どもは――』
大野 (薄田のコップにブランディをついでやりながら三芳の朗読にとんちゃくなく、それをたち切って)文化方面の転向者を百人ばかり、こないだ伊勢へつれて行って、鍛えたんですよ。これで三度目ですがね、フフ、水へ叩き込むと、みんな泣きましてな。
薄田 (ブランディをのみながら)うむ。
三芳 ……(朗読を中断されて、二人の顔をキョロキョロ見くらべていたが、ふたたび朗読をはじめる。二人の言葉にけしかけられたように、朗読の声がしだいに大きくなる)『もちろん私どもは、二度や三度のミソギ行に参加したことをもって、カンナガラの大道を体得し得たりと僣称しようとするものではありません。しかしながら、かの大神宮の神域に接し、イスズ川の流れに総身をひたしながら、私どもの心頭を去来したものが、わが国がらの大いなる命の流れ、日本的なものの中での最も純粋に日本的な本質であったということは言ってもさしつかえないだろうと思うのであります。と同時にそれは、この数年来、われわれが突入しきたったわが国未曽有の国難に処して国民の一人一人としての私どもが、身をもって洗いあげて来た民族的自覚の絶決算としての実感であったのであります。今や私どもは理論においてのみならず、全身心の実感としても、日本民族の世界史的任務と大東亜共栄圏の必然を護持するものであります!』
くめ八 ワン、ワン、ワン!
大野 よしよし。(卓上のチーズの一切れを取ってくめ八の口に入れてやる)
三芳 ……『私どもをしてかかる力強い自覚に導いてくださった諸先輩、直接には保護監察所関係諸氏、間接には内務省、憲兵隊、情報局などに対して、私どもは心の底から感謝するものであります。しかしながらそれと同時に、否、それを通して私どもは、さらに偉大なる命の源流がわれわれに与えられていたということを、のっぴきのならぬ自覚にまで眼ざめさせていただいた大キミオヤのハカライに畏れかしこみつつ敬礼をささげるものであります!』(そこへ奥から、はでなモンペをはいたツヤ子が、盆にビールと二三の肴をのせたのを持ってくる。三芳が熱くなって朗読しているので、円卓の方へ行くのをチョット控えるが、すぐに薄田と大野に向って小腰をかがめてから、肴を卓上にならべ、ビールのセンを抜いてコップについでから、入口の扉の所へさがって、盆を持ってこちらをむいて立ったまま、人形のように無表情な顔をして、三芳の朗読を聞いている。この間もズッと三芳の朗読はつづいている)
三芳 『私はここに、このたびのミソギ行に参加した全員を代表して、感謝の言葉を述べることのできるのを、光栄とするものであります。しかしながら、私どもが心から感謝すればするほど、これがただ感謝にとどまっていてはならない、いや、感謝への念が真実なものであるならば当然それは、もっと積極的なものへ発展するのは当然でありまして……』
大野 三芳君、もう、いいだろう。
三芳 え? ……あのう、いえ……実は、この後がガンモクなんで、ぜひお聞き願いたいんですが――?
大野 ……(なにも言わないで、ビールをガブ飲みする)
三芳 ……(オズオズと大野と薄田の顔色をうかがっていた後、二人が強いて反対していないことを見てとって)じゃ、すこし、はしょって最後の所だけを――(朗読をつづける)『で、ありまして……ええと……そこで、つまり、私どもには、この感謝の念と、それに、最初に述べましたような、自らの兇悪ムザンな犯罪に対するつぐのいがたい罪の意識が有るのであります。加うるに、アッツ島その他におけるわが神兵の玉砕以来、戦況の日に非なるを、もはや坐視するにしのびないものがあるのであります。今や既にわれわれは、国民としての最後の関頭に立ちながら、筆硯を事としているのに耐え得ないのであります。併せて、われわれがわれわれの過去の罪悪に対する自らのつぐのいを僅かでも志すという点からいいましても、全身命をなげ打って第一線の銃火の中にミソギすることこそわれわれに残された唯一つの路であります。願わくば、われわれの志をあわれみ、挺身従軍の許可が与えられますよう、御高配下さるよう、この機会に切に切にお願申します。それも、出来ますならば、唯単に文化人として従軍するのではなく、銃を担い剣を取って一兵として従軍したいのが私どもの本望であります。かくて、私どもは私どもの志のクニツミタマに添い奉り、撃ちてし止まん日の鬼と化さんことを、ここに誓います! 以上、御願いのため、連署血判をもって――」
薄田 ほう、血判したのか?
三芳 はあ、いえ、これは下書きでして、大野先生に一応聞いていただき、これでよいとなりましたら清書しました上で――はあ。
薄田 痛いぞ、指を切るのは。
三芳 いや、それは――(心外なことを言われて、抗弁しようとするがやめて、大野を見る)
大野 なかなか良いじゃないか。(言いながら卓の上の小皿から肴の一片を取ってくめ八に食わせる)
三芳 はあ、実は、少し単刀直入に過ぎて、言葉が不穏当な個所も有るようにも思いましたが、とにかく正直に私どもの気持を訴えてですね、理解してさえいただければ、それでよいと思ったものですから。誠心誠意、ただそのことを――
大野 いいだろう。ねえ薄田さん。(薄田のコップにビールをつぐ)
薄田 そう。わしらの方として別に異存はないが――しかしまあ、そこまでなにしなくても、いいんじゃないかねえ。こないだ、隊の方で新聞や雑誌の連中を引っぱったのは、チョットほかのことでなあ、君たちとは別だ。それほど気にしなくともよかろう。それに、いま言ったその、理解さえしていただければというんだったら、なにもそう――
三芳 いえ、そ、そ、それは、そ、そんな意味ではないのです! これでもし許していただければ、一兵卒として従軍します、する気がなくて、誰がこんな願書を出したり――ちがいます、そ、そんな新聞や雑誌の連中が引っぱられたから、それにおびえて、それで、ゴマをすって私たちがこんなことを――心にもないことをしていると――そんな、そんなふうに取られては、立つ瀬がありません。し、し、心外です、そ、そんな――
薄田 ハハ、まあいいよ。
三芳 よくありません。そんなふうに私どもの誠意が――
薄田 誠意はわかっとる。だが君たちまで第一線に引っぱり出さなきゃならんほど、まだ、わが方の状況はなっとらん。安心したまい、ハッハ。
三芳 そのことではないのです。状況いかんに関せずわれわれは、われわれの気持として――
大野 そりや薄田中佐殿もわかっていられるよ。いいじゃないか、まあ、坐りたまい。
三芳 はあ。しかし、あんまり、なさけないことを言われるもんですから。(グッタリ椅子にかける)
大野 ハハ、これで薄田さんは、君たちのためには、司令部あたりでも大いにはからってやって下すってるんだぜ。それを忘れちゃいかん。
三芳 それは、わかっているんですが――しかしそれだけにです、そんな方から、こんなふうにみられていると思いますと、実に――。いえ、それも、もともと自分たち自身のせいなんですから、いまさら誰をうらむということもありませんが、ただ、なさけなくって。われわれがこんなふうに完全に生まれ変って、日本人として天地に恥じない心持でなにしようとしているのを、わかって貰えないかと思うと、じつに、涙が出ます。
薄田 まあいいさ、わかっとる、わかっとる。ハハハ、まあ君も一杯やれ。(ビールびんを取る)
三芳 ど、どうも。(恐縮しながら、コップをあげ、頭をさげる)は、いただきます。
薄田 すべて、この度胸だ。君も活動屋なら活動屋らしくだな、もう少し腹のすわったことを――(ビールびんから[#「ビールびんから」は底本では「ピールびんから」]ビールが出てこない)ええと――
三芳 は、もうけっこうです。(また頭をさげる)もうたくさんです。(コップを見ると、からなので、キョロキョロそのへんを見る。そのいちぶしじゅうを見ていたツヤ子が吹きだしそうになる口を両手でふたをする)
大野 そうそう、もうみんなになっていた。どうもこりゃ失礼――。おいおいツヤ君、ビール。四五本いっぺんに。
ツヤ (笑いを引っこめて……)はい。(扉から出ていく)
薄田 ……(そのツヤ子の後姿を見送っている)
大野 (三芳に)ところで、君んとこのトンコなあ。愛が来たというのはホントかね?
三芳 (眼をショボショボさせて)はあ……だろうと思うんですけど。
大野 シロウトはこれで、見あやまることが、よくあるからねえ。
三芳 でも、近所のなにがゾロゾロ、その、附けまわして――当人もその、やっぱし、始終イライラしまして、なんですか――
大野 それじゃ、まちがいないかな。
薄田 どこの娘さんの話だえ?
大野 やあ、三芳君とこの――
薄田 そうかねえ、まだそれほどの年にゃ見えないが、そんな
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