に良い娘さんがあるのかね。
大野 いやいや、せんに私んとこにいたのを、三芳君にゆずってやったんですよ。
薄田 はあん?
三芳 私の所でも、家内をはじめ、この、非常に好きなもんですから。
大野 こうしてここも、家の者たちを疎開させて、私とツヤだけだと二匹の世話ぁ焼けませんしね。メスは特に手がかかるんで。
薄田 なんだ犬の話かい!
大野 いやあ、血統が大事でしてね(と椅子の上のくめ八の頭を愛撫しながら)これと三芳君とこに行ってるトンコなど、まずテリヤでは東京で二ツガイ三ツガイという純血でしてな。ハハ。妙なもんで。血液を純粋に保つという点からいうと、理論的には、メスに変な雑種のオスをかけないようにさえ気をつけておれば良いわけだがそれがそういかない。オスが、あいだに雑種のメスにかかっていると、あとどうしてもうまくいかない。相手の女しだいで、オスの精虫や、このホルモンといったようなものが、影響を受けるもんですかねえ。おもしろいもんですよ。ハハハ、(くめ八に)くめ、お前、もうすぐお嫁さんに逢えるからな、それまでここいらで変な女を相手に浮気をするんじゃないぞ。
薄田 君の犬好きも、実にあきれたもんだ。
大野 やあ、ハハ(三芳に)トンコには、ズッとミルクは飲ましてあるね?
三芳 ええ。しかし、この、近頃、戦争がこんなふうになってきて、ミルクを手に入れるのも不自由になりまして――
大野 まあ、いいさ。じゃ、今日、バスケットに入れてこいつをつれて行ってくれたまい。カケるのは私が明日行ってカケるからね、それまで別々の箱に入れとくように。いいかね?
三芳 はあ、そりゃ承知しましたが、その、これなんですが(と、しょげきって、まだ手に持っている原稿を示す)明日の謝恩会に、これでよければ、一同を代表してこれを読んで、その――
大野 いいだろう。――(とアッサリ言って)途中ねえ、電車だと揺れて病気になるからね、すまんが、君んとこまで歩いてかかえて行ってくれんか。
三芳 (ほとんど泣きべそをかいたような顔)はあ。
薄田 さ、わしもソロソロ失礼しようか。じゃ大野君、よろしく頼むから。こっちへ引越して来るのは、明後日ごろになるだろうが、それまでに部下の者がトラックで荷物を運んでくるじゃろうから。
大野 承知しました。で、こちらの疎開荷物の運搬のこと、よろしく願います。こないだから、こうしてチャンとコンポウをすましてあるのに、司法省あたりのサシガネでは、もう、なかなかラチがあきませんからねえ。あなたの荷物をはこんで来たトラックで、ついでに駅まではこんでもらえるとありがたいですがねえ。
薄田 なに、そんなにあわてんでも、どうせ隊の荷物としてはこんでやる。
大野 そうですか、そうしていただければ、何よりです。ハハ。しかしなんですねえ、あなたも、急にこちらに転出して来られて、こうして、まあ、きたない所ですが、私の内を御用立てすることができて、まずまあ、お寝みになる所だけはきまったとしても、御不自由なことですねえ。奥さんも田舎でおさびしい。
薄田 なに、ヌカミソくさい古女房などいない方が、うるさくなくてよい。家事はいっさい部下がやるんじゃから。
大野 いや、家事は[#「家事は」は底本では「実事は」]とにかくとしてですよ。おさびしいじゃありませんか。つまり、なんだ、陣中にじゃっかん、この、春色を欠くといった――
薄田 そいつは、夫子自身の告白かね?
大野 アッハハ、やられたねえ!
薄田 至る所[#「至る所」は底本では「到る所」]、青山有り。
大野 ああさようで! ヘヘ。(タイコモチと同じ口調で言い、右手で自分のくびすじをピチャリとたたく)
薄田 アッハハハ! だが春色は大いに有るようじゃないかね。さっきの、何とか言った――女中――
大野 いや、ありゃ、女中じゃありません。この三芳君の、ありゃ弟子でしてね、私が疎開ヤモメで不自由しているのを見かねて、三芳君が一時よこしてくれているんで――
薄田 ふーん、弟子――?
三芳 いえ、遠縁にあたる田舎から出て来て――
大野 女優になりたいというんで。三芳君は、活動屋なので、そういった役トクがありましてな――
薄田 なある――女優の卵か。どうりで――(ニヤニヤして)悪くなかろう大野さん。陣中に春色満つ。
大野 ごじょうだん! なんなら、この家にあの子もフロクに添えて御用立てしますか? ねえ三芳君?
薄田 そりゃ、いいね、ハハ!
三芳 (今度は薄田に、原稿を示して)ええ、これなんですが、いかがでしょう、従軍の願いをこういう形でしましても、軍部の方に廻していただけるでしょうか? われわれはわれわれの志を、なんです――その……
[#ここから2字下げ]
(そこへツヤ子が、から手でもどって来る。薄田と大野がニヤニヤしているし、三芳がヘドモドしているので、入口に立ち止ってチョット三人を見ていてから、入って来る)
[#ここで字下げ終わり]
ツヤ あの、おビールは、いくら捜しても有りませんけど。
大野 穴倉の右の隅に、まだ一ダースぐらい有ったはずだが?
ツヤ いえ、穴倉も見たんですけど――
大野 そうだ、縁の下にかくしたかな。よし、よし、私が取ってこよう。(立つ)
薄田 わしなら、もうよいぞ。これからチョット廻るところがある。まっかな顔をして行くのも、どうかと思う。いよいよ引越して来てからユックリいただく。ついでに、部からビールとウィスキィ二十ダースも運ばしとくか。
大野 そう願えれば、ありがたいですねえ。でも、チョット(行きかけて)ついでに、どうです、家の中をチョット御検分願いましょうか。
薄田 そうかね、そんな必要もないと思うが。(立つ)
大野 いや、これであなた、休職司法官などの身分にしては、すこし不相応にこった建てかたの家でして、チョット自慢したい点もなくもないといった――(ツヤ子に)ツヤ君、こちらは、これからこの家に来ていただく薄田中佐どのだ。(ツヤ子だまって礼をする)
薄田 やあ。(ツヤ子のからだを眼でなめまわしながら、先きに行く大野について扉から出て行く)
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(間――ションボリして椅子にかけている三芳。それをツヤ子が立ってだまって見ている。くめ八は相変らず行儀よく椅子の中央に坐っている)
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ツヤ ……(両肩をゆすって、扉の方をにらんで)チ!……先生、どうなすって?
三芳 うん。
ツヤ いよいよ従軍なさるの?
三芳 うん、まあ……(浮かない)
ツヤ いっそ、その方がいいわ、そうなさいよ。あたしなど、男だったら、今ごろこんな所にグズグズしていない。……気しょくが悪いったら、ありゃしない。これで、こんだけ大きなイクサしてるといえるの?
三芳 うん。いよいよ、なんだ、この……
ツヤ 前判事、報道部ショクタク、情報局ショクタク、保護監察所のエライヒト、大野卯平。ウヘエ……えらいんでしょう、とにかく? それが、毎日なにをしていると思って? ブローカァーや御用商人や、そいからエタイのしれない人たちが、コソコソやって来ちゃ、金だとか物だとか置いて行くだけでも、どんだけだか知れないのよ。軍部だとかお役所だとか、なんだかんだと、すぐに奥歯に物がはさまったようなことを言うのよ――四五日前など、なんとかって映画会社の人と芝居の興業の人まで来るのよ。……君んとこの芝居はすこし、この、近頃、厭戦思想の傾向があるんじゃないかねえ、軍でも注目しとるようだから、すこし気を附けるようにしたらどうかねえ。……そしたら、その人が、そこに、今、先生が掛けてるその椅子だったわ、そこに坐っていたのが、ブルブルふるえ出して、まっさおになって、(しかた話)バッタのようにおじぎをしたわ。
三芳 ……あ、スッカリ忘れていた。(ポケットから一ポンドばかりの包みを出して卓に置く)……これ、君の家から送って来たんで、持って来たが――チーズさ――(ツヤ子が不意にだまりこむ)――いや、なんだよ、君もこうして大野さんにはやっかいになっているんだし――
ツヤ ……(チーズをにらんでいる)
三芳 (間が持てないで)君の家でも皆さん元気だそうだ。すぐになんだ、礼状は出しといたが、しかし叔母さんももう五十七だったかな、八だったかな、手紙から察するとだいぶ弱られたようだなあ。……せんのようにガンコなことも言っていない。ツヤのことはどうぞよろしくおたのみする――くどい位書いてあった。ここに来ている事は知らせてやってないの?
ツヤ ……。
三芳 ……なんだそうだね、君がいつか言ってた、ほら、一時、結婚するとかしないとか騒いでいた……イイナズケになってるんだろう? 隆二とかいう青年、こんど特攻隊に志願したって? 知ってるの君ぁそのこと?
ツヤ ……(無表情)
三芳 君をホントに愛しているんじゃないのかねえ?……(ニヤニヤして)え? 君ぁ、どうなんだ、好きなんだろう? どういうんだい、それが? 特攻隊といやあ特攻隊だぜ、まず命は無いぜ。なんともないの、君ぁ? じゃ、大して好きでもなかったんだね?
ツヤ ……(なんともないのかあるのか、そのことについて感情を動かしたらしいところはない。ニコニコして)あたし、先生のうちに、もどりたいんですけど、だめでしょうか?
三芳 え? うちに? どうして?
ツヤ どうしてってことはないんですけど、もどりたいんです。
三芳 だって君……困ったなあ…‥ここ当分、劇映画などどこでもとれはしないし、どっかに入社させてあげる機会も[#「機会も」は底本では「幾会も」]ないしね……第一そんなことすりゃ損だがねえ。ここにおりゃ大野さんの顔で挺身隊にも引っぱり出されないですむが、うちに戻れば、たちまち――
ツヤ 挺身隊に出ようと思うんです、あたし。
三芳 ……うむ、その気持はわかる。そりゃ、わかるけど――だけど困ったなあ、そいつは。もともと大野さんが不自由なすってるんで――つまり、僕もいろいろやっかいになってるしね――僕の方から言い出して君をつれて来たんだしねえ――いまさら、弱ったなあ。
ツヤ だって……毎晩、アンマをしたりするの、いやだわ。
三芳 え? アンマ?
ツヤ フトモモの所まで、もませるんですのよ! そこへ、又、さっきの将校の人が来たら、どんなことされるかしれたもんじゃないわ。もう、イヤッ! それに、毎日――こいつにお湯を使わしたり、カンチョウさせたりしなきゃならない。もう、イヤァー!(くめ八の頭をポンとたたく)
くめ ウー!
ツヤ なにが、ウーだ、チンコロ!
三芳 おい、おい君、そんな――(立って、ツヤ子の腕をつかんで、とめにかかる。ツヤ子両腕をふりまわして、三芳にさからう)
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(そこへビールびんを四五本両手にさげた大野と薄田がもどって来る)
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大野 ……(思いちがえて)いよう!
薄田 どうしたい?
三芳 いや、この――なんです……
くめ ウー。
大野 ほら、くめ八が、おかんむりだ。(椅子にかける)この子は、人間の、この男女の情を解しておってね、つまりヤケるんだな。私んとこでも、さんざん、悩まされたもんだ。
薄田 とんだところで、ノロケを聞かされる! ウァファファ(椅子にかける)
大野 いやどうも!(ツヤ子にビールを注げと手で命じる。ツヤ子、センを抜き、卓上のコップにつぐ。大野、卓上のチーズの包みを見て)……ええと、これは――?
三芳 はあ、ホンの少しばかりですが、田舎から送って来たもんで……
大野 すまんなあ、そりゃ。――ところで、三芳君、君んとこの仕事はその後どうなったね?
三芳 はあ、いや、事態がこんなふうになって来まして、あちこちとアイロだらけでして……いえ、撮影の方は、せんだって商工省の方から取ってくださったフィルムで、その後二本ばかりすましてありますが、なんしろ、ネガがまるきりないもんで――
大野 そうかね。……(薄田に)この大将は、小さな記録映画の製作をしていましてね、私が口をきいてあげて軍器や文部省などの仕事も二つ三つしております。まあ主として軍器や食糧関係の――
薄田 
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