私は、兄さんから、神さまを与えられた人間よ。そして、こんだ、兄さんから神を取り上げられたの。……そうじゃありませんか。……戦争中、兄さんは疑いだした。苦しんでいたわ。私も苦しかった。しかし、その頃は、まだよかったわ。けっきょくは、ホントは、ホントの心の底では信じていたわ。……その兄さんが、終戦後、又教会はじめて、以前の通り集会なんかもチャンと開いて、――そりゃ、いろんなメンドウな教義やリクツやいいまわし方でね――とても熱心だわ。それ見てて、どうしてだか、私、こんだホントに信じられなくなったの。まるきり、メチャメチャになった。……神さまなんて、まるで、出たとこ勝負の、イジの悪い、人にイジの悪い事ばかりして自分だけニヤニヤ笑っているような、ヘリクツこねの――そういう気がするの。……どうしてだか、わからない。すくなくとも、新約の神は、私から、なくなってしまったわ。悪魔が私にとりついたのかも知れないわね。フフ。どうでもいいわ。……そしたら、急に、私、自分も人間だっていう事に気が附いた。一人の女だって事に気がついたの。女よ。……私たちは私たちを愛しているのよ。食べて、生きて、愛しているのよ。食べて、生きて、愛して行くのよ。たとえ悪魔と同じような事をしても。……がまんにも、そいで、兄さんの教会には居られなくなったの。そいで、一人でアパートに行って、会社につとめて――そいで、食べられなくなったから、もう、なんでもしようというの。悪いかしら?
友吉 ……いや、悪いのなんのって、そんな――
治子 人間なんです。一人の女なの。私は。それが悪ければ、神さまは罰したら、いい。……女よ。おちちも有るの。そいから、そのほかの――みんな――(石のように青ざめて来た顔で、右手をツト動かして、コートの胸元のスナップを、白いミゾオチのへんまで、パラリと開ける。――友吉の方へ立ちかける)
友吉 ……(苦しみにゆがんだ顔)許してください。ぼくには、わからない。ダメなんだ。治子さん。もう、あの――
治子 友吉さん、私ね……
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(そこへ、崖の上から、「兄さん!」という声がする。友吉も治子も、そちらへ目をやる。目の不自由な俊子が、そちらの小道を降りて来るらしい。友吉も治子も、しばらくボンヤリして、それを見迎えている。……やがて、傾斜のところに、俊子の姿が現われ、足さぐりに壕舎の方へ。極端にみすぼらしいナリに、頭髪をおさげにし、眼は普通に開いたまま、ごく僅かしか見えない。右手に大事そうに、大型の置時計を一つさげている。明るい顔付。時々、土くれにけつまづいたりして近づく)
[#ここで字下げ終わり]
友吉 ……(やっと、夢からさめたようになり)あぶないよ、俊子、そらそら!(立って行きかける)
俊子 いいのよ、平気。……(ニコニコして置時計をかざして見せながら)ほら、兄さん!角の隅本さんという内で、なおしてくれって!
治子 ……[#「 ……」は底本では「……」](その俊子の姿を見ているうちに、今までの凍りついた態度がクラリと変って、不意にバラバラと涙をこぼし、次ぎに声を出して泣き出す)……ごらんなさい、友吉さん! ごらんなさい、友吉さん!あなたの神さまは、こうだわ! いいえ、私は、ダンサーだって、いいえ、もっと、もっと、どんな事したって、――俊ちゃんまでを、こんなことさせるくらいなら――(泣く)
俊子 (あがりばなへ来て、びっくりして)……だあれ?
治子 私が働いて――どんな事をしたって働いて、俊ちゃんに、そんなこと、させない。……(ユカに突伏す)
俊子 ……治子さん?治子さんでしょう!……どうしたの、兄さん?(あがって、友吉に置時計を渡しながら)
友吉 ……角の、あの――
俊子 隅本さん。急いでなおしてくれって。……治子さん、どうなすったの?
友吉 うん。……
リク (それまで眠っていたのが、眼をさまし、寝たまま)ああ、ああ。ああ、ああ。……おなかが、すいたねえ。
俊子 お母さん、目がさめた。……(足さぐりに寄って行き)どう?よく眠れて?
リク 眠れやしないよ。頭の中でガンガン、ガンガン、鐘ばかりなって。
俊子 なんか、食べる?
リク 食べさしておくれ。おなかがすいて、おなかがすいて。なんでもいいから。食べさせておくれ。ひどいよ、自分たちばかり食べて、私には、なんにもくれないんだから。
俊子 だってそんな事いったって、お母さんが、なんかあげると、食べないんだもの。……今日は、ホントに食べる?
リク ああ、食べたいよ。早く、なんか――
俊子 はいはい。……(よく見えない目で友吉の方を見る。友吉立って室の左の隅に二つ三つ積んであるブリキのカンを次ぎ次ぎと開ける。みなカラッポ。だが、今度はポケットから、ガマグチを出して、なかみをチラリと見て、ガッカリしてボンヤリ坐っている。その様子を突伏していた治子が横眼でジッと見ている)
リク ……ああ、ああ。
俊子 ……(ひとりごとのように)ズーッと配給がおくれているから。
友吉 ……(思い決したふうで、ツト立って、左手の棚の上にのせてあった一冊の本を取って出て行きかける)じゃ、チョット、なんか買って来るから――
治子 ……(急いで、ガマグチを出し、有り金を手の上にあけて、それを友吉に渡しながら)これで、あの―― 五円ぽっちじゃ、なんにも買えやしないでしょうけど。
友吉 いいんだ、いいんだ。これを売ってくるから――
治子 バイブルでしょう[#「バイブルでしょう」は底本では「バイブルでしよう」]? ダメだわ、売っちゃ! 友吉さんが、それを――ダメ!
友吉 いいんだ。――(ゲタを突っかける)
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(そこへ、崖の方から、不意に現われたと思うと、恐ろしい敏しょうさで[#「敏しょうさで」は底本では「敏しようさで」]、この家に近づいて来る復員服にジャンパーを着た貴島宗太郎――7に於ける男3――)
[#ここで字下げ終わり]
貴島 (自分の来た方を振返って見てから、スーッと近づいて来て、笑顔)おい、エスさん! 居るかね! よう! 片倉さん、今日は!(友吉にいいながら、ジロジロッと壕舎の中の三人の姿を見てしまっている)ヘッヘヘヘ、どうです景気は? ヘヘ、まあまあ、いいですよ、いいですよ、なあに、チョットそこまで来たんで、どうなすっているかと思って寄ってみたんだ。ハハ、どうかね、その後おっ母さんのグアイは? 今日は、おばさん!(友吉を室の中に押しもどし、自分もあがりばなに掛け、リクの方をのぞき込んだりして、ベラベラとしゃべりつづける)早く起き出して、この、なんでも食えるようにならなくちゃダメだね。元気を出さなくちゃ――そんなお前さん、この御時勢だ、なんちゅう事あないんだからねえ、あれはいけない、これはいけないなんて食わずぎらいをしていたって、しょうがないんだ。コジキだからね、俺たちあ。コジキになってしまったんだから、なんでもかんでも手当り次第に食うのさ。シャケの頭だろうと、人間の足だろうと、ドロであろうと、アブクであろうと、よりごのみをしていちゃ、生きて行けねえや[#「行けねえや」は底本では「行けねえゃ」]。ね、そうでしょう? (ジロリと治子を顧みて)ヘヘ、今日はあ! こりゃどうも、失礼。
友吉 貴島さん、あの先日の時計は、まだこうしてもうチョットあの――
貴島 ああ、いいですよ。いつまでもいいんだ。どうです、俊ちゃん、その後、眼の方は?(俊子が返事をするのも待たずに治子に向って)いえね、私あ、この少しばかり古物を扱っている貴島宗太郎と申しましてね、ヘヘ、ケチな男です。どうぞよろしく。なにね、片倉さんを好きで――いえ、好きといっちゃなんですがね、この、いえ、戦争中、ケイサツでいっしょに、この、ヘヘ、いろいろお世話になりましてね、なんしろあなた、いまどき、変った人だ。ハハ、だんだん見ていると、とんでもねえ、エレエというのかバカというのか、ヘヘヘ、まあ、神さまみてえな――つまるところが、エスさまあでさあ。おどろいたねえ。おどろきました! そいからまあ信者になったのです。信者といったって私あ、ヤソなんかの事あ、わからんですよ。ヤソだろうとクソだろうと、見さかいのない野郎でさあ、だから信者といっても、神さまの事じゃ、ごいせん。つまり片倉友吉さまでさあ。いや、まったく。片倉友吉さまの信者でさあ。ヘヘヘ、そいでまあ。(いいながら、ふところから、懐中時計を二つばかりと腕時計を一つ取り出して、友吉の机の上にのせる)……はい、これ、やっといて下さいよ。いや、ブンカイそうじをしてね、こわれてるのは、なおしといてくれりゃいいんだ。なんなら、誰かほしいという人があったら、売ってくれてもいいよ。値だんは、あんたにまかせようじゃないか。(又、もう一つ懐中時計をポケットから取り出す)ええと、こんで、おしまいだ。ヘッヘヘ、信者だからねえ、私あ。そんでまあ、片倉さんがこうして、こんだけエライ人が、こんだけの腕を持ちながら、こうして困っているのを見ていると、まったく、腹が立ってね、だから私が言うんだ。闇取引であろうが、なんであろうが、おやんなさい、私が方々のワタリはつけてあげる。今どき、そんなリョウシンのヘチマのいっていても、誰もホメちゃくれねえ、だいたい政府にしてからがタバコだのなんだの、法外もなく値上げをしてヤミをしょうれいしているようなもんだしよ。タカラクジなんてもなあ、ありゃお前さんバクチだもんねえ、つまりヤミやバクチは、おかみですすめているんだ。おれたちが、これをやらなきゃ、政府の方針に反するからね。ハハ……まあまあ話がさ、スのコンニャクのといったところで、生まれてきたんだから、生きて行かざあならねえやね。そんだけだあ! だからね、なんでもいいからおやんなさいと、いくらいっても、どうもしょうがねえ。しかたがないから、まあこうして、商売物の時計を持って来ちゃ、なにしてもらっているんですよ。ハハハ、どうもユーズーがきかねえもんだ。じょうだんじゃねえよ、まったく! うっちゃって置くと、神さまも神さまのゴケンゾクもおっ死んでしまいますからねえ! エスさまのヒモノなんざ、博物館でも引きとり手がねえべ。ハハ、じょうだんじゃ、ありません、まったくのところ! そんでまあ(まくしたてながら、ズボンのポケットから、サツのタバを無造作につかみ出して、その一部分をポイと友吉の机の上に置いて)……だろうじゃありませんか?(それに友吉がビックリして、口の中でなにかいって返しそうにするのを、押しふせて)ハハ、修繕代は又あとで払いますよ。こりゃその、ケンキンでさ。まあ、おサイセンだ。いいです! いいですよ! いやなら、修繕代としてくれてもよろしい。どっちでもいいでさ! エスさまなんてもなあ、この、ただ、えらそうなツラをして見ててくれりゃ、いいんでさ。でしょう? 神さまがケンキンを突き返したりなんか、コセコセすると、ありがたみがなくならあ。そういう事は、われわれこの人間は見たくないよ。神さまあ、人間どもを見おろしていてくれて、よしよしお前たちはウジ虫であるから、ウジウジとしていろ、金でも食い物でも、お初穂を持って来い、わしが食ってやるぞよ! そいでいいんだ。そいだから、ありがたいんですよ! そいで、はじめて神さまだあ! 食ってやるぞよ! ねえ、おっ母さん!(リクに)
リク ……(貴島のおしゃべりの間に、寝床の上に起きあがって坐っていたが、いわれて大きくうなづく)……はい、私あ、おなかが空いて――
貴島 ヘ?
俊子 おっ母さん、直ぐ、あの、買って来るから。
貴島 あ、そうか! なあんだ、そんならそうと早くいってくれりゃ、いいのに。おっと来た! 食べる物なら食べる物!(ジャンバアのポケットから、紙袋に入ったホットドックを三つ四つ取り出して、一つをリクに、残りを俊子に手渡す)さあどうぞ! さあ、さあ、お食べなさいよ、エンリョはいらねえよ! いやね、自分用のベントウ代りに、近ごろじゃ、どこでどんな目に会うか、わからねえからね、半日や一日の食料はいつも御持参でさ。肉がはさんで
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