も、友吉さんに限った事はないんでしょう[#「ないんでしょう」は底本では「ないんでしよう」]? ……キリスト教の人は、いっぱい居るんでしょ?……それが、どうして、たった[#「たった」は底本では「たつた」]一人、よりによってさ……ああ、ヤッと行っちまやがった、鬼ババめ。……(手は休めないままで、治子の方をチョット見て)現に、あんただってキリスト教でしょ? ――そいから、あんたのお兄さんもそうでしょ? どういうの、ねえ、どうして、友吉ていう人だけが、そんなかしら?
治子 ……わからないの。……私には、わからないの。
静代 ……いえさ、だから、ヤソ教として、どっちが正しいの? ……あの人? それとも、ほかの人たち?
治子 ……わからないの、私には。――だけど……いえ……でも、あの人は、まちがってはいない。
静代 ……そいじゃ、あんた、わけがわからない。……だって[#「だって」は底本では「だつて」]、あの人が善いのだったら、ほかの人がまちがってるわけだし、……ほかの人が正しいのだったら、あの人はまちがってるんだわ。……キリスト教の教えは、そんな、キチガイの宗教じゃないんでしょ? そんなら、それを信じてる人なら、誰が考えても、正しい事と正しくない事の標準はハッキリひとつしきゃないわけじゃなくって――? ……どういうの?
治子 ……わからない。私は、私は――(深い、刺すような眼で正面を見る。口のわきがブルブルとひきつっている)
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(その時、この室の、光のあたらない隅のドアにドシンと人がぶつっかる音がして、うすくらがりの中に二人の若い男が入って来る。そちらをすかして見る静代と治子……)
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男の声 ……しかたがないじゃないか。君みたいに、そんな、イキリ立って見たって、どうなるんだよ! わかってる者あ、わかってるんだ。友ちゃんは友ちゃんだし、君は君だ。いいじゃないか。友ちゃんが、そんなふうになったからって、君に責任はないさ。それぐらい、わかってる者はチャンとわかってるよ。しかし、なんしろ、みんな気が立ってるんだ。君を追いかけて表門の方へ行った連中もいるから、すぐに帰ると、また、あぶない。ここでいっとき待っていてから帰ったほうがいいんだ!
明 (かすれた声で)……北村さん、あんたあ、兄さんの友達だね? ね、そうだろう?
北村 そうだよ。だから――
明 俺あ、こんど兄さんに逢ったら、俺あ、この腕で、兄さんを――(クククと泣き出し、せぐりあげてヒーッという)
北村 いいよ、いいよ、そんな君――君の気持はわかる。よくわかる。だから―― 
明 俺あ、俺あ、兄きとはちがうんだ! 俺あ、来年早々、志願して出ようと思ってるんだ。俺あ日本人だ。俺あ、こんなとこでベンベンとして器械の組立てなんぞやってはいられないんだ。俺あ日本人のためなら、死ぬことなんかヘイキだ。俺あ、やって見せる。見ろ! 九軍神が、なんだ! あれ位のこと、いつだって、俺あ、やって見せる――それを、それを、班長の奴、「九軍神に対しても恥かしいと思え!」……どんな、どんな事をしたから、俺が、恥かしいと思わなきゃならないんだ! 俺が、兄きの弟だと言うだけじゃないか! それも、それも、その事をいって、ハッキリとその事をいって、やっつけるんなら、まだ、いいんだ! 当のその事は、カゲにまわってコソコソいうだけで、表むきにゃ、なんにもいわないで、仕事のことで、俺の組立にケチをつけちゃ、事ごとに俺の成績をおっことしにかかるなんて、――いや、そうなんだよ、みんな班長や組長にオベッカをたれやがって、俺がいっしょけんめいやってる仕事にケチをつけてオシャカにしゃがるんだ! そうしといて、おおぜいで俺をナブリものにしゃあがって、ちきしょう[#「ちきしょう」は底本では「ちきしよう」]!
北村 いいよ、いいよ、いいんだよ! そんな気を立てないで――
治子 ……(うすくらがりへ向って)明さんじゃなくって? 明さん!(明と北村がこっちを[#「こっちを」は底本では「こつちを」]見る)
治子 ……どうなすって?
明 ……治子さん。……(その辺を見まわす)なんだ、ここは仕上部か。……(こっちへ[#「こっちへ」は底本では「こつちへ」]歩いて来かけて、ヨロヨロとなる。北村がそれをささえ助けて、二人が、光の輪の中へ入る。そのギラギラした光に照らし出された明の作業服がズタズタに裂け、右のコメカミの所にベットリと血)
治子 ……(ギョッとして中腰になる)……どうなすったの、その――?
明 ……うん。フ!(つとめて笑おうとしながら、コメカミに左手を持って行く。その左手が、また赤い)
静代 まあ! ……(これも立ちあがる)
北村 みんなと、やりあってね。やっと[#「やっと」は底本では「やつと」]、とめて――
明 治子さん、……俺あ……兄きと、あんたと……いや、あんたは、いいんだ。……だけど、俺は……兄きの事を……兄きは、俺の、カタキだ。……こんだ逢ったら……。(つぶやくように切れ切れにいい、眼はジッと憎悪をこめて治子を見つめながら、無意識に血だらけの左手を空に一杯にひらき、それでグッと物をつかむ動作をする。その左手のシワの中に、かたまりかけた血液が、赤黒くスジになって光る。それを見つめている治子の、石化した顔。……北村とシルエットの静代とが、二人を見まもっている)……フ! (明の、つとめて笑おうとしてゆがんだ顔が、ベソに近くなってくる。暗くなる)

        4

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 ガランとした柔剣道道場。
 半分は板じきで、半分はタタミじき。正面に体操用の肋木台。その肋木に両腕をしばりつけられて、土気色の顔の、眼をつぶり、青バナを垂らし、ヒクヒクとあえいでいる片倉友吉。左腕は上膊から肱の下までホウタイが巻き立てたのが、折れて不自然なかっこうに垂れている。
 その足もとから五、六歩はなれたユカの上に、右手に竹刀を握りしめたまま、うつぶせにたおれている父の義一。黒背広を着た中年の今井が、かがみこんで老人の背に手をかけて、のぞきこんでいる。人見勉がタタミの部〔分〕にキチンと坐り、すくみあがっている。
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今井 ……だから、いわない事じゃないんだ。これくらいな事で、転向するような大将なら、ぼくらも苦労しやしないさ。……(ノロノロと、人見に話しかけるような、話しかけないような調子でいうが、人見が口をパクパクするだけで答えないので、又つづける)憲兵隊でも、そうとうな目に逢ったようだし、ここへ来てからも、まあなんだね、以前の左翼の連中なんかよりや骨を折らせてるんだ。もう、とにかく、ぼくらもアグネきってるんだよ。実際めいわくな話さ。一体からいやあ、憲兵隊で、始末すればいい事だあ。警察へまわしてよこすなんて、筋ちがいだもんなあ。軍法会議へかけたりして処罰したりすると公けの問題になるし、外部に洩れると、国民の士気に関するからだというんだそうだがね。だって、警察に置いときゃなおのことだろう、第一、もう、工場でもみんな知ってるというし、家では町の者が石を投げてるというんだろう?いまさら外部に洩れるものじゃないかね。けっきょく、責任問題なんだね。自分たちが責任をとりたくないもんだから、こっちへ廻してしまったのさ。憲兵隊やら動員の方の大将とか、東部軍管区とかの司令官とか、軍部というのは、上から上へ次ぎ次ぎと自分の責任になるらしいんだね。忙がしくって、こんなキチガイの一人や二人のことに、いつまでもかかりあっている暇はないともいってた。そりゃまあ、向うも、一日に四、五十人ぐらい、しょっぴいて来たり、ヤキを入れたりさ、ぼくらのお株を取っちまっているありさまだもん、忙しいのも忙しい。しかし君、こんな、ヤッカイなお荷物を、よりによって、ここへおっつけるのは、セッショウだよ。主任なんか、泣きツラかいているんだ。ヘヘヘ、……だから半分はムシャクシャばらで、こないだから君、ずいぶん、この、なんだ、見てると、かわいそうになるよ。アカやなんかとは違うしなあ。それに、こんなおとなしい男だからねえ。……だけど、いくら同情したって、しょうがねえんだよ。こんだ、気が附いて眼をさますと、ケロンとして「神さまから叱られますから、」……ヘ、ヘ、ヘ、シケちゃったあよ、まったく。ヘヘ、どういうのかねえ、この――(ニヤニヤしながら肋木の方へ)
人見 ――あの、だいじょうぶで[#「だいじょうぶで」は底本では「だいじようぶで」]しょうか?
今井 うん?
人見 あの――?
今井 なあに――まだこれ位じゃ気絶もしてないよ。なあおい。(友吉の頭をこづく。しかし友吉はビクリともしない)
人見 いえ、その、なにしろ年よりですから――
今井 ……(義一の方を見て)なあに君、そっちは、ただ、あんまり竹刀を振りまわしたんで、眼がまわっただけだもん。……(近づいて[#「近づいて」は底本では「近ずいて」]背に手をかけて)おやじさん、起きろよ。(義一、手足をヒクヒクさせて、起きようとするが、起きられない)……よせばいいんだ。いまさら、しかたがねえじゃねえか、ねえ!おい!
人見 (義一が動きだしたので安心して)……それで、なんでしょうか、この……片倉が、いつまでも、このままの状態でいるとしますと……今後、どんな事になるんでしょうか?
今井 そうさねえ……そりゃ、とにかく、困るよ。まあ、しかたがなければ、キチガイ病院に入れるとか、憲兵隊にもどしてしまうという事になるかもしれんがね……病院は費用がかかるし、官立のやつは一杯でダメ……また、戦争からこっち、おそろしくキチガイがふえたそうだねえ。……だからまあ、いよいよとなれば軍に引渡してアッサリ処置してもらうんだが、今いった通り、向うも忙しいのと、責任問題で、相手にしたくないんだから、これ、どうなるもんだか――(話しながら、友吉の縄をほどく。友吉は、縄がほどけるとクタクタと、ボロをたたんだように肋木の足もとに坐る。顔はガックリ前に垂れている)……どうしたい?……だからねえ、どうだい、君からなんとかすすめてだなあ、早くこの――だって、この大将をヤソにしたのは、君なんだろう?そんなら、君からいやあ、なんとかなりそうなもんじゃないか?
人見 はあ。それは、先日から、この、口をすっぱくして、なにしているんでございますが、どうしても……
今井 でないとだな、君だって、これで、今に、妙なことにならんとも限らないよ。戦争が、こんなふうに段々と負けが込んで来るとだなあ……うむ、海軍はあらかた沈んじゃった、飛行機の増産も思うように行かん、第一ガソリンがなくなって来たわ、せいぜいあと半年ぐらいで、いよいよ本土作戦――竹槍で、一億総肉弾か。ヘヘ、……といった有様、軍部もドタンバだもん、神経質になっとるからな。ヘタをすると君なんかも、ロクに調べもしないで、バッサリということにならんとも限らんぜ。気をつけるんだなあ。
人見 ……はい。その、私は――(すくみあがってキョトキョトする)
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(そこへ黒川※[#始め二重括弧、1−2−54]国民服にゲートル※[#終わり二重括弧、1−2−55]と、宗定※[#始め二重括弧、1−2−54]セビロ※[#終わり二重括弧、1−2−55]がズカズカ入って来る。黒川は正面の額に向ってキチンと敬礼をした後、友吉の姿と、まだ伸びている義一と、人見を見る。宗定は、一同をユックリ見まわしながら、巻煙草を取り出す)
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黒川 ……(今井に)そいで?
今井 (宗定に、ちょっとあらたまって敬礼をしてから)はあ?
黒川 ダメかね、やっぱり?
今井 なんしろ――
宗定 いかんなあ、しかし。(友吉と義一の姿をアゴで指して)あんまり手あらに扱っちゃあ。
黒川 だが実際、こうなると全く、どうにも処置のしようがないですからねえ。弱りました、われわれも。
宗定 そりゃ、僕らにしたって同じさ。本庁でも、君みんな逃げを打ってるんだ。しかし、それだけに参っちまったりすると、後がうるさいよ。相
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