心配がないから、なんとでもいえるだろうさ。ぜんたい、この聖戦をだなあ、こんなふうに――グウ!(と言ったのは、下士がツと寄って、背広のえりに両手をかけて、十文字にグイとノドをしめあげたのである。下士はそのまま浮田をボロのように引きずって、廊下に消える)
伴 ……(しばらくだまっていてから、なんにもなかったような調子で)そこで、クリスト教信者として、守らなければならぬ事になっとる、この、掟だねえ?
人見 は?……はい。(ガタガタふるえ出している)
伴 山上の垂訓とか、いうやつさ。さがしたが、見つからん。(テーブルの上の小形の本をいじくる)いって見たまえ。
人見 それは、あの、なんです……なんじ、カンインするなかれとか、なんじ、いつわりのアカシをするなかれとか――つまり、キリストが示した一種の道徳上のです、標準といいますか――
伴 だが、信者なら、それを守らなければならんのだろう?
人見 はあ、それは、なんですが……この宗教上の信条と申しますのは、実際上にこれを、なんです、実行するという点になりますと、いろいろの解釈がありまして、必ずしも、この――
伴 必ずしも実行することを命じていない? そうだね? ……しかしだね、実行できれば実行した方が、いいのだろ?
人見 はあ、それはなんですけど、でも、実行しようにもできない場合もありますし……また、そのような事の前に実行しなければならぬ、もっと大事なことが有るとか……つまり人間としてです――
伴 よしよし。正直にいってくれて、いいよ。よそ行きの、おもてむきの、キマリもんくを聞くために君を呼んだのじゃない。ホントの事をいいたまい。……どうだね、君は、この戦争をどんなふうに思っているかね?
人見 は? ……はあ、それは、とにかく日本が生きるか死ぬかの、聖戦でございますから、わたくしども、力の限り、なんです……それでまあ、私も、チョウヨウを受けまして、飛行機の増産にたずさわらしていただいて……もっとも、私は眼がすこしいけないものですから、事務関係とそれから青年学校の講師にまわされておりますが……とにかく、いっしょうけんめいに――
伴 よろしい。それで、その山上の垂訓というやつを、やって見る。なんじ、殺すなかれというのが有るかね?
人見 はあ、それは――
伴 なんじの敵を愛せよ。
人見 あ、ありますです。
伴 人もしなんじの右の頬を打ったら、左の頬を出せ。
人見 はい、それは――
伴 それをだね、そんな事をだね、文字通り実行しなければキリスト教にはずれる。救われることができない――天国に行けないというので、この、文字通り実行する気になった人間が居るとする、――つまりだ、アメリカ人、イギリス人、その他の、つまり敵国人をだね、つまり、愛するんだから、――戦争にでかければ、それを殺さなきゃならんから、行くのはイヤだ。
人見 そ、そ、そんな、私は、そんな者が居ようとは、思いません。居る筈がありませんです。そんな――
伴 キリスト教の方からいえば、それは、りっぱな事じゃないのかね?
人見 いえ、そんな、それは、なんです……どうして、そんな事をおっしゃいますでしょうか――いえ、最初から、なんです、憲兵隊などへ呼び出しを私などが受ける事からして、私、ビックリしておりまして――なんの事やら、わかりませんので――いったい、なんのために、このようなごじんもんを受けるのか、どうも、わけがわからないのでございまして――その点を、なんです――私は工場の方の青年学校の講師としましても、いつもつつしんで、この、常に万全をつくしまして――クリスト教の事を話しますにも、主として生徒たちの修養という事を主眼にしまして――それも、しかし、大東亜戦争になりましてからは、ほとんど教室ではキリスト教に関する事は一言も話さないように――
伴 だが、自分のうち……つまり、教会の方では、信者になりたいという人間に洗礼――といったね、洗礼をしてやったりはしているんだろう?
人見 はい、それは――いえ、しかし、そんな人も近頃、ほとんど有りませんものですから。
伴 ふむ。……(それまでいじくっていた小形の黒い本の、はじめから折ってあった所を開いて)ここだ。(読む)見よ、ある人、みもとにきたりて、言う。「師よ、われ、とこしえの命を得るためには、いかなる善き事をなすべきか」イエス言いたもう……えゝと、うん。読んで見たまい。(本を人見に渡す)
人見 え? はい……(その聖書と伴の顔を見くらべてオドオドする)読むのでございますか?
伴 うむ。
人見 (つかえつかえ読む)「師よ、われ、とこしえの命を得るためには、いかなる善きことをなすべきか」イエス言いたもう「善きことにつきて、なんぞ我れに問うか。善き者はただ一人のみ。なんじ、もし命に入らんと思わば、いましめを守れ」その人言う「いずれのいましめを」イエス言いたまう「殺すなかれ。姦淫するなかれ。盗むなかれ」「いつわりのアカシを立つるなかれ。父と母とをうやまえ。また、おのれの如くなんじの隣人を愛すべし」その――ああ!(ギクリとして口の中で叫ぶ。手に持った聖書がひとりでにめくれて表紙の見返しが現われ、そこに書いてある文字を見たのである)片倉……
伴 知っているね? 君の字だろう?(ニヤニヤして本の見返しを覗きこみながら)われらのために十字架にかかりたまいしイエスのみもとにて、逢わん、か。洗礼をさずけし日に、人見勉。わが兄弟、片倉友吉君へ。
人見 ……すると、すると、なんでございますか。さきほどからの事は、片倉の、この、なにか、この――
伴 だからさ、私が聞いているのは――
人見 あれは実に、なんです、おとなしい、正直な……まるでこの、子供のように単純な男でして、それが、なにか――
伴 うん、正直ではあるようだな。……こらこら、なんだそりゃ、君!(人見の足元を指す)
人見 は?
伴 いかんよ、おい!(人見の足もとに水たまりができている)きたないなあ!
人見 はあ?……(その水たまりと、伴の顔を見くらべても、まだ自分のした事に気づかず)はあ?
伴 困るじゃないか、どうも――
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(そこへ半開きになっていた扉から、そこまで連れて来た下士官の軍服の腕で背を押されて、ヨレヨレの訓練服を着た片倉友吉が入って来る。ほとんど少年といってよいほどの単純で柔和な顔が青い。からだつきと動作にどこか調子のこわれたような所ができている)
[#ここで字下げ終わり]
伴 ……そこへ、かける。
友吉 ……(伴にていねいにおじぎをしてから、人見を見る。相手を認め得ないでポカンとしている)
人見 ……(石のようになって、友吉を見つめていたが)……片倉。
友吉 ……(不意に相手を認めて)……先生。……(うれしそうに微笑)
人見 ど、ど、どうしたんだ、友吉君?
友吉 ……(マジマジと人見を見ていたが)人見先生……助けてください。……(子供らしくいって、唇のすみがギュッと下にさがり、からだが一つフラッとしたと思うと、立木が倒れるように前の方へストンと倒れて、動かなくなる。……その彼の頭が、人見のこしらえた水たまりのすぐわきにある)
伴 なんだ?……
人見 ……(二人ともユカの上の友吉の姿を見守っている)

        2

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 東亜計器工場の人事課長室。夜。周囲は全部まっくらな中に、燈火管制用のエンスイ形の電燈がテーブルの上をカッと照らしている。その光の中で、テーブルの正面に坐って、話している課長。はじめ、こちらに話しかけているかと思える。しかし実は、聞かされているのは、テーブルのこちらに、背を見せてションボリ腰かけている片倉義一。義一の姿は、逆光のため、おそろしく大きなボンヤリしたシルエットになっている。そのシルエットに区切られた光の輪の中で、シルエットに向って――こちらに乗り出して、心労と恐怖と脅威の入れまじった、低く押しころした早口でしゃべる課長の顔の、ふくれあがった鼻腔やブルブルふるえる頬のシワまでハッキリと見える。(クローズ・アップ)義一のシルエットが、時々、課長に向っておじぎをする。
[#ここで字下げ終わり]

課長 ……でねえ、その、アカでないという事だけは、むこうでもハッキリしたらしい。最初は、てっきり、そうと思ったらしいんだ。そうだろう。今どき、そんなムチャな人間が居ようたあ、君、誰が考えたって、そうとしか思えないからね。また、本人が先方へ連れて行かれてから、いろんな事をいったらしいんだ。ああいう男だからね、正直というか薄バカというか……そりゃ、たしかに、この、聞いて見るというと、共産主義とか無政府主義なぞと共通した所が有るからねえ。いやキリスト教には限らない、仏教にしろ、なに教にしろ、この教義をしらべて見るというと、つまり、仏教でいえばオシャカさん、ヤソでいうとキリストがいった事は、或る意味からいえば、たしかに、アカに共通するものがあるんだ。それを又、君んとこのは、その通りにベラベラとやるんだろう。いや、とにかく、恐ろしいものが有るんだ。この、ここんとこに当てがって、電気を通じるんだ。すると、頭が、あれで、どんなふうになるのかねえ、手や足がピキピキと引きつるようなカゲンになって、さ、三度四度とそれにかけられると、どんなシブトイ人間でも、そりゃもう、グナグナになってしまうんだ。向うから持って来た器械とかいっていたね。いやどうも、見ちゃいられない。しまいに、こうしてダラリと舌を出してしまう。いや、どうも、……で、まあ、大体、アカではないようだというような事になって、まあ、私の方は、いくらかホッとしたんだ。考えても見たまい、内の工場は、さきおとどし、やっとまあ[#「やっとまあ」は底本では「やつとまあ」]、時計工場から飛行計器の製作に切りかえて、指定工場になったばかりだ。そこの工員の、しかも熟練工の中からアカが飛び出して、戦争反対をしたとなると、もちろん取りつぶしだ。ヘタをすると、私ども主脳部はみんな、ひっくくられてしまう。だからまあ、とにかく、そんな事になって[#「なって」は底本では「なつて」]、ひと安心だが、それにしても、又どんな事になって、指定工場を取り消しになったりしないとも限らんから、なんとか大至急、処置をしなければならん。それも、外部へはもちろんの事、工場内部でもだ、この間題がパッとしない内にだね、一刻も早くなんとかしないと、えらい事になる。わかるねえ、その点は?……(義一のシルエットが大きくうなずく)うむ、そいでまあ、あんたにも夜分に御足労をかけたわけだが……そんなわけだ、本人には、まあ、もちろん、会社から引いてもらうとして――そりゃ、これまであんなにおとなしい、それに腕は立つからねえ、会社としては――特にこの、今の時計の方でも又始めるとなると、部分品の工作となると、あんたんとこの息子以上の腕ききは先ず居ないからね、会社としては惜しいのだが、まあ、あきらめてもらいたい。その方は問題ないとしてだ、弟だねえ、旋盤の方に居る、ええと――明君か。(義一のシルエットうなずく)片倉明。これにも、いちおう、引いてもらいたいんだ。工員たちには、この問題はかくしてあるが、でもみんなウスウス知って来たらしいね、若い者ばっかりだし、とにかく、この戦争に負けちゃならん、それには飛行機を一機でも多く、一刻でも早くと、みんなで火のようになっている最中だろう? そんな国賊が我が社から出たのは捨てて置けん、とまあイキリ立っている連中も居るんだ。その弟だからねえ。当人には責任はなくってもだ――二、三日前にも、明君を取り巻いて、なぐるといって騒いでいる連中が有ったりしてね。いやいや、兄きの事は別に表立って誰もいわないさ、その時も、衝突の理由は、なにか仕事の上の事さ、折よく私が行き合わせて、みんなをなだめてやったが――そんなわけで、いつなんどき、爆発するかわからない。そんなふうでは、旋盤部全体がうまいぐあいに行かんし、すると、この、大事な増産のジャマになる、第一、明君当人がおもしろくないだろう? そいで、まあ
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