手が軍だからなあ。
今井 いえ、この、今日のこれは、わたしらがなにしたのではありません。このおやじさんが(とモゴモゴして義一を指して)――この――(宗定に)これは、父親なんです。今日は、自分からやって参りまして、なんです。こんなやつが自分の家から生まれたのは相すまんから、父親の自分の手で叩き直してやる……そういいまして、一時間近く、力一杯に、この。……よせといっても、ききませんでねえ。――そいで、自分もこうして伸びちまったんです。いや、昔かたぎの、正直いちずといいますか――
宗定 ふーむ。
黒川 そうかね?そいつは――感心だなあ、しかし。……今井君、水でも汲んで来て。
今井 はあ。……(出て行く)
宗定 人見君――だったね?
人見 はい。(ていねいに、おじぎをする)
宗定 ……(ニヤニヤしながら、壁のそばに並んでいるイスの一つを自分の手で持って来て、室のまんなかに置き、それを腰におろしながら)どうだい、そいで? この前もサンザンいったように、もう、こいだけ、つまり半年以上もこうして来たんだから、いまさら、めんどうな事をいい合ってみても、はじまらん。君の方としても、もう答えようもないだろうと思うんだ。どうだね?
人見 はあ。……
宗定 こう度々ブーブーとやられてる最中にだな、ムダな事をいつまでも繰り返していても、しかたがない。本庁の方も、ますます忙がしくなってるしね、今までのように僕などが出向いて来ることもできにくくなるんだ、今後は。だからねえ、もういいかげんにして、取りあつかいを軍の方へ返すなり、軍の方でウンといわなければ、しかたがないから、こっちで書類を検事局の方へまわそうと思うんだ。聞いて見たら、向うでも迷惑がっているようだったが、さればといって、どうにもしかたがないからねえ。どうだい?
人見 ……すると、なんでございましょうか、この正式に、この――?
宗定 そいで刑務所だね。しかし、そうなると、当人もかわいそうだしね、それに、君も、たぶん、そのままじゃすまんことになるだろうし――
人見 え、しますと――?
宗定 うん、まあ、正式のことになると、君がすすめて、この男をこんなふうにしたという事になるだろうからね。国法では、まあ、宗教というものを、そういうものとしては認めとらんのだなあ。教唆という事になる。
人見 わ、私は、しかし、この、そんな……いえ、たしかに、私が負わなければならぬ責任は、はい、負いますが、この――
宗定 (ニヤニヤしながら)と同時に、君だけでなくだ、キリスト教全般だねえ――日本にも、まだこれで、かなりたくさんのキリスト教徒は居るねえ――それが、この問題がおもてザタになって国民の前で判決をくだされたとなると、キリスト教ぜんたいが、けしからん教えだという事になってだね――
人見 キリスト教界ぜんたいは、片倉とは、べつに関係はありませんですから、その、そんな――
宗定 だけど、この男が、君から洗礼を受けてヤソ教になっていなければ、こんな事にはなっていないのだからねえ。
人見 ですが、片倉は、その前から、この、ガンジイの本などを、ひどく熱心に読んだりしていまして――
宗定 しかしだ、それは単なる空想だったんだからねえ。ハッキリと具体的になったのは、君の教えを受けてからだもの。
人見 いえ、私はただ、導いただけでございまして……牧師と申しますのは、この牧、つまり羊かいが羊やなにかを、水飼うという意味でございまして、人が信仰に入りますのは、あくまで、この、神の啓示による――
宗定 しかし君、神さまを裁判にかけるわけにも行かんからねえ。フフ。(義一の背をつついたりしながら、それを聞いていた黒川も笑い出す。そこへ今井が、バケツに水をくんで入って来、黒川のところへ持って行く。黒川、バケツの中から水をしゃくって、義一の顔にかける。義一が、ウッ! と声を出す。宗定そちらを見つつ)……とにかく、キリスト教の教義をだなあ、ウンと追いつめて、このギリギリのところまで煮つめて行くと、この男の思想、つまり戦争反対になる事は事実なんだから――
人見 いえ、それは、キリスト教界は広うございますが、片倉のような者は、ご存じのように、たった一人で、なんです――
宗定 すると、君なんぞは、なにかね、戦争には賛成なのかね? それでキリスト教の信者といえるかね?
人見 いえ、この、なんです、この、信仰上のことと、実際の、この国家といいますか、自分が生きている此の国の法律や、国策に従うという事は、自ら、別の事でございまして――
宗定 そりゃ理屈だよ。僕のいっているのは、理屈以上の、この、現実というかね、現実問題としてだよ、キリスト教の中から国策に対して正面きって反対した人間が一人でも現れたとなると、キリスト教ぜんたいが、あぶなくなるという事をいっているんだ。……そいでまあ、要するにだよ、まずい事にならんようにだなあ、ここいらで、本気になって君も考えてくれんといかんだろう? 今日は、まあ、これが最後だ。――この、最後的に、この男や君のりょうけんを聞きたいと思って来たわけだ。そいで――
黒川 わしらも、実にもう、やりきれなくなって来たからねえ。もう半年以上にも、なるんだから。これ以上、留置場や保護室を、こんな男でふさげて置くわけにもいかん。(その間に、今井はバケツを持って友吉のそばに寄って、水で友吉の顔を撫でていたが、いつまでもグッタリしているので、この時、バケツの水を友吉の頭にザッと叩きかける)
友吉 ……(ピクンとして、顔をあげて、視線のきまらない眼で遠くを見て低くいう)た、助けて、ください……
宗定 どうしたい?……(立って[#「立って」は底本では「立つて」]椅子をそっちへ持って行く)
友吉 ……(弱り果てた、しかし、すこしもインウツではない、たとえば自分を苦しめている熱病のコンスイから眼をさました子供のように、すこしキョトンとしてそのへんを見まわす)
黒川 どうだね?え?
義一 ……(黒川の足もとでムックリ起きあがっている。この方は、老いの顔が苦痛にひきゆがんで眼がすわっている。起きあがるなり、友吉をにらみつけて、ふるえる声で、脈絡のない言葉で、どなる)在郷軍人会や銃後奉公会からいろいろとウルサイことをいわれるから、自分の所まで痛くない腹をさぐられるのはイヤだから、今月一杯で是非たちのいてくれ! オオヤの松村さんではそういうんだぞ。無理もないのだ。無理はない! しかし、こんだけ家がドンドン焼けちまっているのに、どこに引越して行く家が有るというんだ? うん? 町会じゃ、そんな非国民の家に配給をするのはごめんだといって、そのたんびに、ひどい事をいわれる! おっ母さんは――おりくは、とうとう寝ついてしまった! 明は会社をやめさせられてカツギ屋になったが、ヤケになって酒を飲むことをおぼえて、一銭だって内にゃ入れない! 俊子は俊子で電燈会社で首になりそうになっているんだぞ! 俺の方も、ちかごろ時計の修繕の仕事も、まるきりなくなって、一家四人が、この先どうなるというんだッ! それも、みんな、お前のセイだ。お前が、こんな――
黒川 いいよ、いいよ、わかってる。まったくだ。実にこの――いえ、ようくわかってるから、いいよ、おやじさん!
義一 いいえ、あなた! なあに、そんな事だけなら、なんでもございません! どうで、こんな人でなしの奴を出したんですから、一家のものがそのために食えなくなろうと、石を投げられようと、それ位のことは、あたりまえだと存じますよ、はい! わしが腹にすえかねるのは、よりによって、このわしの子供にです、いえ、わしの家は今こそビロクしていますが、もとはひとかどの士族の家でございまして、天子様に対しましてです、この――いえ、その家からです、こんな不逞の、けしからんチクショウを出したと思いますると、それだけが、それだけが、わしはくやしゅうございまして、ほんとに!(フラフラしながら、友吉の方へ向って、竹力を握って立ちかける)
宗定 もういいから――よくわかったから――おい君!(今井に眼顔で指示する。今井、義一を制止する)
義一 てめえみたいな奴は、一刻も早く、舌でも噛みきって、死んでしまえッ!
黒川 もういいから、だまりたまい!(今井に手を貸して義一を室の隅の方へつれて行って、押えつけるようにして坐らせる。今井は、義一の耳に口を持って行って、しきりとなだめている)
宗定 ……(タバコを深く吸ってから、ニコニコしながら友吉に)なあ! 今日は警察の者としていうんじゃないよ。国民の一人として――つまり、君も僕も国民どうしとしてだなあ、いうんだが――どうだね、ここいらで、気を入れかえてつまり心気一転して、これまでの事は、いっさいなかったことにして、出直してくれんか。こうして、われわれも、そいから、君の家の人たちも、(人見をアゴでさして)先生もだねえ、困りきっているんだから、どうだろうね?
友吉 ……(スナオに頭をさげる)すみません。(つづいて父親の方へも人見の方へもおじぎをする)……すみません。
義一 すまないと思ったら、すぐに、今日にでも――
宗定 おやじさん、君はいっとき、だまっとれ!(友吉に)……ほんとに、じゃ、すまないと思うんだね?
友吉 はい。みなさんに、御心配をかけて――
宗定 じゃ、召集に行ってくれるね?
友吉 ……それは、あの――
宗定 え? 出征するんだね?
友吉 いいえ。
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(一同がシーンとしてしまう。友吉の無邪気な答えに、一同はこれまでに馴れている。しかしまた、この無邪気さが、とうてい抵抗することのできないものであり、この後はただ押し問答になるだけである事も知っている。――その絶望と、ふんまんと、更に此の際にまで相変らずの事をいって落着いている友吉へのアキレとの入りまじった沈黙。……間)
[#ここで字下げ終わり]
宗定 ……(やっと自ら気をひき立てるようにして)ふむ。いや、もうこれまでにいうだけの事はお互いにいいつくしておるし、キリスト教の教義についての議論も、もうたくさんだ。同じ事をなん百度くりかえしても、しかたがない。……だけど、今日は最後だから、ホンのひとこというがね、お前がそうして召集に応じないと、けっきょく、お前自身身の上――つまり命がだな、どういうことになるか、知っておるね?
友吉 ……はい。(コックリをする)
宗定 それでいいんだね?
友吉 ……はい。エスさまのために、私は……
宗定 (たまりかねて、どなる)ヨマイごとをいうのは、よせッ!ぜんたい、そいつは、どこの馬の骨だッ!エスさまなんかよりゃ、わが国には上御一人、つまり天皇陛下がいられる事を、お前は忘れたのかッ!
友吉 (びっくりしてオドオドする)いえ、そ、そんな――
宗定 第一だ、わが国民が今イチガンとなって戦って――この、戦線でも、銃後でもだ、敵のために、バタバタと虐殺されておる! それがわからんのか、お前には! 殺されているのは、お前の同胞――つまりお前の兄弟だぞ! 兄弟を殺している、その敵がお前は憎くないのかッ!
友吉 ……(返事ができなくなる。それは、しかしあいてを怖れているというよりも、自分に理解のできない理由でもって怒っているオトナに対してトホウにくれている少年のような沈黙である)……
宗定 なぜ返事をしない! ううん? ……なぜ返事をしないのだッ!
友吉 ……はい。
義一(たまりかねて今井の腕の中で、どなる)この、チク――返事をなぜ、この――
友吉 ……(父親からいわれると、本能的にオドオドして)はい。あの……ぼくには、よくわからないもんですから――
宗定 わからない筈はないじゃないか! 現にこうして、爆弾でおれたちをひどい目にあわしている敵の奴を、お前は憎まないのかといってるんだ!
友吉 (救いを乞う目で人見の方を見ながら)……はい。でも……私たちは、互いに愛さなくてはなりませんから――(いわれて人見がギクンとして腰をあげる)
宗定 愛? 愛! ……すると、なにか、敵でも愛さなきゃならんのか? いや、なきゃならんじゃ
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