その人を知らず
三好十郎
−−
【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)掟《おきて》
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)※[#始め二重括弧、1−2−54]
−−
1
[#ここから3字下げ]
窓のないガランとした室。
中央にテーブルと三四のイス。
伴(軍服)がイスにかけて書類を見ている。壁の前に人見(セビロにゲイトル)が、棒のようにこわばって立っている。
間――時計の秒刻の音。
[#ここで字下げ終わり]
伴 (寝ぼけたような顔をあげて)人見。
人見 は。
伴 ツトムいうのかね、ベンかね?
人見 ツ、ツトムで、あ、あります。
伴 三十四歳。……独身か。家族は、妹だけか……妹だね、この治子というのは?
人見 は。妹であります、はい。
伴 キリスト教教会牧師というと……どうだね、ちかごろ?
人見 は? あの、なんでございましょうか?
伴 いや、この――信者か……信者は、よっぽど居るのかね?
人見 いえ、教会といいましても、ほとんど私個人ではじめたようなもので、その、ホンの小さい……二百人ばかり、その、名簿だけにはのっておりますが、現在はホンの五六人、いえ、この、集りなども、全く休んでいまして、実際は一人もおりませんような、状態でして、つまり教会というのは名前ばかりでして――。
伴 ふむ。……それで費用などは、どこから出てる? たいがい、なんだろう、外国から……つまり伝道会というかね――現在はトゼツしとるかしらんが、以前だなあ?
人見 いえ、それは、そんな事はありませんです。最初から、この、なんです、私たち五六人の信者どうしが集ってなにしたもので、一種の独立教会……日本内地の、どんな教派とも、べつにつながって居りませんくらいで、ましてその――
伴 しかし、すると費用は、どうするね?
人見 費用と申しましてもべつにいりませんし――
伴 君や、その妹の生活費だって、いるだろう?
人見 それは、私は、以前、教師をしていましたし、現在は私も妹もチョウヨウを受けまして、そいでまあ――
伴 (書類に目をやって)東亜計器か。飛行機をこさえるんだったね?
人見 はい。もと時計の方の工場でございまして、現在、ズッと、おもに飛行機の計器を製造して――
伴 よかろう。それで――で、主の祈りというのは、どういうのかね?
人見 主の――?
伴 聞かせてくれたまい。
人見 しゅ[#「しゅ」は底本では「しゆ」]、主の祈りでございますか?
伴 うん。やって見せてくれたまい。
人見 でも――。
伴 べつにさしつかえはないだろう?(はじめて笑う) いけないのかね?
人見 ……(おびえた眼で、あいてを見守っていたが、やがて、となえはじめる。色を失った唇がピクピクひきつって[#「ひきつって」は底本では「ひきつつて」]いる)……天にましますわれらの父よ、願くばみ名をあがめさせたまえ。み国をきたらせたまえ。み心の天になるごとく地にもならせたまえ。われらの日用のカテを今日もあたえたまえ。われらにおいめあるものを、われらがゆるすごとく、われらのおいめをも、ゆるしたまえ。われらを試みにあわせず、悪よりすくい出したまえ。国と力とさかえは、なんじのものなればなり。アーメン。
伴 ……(しばらくだまって考えてから)もう一度。
人見 ……天にましますわれらの父よ、願くばみ名をあがめさせたまえ。み国をきたらせたまえ。み心の天になるごとく地にもならせたまえ。われらの日用のカテを今日もあたえたまえ。われらにおいめあるものをわれらが許すごとく、われらのおいめをも、ゆるしたまえ。われらを試みにあわせず、悪よりすくい出したまえ。国と力とさかえは、なんじのものなればなり。アーメン。
伴 アーメン……国と力とさかえは、なんじのものなればなり、か。……ふむ。……そのねえ、その国というんだなあ?
人見 はあ……?
伴 そりゃ、なにかね、つまり天国とかなんとか――まあ、そいった事なんだろ?
人見 はあ。まあ、大体その――
伴 だが、信者当人の取りようによって、今現にこうして生きている此の世のだな、此の国がそうだ、という考えもあり得るのかね? え、どうだえ? そんなふうに教えている、つまり教派というかね、教会も有るんじゃないかね?
人見 さあ……有るのかもしれませんが……私は、その、広いことを知りませんで――
伴 君自身は、どうなんだ?
人見 は?……はあ。その――
伴 自分の事だからいえるだろう。それに、とにかく、君あ、牧師なんだからね、そのへんの考えがハッキリしていなくては、つとまらんわけじゃないかね? どうだろう?
人見 はい。それは――それはそうでございますが、その、……私ども、なによりも先ず、この日本人でありまして――
伴 わかっとる。そりゃ、わかっとるから……ハッキリいってくれても、それでどうこうという事はないから、安心して、ふくぞうなくいってくれたまえ。……つまり、ホンの参考のために聞くだけだからね。
人見 はい。それはもう――
伴 必ずしも、そいつが天国といったようなものでなく、現にこうしている実際の世の中であるという考えかた……信仰……も有り得るわけだろ?
人見 はい。まあ、それは有り得るには得ますけれど、それにしても、その点ハッキリなに[#「なに」に傍点]しているのは、すくないと思いますが――信仰上のことはバグゼンとした事が多うございまして――つまり、そういう考えにしましても、なんです、この、私どもの、信仰と努力によりまして、この世の中をすこしでも神の国に近いものにしたいという願い、希望……そんなものじゃないだろうかと――しかし、その、わが国がです、今、こうしてなに[#「なに」に傍点]しているのでございますから、それはそれとしてです、私ども――
伴 よろしい。……そこでだねえ、いや、ええと、君たちの方には、掟《おきて》が有ったね? つまり、キリスト教徒なら、これこれの事はしてはならんという、つまり戒律というかね……それを聞かせてくれたまい。
人見 はい。あの……。
[#ここから2字下げ]
(扉にノック)
[#ここで字下げ終わり]
伴 ……(そっちを見て)はいれ。
[#ここから2字下げ]
(制服の下士が入って来て、人見には目もくれず、伴の四五歩前でカガトを鳴らして止り、注目挙手)
[#ここで字下げ終わり]
伴 ……(あい変らずねむそうな眼で)なんだ?
下士 ただいまから、田中杉雄、君塚三次、本田菊次郎の三名を本部向け護送し、司令部内、斎藤法務官殿に引渡します。
伴 うむ。そいで、三人ともなり、その中のどれかを向うに残す必要が有ったら、そうしてくれるように。ただその場合には受領證といったものでもいただきたいと、そういって――。
下士 は。三人とも、又は中のいずれかを向うに残留させる場合は法務官殿より受領證をいただいてまいります。
伴 よし。
下士 それから、三人の中で君塚と申しますのが、口から、かなり多量に出血しておりますが、そのままでよろしいでありましょうか?
伴 どうしたんだ? 舌でもかんだか? いや、あれは外務省などに出入りしたりして、おとなしい様子はしているが、もともとシベリヤ方面をウロついたりした事もある男で、いけないとなったらそれぐらい、やりかねない。
下士 いえ、そういう形跡はありませんです。
伴 そうかね、じや、訓練がすこし過ぎたんじゃないか?
下士 いいえ……はあ。……わたくしは――。
[#ここから2字下げ]
(プツンと言葉を切って不動の姿勢で壁を見ている)
[#ここで字下げ終わり]
伴 ……(その棒のような相手の顔を見ていて、しまいにニヤリと笑って)いいさ。――だが、あまり手荒らく扱ってはいかんぞ。……医者に見せたりせんならんで、あとがめんどうくさい。……で、あの雑誌記者は、どうしてる?
下士 あれは、昨日から非常にしゃべりだしておりまして、今朝も自分から是非申しあげたい事があるといって聞きませんので、須山中尉殿の方へ、さきほど出頭させることに――はあ。
伴 例の――なには、カケて見たかね?
下士 昨日、三回ばかり。かなり効果があります。
伴 四号の男にも、かけたか?
下士 はあ。しかし、あれには、あまり効果がありません。電圧をあげますと、ただ、卒倒するだけでして――
伴 よし。じゃ、あれを、此処に連れて来させるように、いっといてくれ。よろしい。
下士 は。それでは――(挙手の礼をして室を出て行くべく扉を開ける。その開いた所へ、出あいがしらに、廊下の方からフラフラと入って来る雑誌記者浮田。久しく着たきりでヨレヨレの背広の背中やズボンが裂け、蒼白な顔が動かず)
下士 ……こっちじゃないお前は。向うの須山中尉殿の室だ。
浮田 はい。(かがとを鳴らして足をそろえて不動の姿勢になり、伴の顔に注目したまま、いきなりべラべラとしゃべりはじめる)申しあげます。この、日本を主導者とする東亜共栄圏の確立は、すでに東洋全体の必然であると同時に、世界の必然であり、必要であります。政治的経済的に、この事は立證されることは、もちろんでありますが、更に文化的にも哲学的にも立證することのできるものでありまして、人生と社会と国家及び諸国家の連合などに関するヨーロッパ的理念は、もはや崩壊しておりまして、その点、くわしく具体的にのべておりますと、くだくだしい事になりますから、省略いたしますが、私が考えに考えたあげく到達しました結論だけを申しあげるのですが、その、ルネッサンスにおいてキャソリシズムがヨーロッパ全体の指導権をしっついした時に、すでにヨーロッパ的理念の実質は没落したのでして、以来、ただ一つ、ソヴイエット・システムだけが、ヨーロッパ的理念の最後のひとつかみのよりどころ、ないしは修正物として、かろうじて存在しておりますが、しかし、それも、特殊な地方的条件としてのツァーリズムというものが、打ちたおされるべき反対物として存在していたればこそ、可能であったのであって、そういう意味では、すでに現段階のものではなく、世界的チツジョ樹立のための現実的な原理としては、もはや無力であることは、立証されているんです。いえ、私は、或る意味でマルキストであるかもしれません。いえ、マルキストと言われてもすこしも恥じません。もちろん、そのために処罪されても、いいんです。しかし、われわれのマルキシズムは、公式主義的適用から、はるかに生成発展したものでありまして、つまり、東洋的現実日本的地方的条件――すなわち、民族の族長としての天皇へいかを中心として、つまり一君万民ですね、せまくは日本、広くは大東亜圏諸国を、天皇中心の社会主義体系にまとめるという理念であります。この事は、私がこれまで書きもし、また各地で講演もして来た考えでありまして、冷静な科学的検討をへて来た思想であると同時に、今日となりましてはわれわれの信念となっているところのものであります。もしマルキストとしてわれわれを処分されるのでありましたら、われわれは、あえて辞するものではありませんが、しかし、この、現にわれわれが到達している理念の体系をよく理解された上で、いずれとも処断していただきたいのです。われわれは、これを、神の前で誓って断言すると共に、この聖戦はじまって以来、各方面の戦場で陣歿された将兵のミタマの前で明言します。実は、私の弟も昨年、上海附近で戦死しておりまして、それを思うと私、なんであります、まだ、この、女の味も知らない二十四になる賢介がです、この、童貞のままで――クリークの泥の中に頭を突込んで死んでいたそうですが――まったく、シッチャイネーヨと――(直立不動のまま、まくし立てる)
伴 ……(冷然として聞いていたが)もういい。おい。(下士に、浮田を別室へつれて行けとアゴをしゃくる[#「しゃくる」は底本では「しやくる」])
下士 は。……(浮田に)お前は、あっちだ。
浮田 戦陣訓、戦陣訓と、そりゃ、ウヌは殺される
次へ
全18ページ中1ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
三好 十郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング