いたように猛烈な早さで壕の方に飛んで来て、入口の所でマゴマゴ這いずっている三芳をはねのけて、壕にもぐり込む。その後から、三芳も這い込む。――以上三人の動作はおそろしく早く、ほとんど一瞬の間のできごと)
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ツヤ フ!(その三人のする事をみすましている)
大野 (壕の一番奥で)おい、おい、おい、ツヤ君! くめ八は? くめ八は? くめ八は、どうした? くめ八を、ツヤ君、ここへつれて来てくれっ! くめッ!
ツヤ ……(その声に椅子の上を見ると、くめ八は、まだそこに坐っている。スッと寄って行き、犬のくびの所をつかんでぶらさげて、扉の所へ行き、奥へ向ってポイとほうり込む。キャーン、キャーンと鳴声。ラジオから響いて来るブザアの音。ツヤ子すばやい動作でラジオ台の下から鉄帽を引き出してかむり、床の上に腰をおろし戸外の空をのぞいて見ながら、鉄帽の中に入れてあったゲートルを脚に巻きはじめる)
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(投弾と高射砲発射の爆音のきこえはじめる直前の、ぶきみな静けさ。奥のどこかで、キューン、キューンと犬の鳴声)
(防空壕の中に、こちらを向いて、大野、薄田、三芳の順で、きゅうくつに押しならんだ三人の姿が、同じように尻をかかとに附けてしゃがみこんでいるために、手がひどく長く見える)
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 三芳重造の家の応接室。
 大野の応接室とほとんどソックリ同じ作りの室。調度まで酷似している。ただし、すべてがあれよりもいくらか粗末だし、それに上手の壁が火のためにデコボコになり、赤黒く何かの動物の形のような焼けこげができている。
 三芳と津村禎介が卓をはさんでソファに坐り、ウィスキィを飲んでいる。二人からすこし離れた、そして二人のより粗末な椅子に浅く腰をかけて、熱心に話している大野卯平。三芳は和服、津村と大野は背広。
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大野 ……つまりですね、われわれ国民は、だまされていたのですよ! 軍閥や財閥や一部の官僚に、だまされていたんだ! それをハッキリ、断言することができる。なるほど、今こうして、こんなありさまになってしまった後になってですね、私のように、以前、この、役人をやっていて――つまり、なんだ、この獅子の分けまえにあずかっていた――ヘヘ、実にあわれビンゼンたる分けまえでしたがね――とにかくそんな人間が、いまさら、こんなことを言うと、あんたがたには、一応も二応もヘンに聞こえるだろうと思うが、しかし、たとえどんなにヘンに聞こえようとだねえ、この際正直に思うことを言ってしまいたいのです。つまり、あの当時、多少でもだなあ、軍閥や財閥の下っぱの所に足を突込んでいただけに、それだけに、私には尚更、やつらの罪悪が、身にしみてわかるんです。だまされていた! だまされていた! それがどの程度まで、どんなふうに、だまされていたか、どんなに悪どいファシズムの権諜によるギマンであったか、とても、とても、あんた方にはわからん!
三芳 (黙々としてウィスキィばかり飲んでいる津村に、大野の方をアゴでさして)この人は、古い司法官吏でね、戦争中、軍部や情報局や保護監察所に関係していた人だ。
津村 ふーん。
大野 なんだったら、私は、この私の身をもって知ってきた軍閥と財閥の罪悪史を――その具体的事実をだな、あんたがたに提供してもよろしい。機会を与えてくださればだな、あんたがたのほうの集会に行って話してもいい。たとえばです、たとえば、この、かりに戦争中の古いことは問わないとしてもだ、終戦当時だけを見ても、軍や財閥や一部の官僚が、くすねこんだり、横へ流したり、イントクしたりした物資だけでも、いかにバクダイなものであるか、それをあんたがたに聞かせたら、およそキモをつぶすだろう!
三芳 そんなに多いかなあ?
大野 多いのなんのって、君! だって、とにかく、焦土戦術というので、国内の物資はあらいざらい、その方へ吸いあげてしまったんだからねえ。とにかく、あと五六年は戦争をつづけて行くにたるだけの物が有ったんだから。どうです、津村さん、なんでしたら、こいつを、あなたの方に提供しようじゃありませんか?
津村 うん、そりゃ、なんだけど――ぼくらの方でどうするというわけにも行かんだろう。
大野 やりかたは、いくらでも有ると思うんだ。せっかく、あなた、あれだけの物が有るのに、だな、そいつをムザムザ――
三芳 だけど、あんたあ、どんなわけで、そんなことをわれわれの方になにしようとするか――その理由がだなあ。(この男の大野にたいする言葉の調子は、ていねいになったりゾンザイになったりする。大野の三芳にたいする言葉も同様)
大野 それは、君、さっきから、これだけ言う通りに――つまり――いや、心外だなあ、そんなふうに言われると。私は誠心誠意考えた結果言ってるんですよ。つまり、なんじゃないか、軍その他のイントク物資は、けっきょくのところ、もともと国民全部、つまり人民のものじゃありませんか。それをだな、この、人民の手に取りもどし、人民の幸福のために使うということは当然のことで――つまり、それですよ。そうなんだ。それを信じてもらえないのは、私は、この、――今さらになって、心にも無いことを言って――いや、ホントに、私は、できることなら、この胸をまっ二つに切り開いてですねえ、見せてあげたいですよ! 正直、しんけんに、つまり人間として、スッパダカになって、言っているんですよ、津村さん! (津村はだまっている)
三芳 (それを引き取って)しかしそいつは世の中がこんなふうになったので、急にそんなふうに言っているだけで、ほんのこの間まで、あんたがたは、やっこさんたちのために、そして、やっこさんたちのおかげで、さんざん働きもし、うまい汁も吸ってきたんだからなあ。現に、ぼくらも、君たちから、ずいぶんいじめられたんだからなあ。急に信用しろは無理じゃないかなあ。
大野 私らが、いつ、あんたがたを、いじめたりしました? 今になって、そ、そんなことを言われるのは、実に、実に心外だ。だって、私は君をはじめ君たち一同を、あらゆる機会にかばって、できるかぎりのことをしてきたんだ。正直言うと、私はあんたがたをあまりにかばい過ぎて、自分の立場をあぶなくしたことも二三度ある。内務省へんでは、大野はありゃアカじゃないかと言われて――
三芳 そりゃ、あんたのお世話になったこともありますよ。忘れはしません。感謝してるんだ、その点は、フフ、感謝してますよ。だってそうしなきゃ、しばってしまうというんだからなあ。殺してしまうというんだからなあ――。いやいや、口に出しちゃ、君たちはそんなことは一言も言ゃあしない。しかしあの時代の空気の中にチャンとそれだけのものはあった。それを君たちは百も承知していた。そいつを利用した。自分たちがエテカッテなことをしたり、利益をつかんだり、それから僕らをつかまえてアゴで使うことに利用したんだ。しかも口の先きでは、君たちのためを思うからといったような紳士的なことを言ってね。つまり、腹芸さ。そこいらのかげんは、実に、何ともかんとも、うまかったねえ。
大野 そ、そ、三芳君、そんな君!(バラバラと涙をこぼして)そいつは、あんまりザンコクだ。私が腹芸なら、君だって腹芸じゃなかったかねえ? なんだったら、証拠だってある。あの当時に君が書いて出した手記や願書なども、捜せばチャンと――
三芳 へえ、大野さん、そんなことを言いに来たのか?
大野 いや、誰も君、こんなことを今さらこのんで言いたくはない。誰にしたって、こうなってしまうと、古証文を持ち出されちゃ迷惑する。つまりなにもかにも御破算だからね。それさ、私の言うのは。だのに君たちだけが、昨日のことは忘れてしまって、つまり一方的にだな、あんまり良い気になっている点が、人間として実になんだから、それをただ私は――
三芳 君ぁ、なにを言うんだ、どんな証拠だって、出してきたけりゃ出してみたまい。あんだけのファシズム勢力におさえつけられて、たえず生命の危険にさらされていたんだ、僕たちは! その中でわれわれが無理やりに書かされたことが、なんの証拠になるんだ! (怒って立って行きかける)
津村 まあまあ、いいじゃないか。もうよせよ。
大野 津村さん、聞いてください。あんたがたは、良いんだ。あんたがたは、そりゃ、尊敬に値いする。戦争中、節を屈しないでやってこられたんですからね。しかし、そのほかのです、そのほかの大多数の連中がだな、あんたがたを前に押し立ててですよ、この――つまり、なんだ、つまり私たちなどが戦争中、軍閥や財閥を押し立てて、つまり、軍国主義的空気に便乗してエテカッテをしていたというのなら、今、そんな連中だって、あんたがたを笠に着て押しまわっているんだと、言って言えないことはないわけで――とにかく、この、いえ、私がこんなことを言うのはだな、すくなくとも津村さん、あなたがたには私らの真意――つまり今となって大きなことは言えないけれどもがですよ、すくなくとも、この人間としての、このわずかながらです。人間的な、この一片の誠実さをです、あんたがたには、わかってもらいたいのだ。わかってもらえると信じているからですよ。(椅子から床の上にすべり降りて、片手をついて)ね、その点だけは、この――
津村 わかった、わかった。いいじゃないか、人間にも動物にも、それぞれの泣きどころというものは有るさ。これまでは、僕らの泣きどころを君たちがくすぐっていたわけだろうし、こんどこうなってくると君たちの泣きどころを僕らがくすぐることになるわけだろう。大した問題じゃないと思うんだ。どっちせ、僕らはもう非合法の仕事をしてるわけじゃないんだから、堂々正面からやってきて――まさか、こっちがわに入りっきりに入りたいというんでもないだろうから――情報の提供でもなんでもしてくれたまえな。ただそれをそのままに信ずるかどうかということは、各自の自由だからねえ、どうかあしからず。ハッハハハ(三芳に)ところで僕ぁソロソロ委員会の時間なんで行かんならんが、なんかすこし食う物はないかねえ?
三芳 そうそう、いやさっき、そう言ってあるから、もうできて――(奥へ向って手を叩く。この男の津村にたいする態度は、表面対等であろうとしながら、実は無条件に迎合的である)おい、久子! 久子! (立って扉の所へ行き、手をたたく。奥から「はあい!」と女の声)どうしたんだ? おい! チエッ、しょうがないなあ、久子う!
久子 はいはい! (言いながら出てくる。三芳より年上だが、それがしばらくわからぬくらいのなりをしている。真紅のブラウスで腕のまる出しのやつを着て、男のズボン。頭は後頭部にまるで毛の無いかりあげのボッブ。鼻の両わきにきざんである非常に深く長いシワを特色とする顔に、ブラウスの赤さにまけないくらいの頬ベニとクチベニ。腕にトンコを抱いている。そのケンランたる印象に、ギョッとした大野が、思わず立ちあがって、口をあけて見守っている)なんですの?
三芳 なんですじゃないよ! 御飯々々! 津村君のさ! あいだけ言っといたじゃないか。ボンヤリしていちゃ困るよ!
久子 できてるわよ、もう! でもさ、すこし――
三芳 できてるならできてると、なぜ早く言わないんだ、バカヤロウ!
久子 なにがバカヤロ! なの!
三芳 バカだからバカだと言うんだ。津村君が急いでいること、お前知らんわけじゃあるまい。
久子 だから、それは、もうおうかたできてるんじゃないのよ。私の言っているのは、あなたが、いまだにそんなふうに私にたいして圧制的な物の言い方をなさるのは、やめてくださいと言ってるんだわ。もうファッショの時代じゃないんですからね! それにあなただって、とにかく――
三芳 そ、そんなことを言ってるんじゃねえんだ。くそ!
久子 ホホホ!(不意にエンゼンと笑顔を作って津村に)ねえ津村さん、そうじゃありませんか!
津村 いや、まあまあ、いいですよ。ハハ、いつも、どうも御厄介をかけてすみま
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