そこいらの家を一軒々々聞いて歩いて――。
北村 ……眼は、その後、どうなんだい?
友吉 ボンヤリ、見える――とまでは行かないようだが、ケントウぐらい附くらしいけど。
北村 ……そいで、仕事は、有るの?
友吉 今一つ受けてるけど、あと、どうも。――近頃あっちにもこっちにも時計の修理がふえたから――
北村 一つや二つパッチじゃ、しょうがないなあ。とてもそいじゃ、三人口――
友吉 しかたがないから、どっか盛り場にでも出かけて行ってやろうかと思ってる。
北村 ……会社にもどれりゃ、君ぐらいの腕だと、問題ないんだけどねえ。須田さんなど、君をほしがっているんだが――しかし、クローズドなんとかって、組合の方のなにで今、とても入れんからなあ。それに、ああしてゴタゴタしてるし――
友吉 ストライキは、その後、どうなったの?
北村 うまく行かないんだ。ううん、いっそハッキリとストライキをはじめてしまえば、まだいいかも知れんが、そうも行かないようで――だもんだから、かえって中でブスブスくすぶって、共産党と、そうでない方とが二つに割れてね、近ごろじゃ工場の中で時々両方のガワが腕ずくの喧嘩になったり――実にイヤだよ。
友吉 どうして、みんなで気をそろえてやれんのだろう? 同じように働らいている者どうしだもの、仲良くやれんわけはないと思うがなあ?
北村 やっぱり、オレがというやつだね。主義や主張のちがいも、もちろん有るだろうが、しかし、おおねは、やっぱり我《が》だ。正しいのは年中自分であって、シトのいう事する事はまちがっていると両方で――いや、みんなが一人一人そう思ってる。それさ。……つまり、けっきょくは、こないだの座談会の時の、君に対するみんなのシウチさ、あれと同じなんだよ。――
友吉 なに、あれは、もともと僕が悪いんだよ。久しく世間の事をまるで知らないですごして来たのが、いきなりあんなとこに引っぱりこまれて、どうも、へまな事ばっかりなにしたもんだから――
北村 そんな事あない。……僕あ、聞いてて、別になんにもいう気にゃならなかったけど――君をああして、みんながバカにするのを聞いてて、腹が立つというよりも、恥かしくなって――実に、顔から火が出そうに恥かしくなったよ。
友吉 恥かしい?なぜ?(びっくりしている)そんな君、どういう――?
北村 だって、そうじゃないか。ああして、急にみんな、まるで左翼の闘士みたいな調子で気勢をあげているけど、ホンのこのあいだまで、つまり戦時中は、連中、ほとんど全部、いや、今鼻息の荒い連中であればあるほど、終戦まで、打ちてしやまんとかでカンカンになっていたんだから。現に司会者をやっていた岡本さんなど、戦争中は旋盤の方の推進隊長をやってて、ずいぶんガンガンやったんだからね。へんだと思うんだ。そりゃ、あんとき話に来ていた細田なんて人は、どんな事いったって変な気にゃならんけどさ、ほかの連中はみんな、なんじゃないか、現に、戦争中、君の事件が起きると、まるでキチガイのように君をいじめたろう? 君だけじゃない、死んだ明君だって、ずいぶん、みんなからひどい目にあったんだ。僕あ、この目で見てる、明ちゃんがああして、行かないでもいい小笠原なぞへ行って、アッケなく戦死してしまったのなんかも、みんなからそういう目にあわされたヤケが半分以上手つだっている。――そんな目に君たちをあわした同じ連中が、いくら、今こうなったからといって、人間ならだ、人間らしい気持をちっとでも持っていたら、こないだみたいに、君を笑いものに出来る筈はないんだ。……(友吉が、返事をしないで時計をいじっているので、言葉をつづける)……もっとも、なんだね、連中にとっては、君から何かチョットいわれると、いや君の姿を一目見さされただけで、てめえの、そんなような戦争中の姿を思いださされる、つまり、てめえの恥知らずな姿を――つまり、てめえにも見たくないものを、鼻の先に突きつけられるような気持がするんだな。だから、君に対してなおのこと、腹を立てたり、あざ笑ったりするんだよ。俺にゃ、そこいらが、よくわかるんだ。……日本人は、キタネエよ。……そう思うと、もう、イヤにならあ。
友吉 ……でも、世の中がこんだけ変ってしまったんだから、それにつれてそれぞれの人がいろんなふうになるのも、しかたがないんじゃないかなあ。
北村 そりゃあね、人の事ばかりはいえない。俺だって自分の事を振返ってみて、オヤと思う事があるものだから、連中の事だけじゃないんだ、自分もだよ……つまり自分も人も、見ていると、なんだかキマリが悪くなってしまって、どいつもこいつも、トウテイ救われねえという気がするんだ。……みんな死んじまえという気が、ホントにする時がある。……いやね、君も知ってるように、俺あ以前から、どっちかというと社会主義や共産主義にやサンセイな人間だ。こないだの選挙だって共産党の運動員で走りまわったくらいだもん。だから、主義はそいでいいと思うんだ。――しかしだよ、だからといって戦争中のことを忘れちまっちゃ、いかんと思う――というよりは、人間なら忘れるわけにはいかんと思う。あいだけの親兄弟が死んだこと、そいから、その時分自分がどんな事を思い、どんな事をしていたかという事をだよ。……あん時、明ちゃんと此処で話した――おじさんがなに[#「なに」に傍点]した日さ――(いいながら自然に彼の目が傾斜の上を見上げる。友吉の視線もそれを追ってそちらを見る)――ちょうど夕陽が、カッと照らしていた。――あんときの事を俺は忘れない。――自分の気持が上っすべりに突走りはじめると、きまって、それを思い出すんだ。――すると、いい気にゃなれない。組合の連中なんかのいってるような事では、片附かないんだ。そいだけでは救われないという気がするんだ。つまりそいだけでは、死にきれねえという気がするんだよ。だって、又、戦争が起きるかわからんのだからなあ。どうなるんだよ、こんだあ?……それこれ思ってると、ただ左翼の連中のいうことだけを聞いていたって、安心はできないんだよ。……そこいらの事、その、キリスト教では、どんなふうになるんだい?
友吉 ……(崖の上の、こげた樹から目を離さないで)さあ。……わからん。……ちかごろ僕には、いろんな事がわからなくなってしまった。……頭がクラクラして。
北村……どういう意味だったろう、あれは?いやさ、ここのおじさんが、あん時、――そうだ、君の今坐っている所に坐っていたが、ヒョッと「友吉のいうのがホントかも知れん」といったんだよ。そういって、そいで立上って、あすこをのぼって行った。そいで――。その、友吉のいうのがホントかも知れん――
友吉 ……(北村の言葉をジーッと聞いている間に、だんだん頭がさがってくる。ホントの苦しみが、はじめて彼の顔に現われる)
北村 ……どっちせ、このままでは、おれたち日本人は救われねえんだ。……安心は得られない。
友吉 ……(不意に、右手のピンセットを投げ出し、左右の手を組み合せ、その上に顔をのせて、修理中の時計の上にガシャンと突伏す)
北村 どうしたんだよ?片倉君?……どうしたんだい?え、友ちゃん?
友吉 (突伏したまま)わからない。僕には、よく、わからない。神さまは――(だまってしまう)
北村 ……(その友吉の姿を、つらそうな眼をして、ボンヤリ見つめている)
[#ここから3字下げ]
(そこへ、右手の小道の方から、人見治子が近づいて来る。みすぼらしいコートに、モンペ式の黒いズボン。以前は少女らしくフックリしていた線は彼女の顔からソギ落ちてしまって、鋭どくフケこんで、無口に無表情になっている。今日はともいわないで、あがりばなに立ち、突伏している友吉と北村と奥に寝ているリクをチラチラと見てから、北村に黙礼する)
[#ここで字下げ終わり]
北村 ……や、今日は。……どうです?
治子 はあ。……(相手になろうとせず、ゲタをぬいであがり、眠っているリクの方へ行く)
北村 その、事務員の方の仕事は、うまく行っていますか?
治子 ええ。(いいながら、リクの額にソッと手を当ててみたりする。その態度に取りつきばがない)
北村 ……じゃ。(と腰をあげて)じゃ、又来るからね、友ちゃん。(友吉は、まだジッと祈っているようなかっこうをしている)……あんまり、考え込まないで――こんだ、仕事が有ったら、持って来るから。……(治子に)治子さん、じゃ――(右手へ去って行く)
治子 ……失礼しました。……(リクの着ている薄いフトンのスソから手を入れてその足にさわって見たり、枕もとを片附けたりしてから、あがりばなの所へ来て坐る。そして、表情を動かさないままで、友吉の姿をしばらく見ている。間)……俊ちゃんは?
友吉 …………。
治子 ……私ね、明日からダンサーになるの。……学校時代の友達がやってるから、なんでも教えてくれるんですって。――近頃じゃ、すぐにやれるんですって。着物もその人が貸してくれるの。――(友吉動かない)どうしたの?
友吉 …………。
治子 今のアパートから、追い立てをくって、いよいよもう、居られなくなったの。部屋代をいっぺんに五百円にするというのよ。……そうでなくっても、今の会社の月給は六百円で、食べるだけでも、たりなくなって来たし……ホールに出ると、その日から百円ぐらいにはなるんですって。……私、もう、こうなったら、なんでもやるわ。……だって、このままで行ったら、私もだけど、それよりもお母さんも俊ちゃんも、医者や薬はおろか、あなたも、みんな、カツエて死んでしまう。……(しばらくだまっていてから)お祈り?
友吉 ……(顔をあげる。ボンヤリした眼つきで治子を見る)……ありがとう。……だけど、僕らはどうでもいいから、ダンサーなど、よしたほうがいいんじゃない?
治子 ……私には、もう、祈れなくなっちゃった。戦争中は、あいで、苦しかったけど祈れたわ。だけど……もうダメ。
友吉 ……そんな事しているよりか、早く教会に帰った方がよいと思うんだ。兄さん、こないだも此処に来て、治ちゃんにそういってくれって――
治子 ウソだわ。
友吉 だって、先生はホントに治ちゃんの事を心配して――
治子 ウソ!
友吉 しかし――
治子 兄さんなんか、どうでもいいのよ。友吉さんがウソいってる。
友吉 そんな――
治子 そうじゃありませんか? あなたは、兄さんの教会なんかを、良い所だとは思っていない。あすこには、もうホントの聖霊は居ない。そうなんだわ。……そして、あなたの思っている通りだわ。パリサイびとの宮――そうなのよ。そこへ私を、あなたは、そこへ私に帰れとおっしゃるの?
友吉 そんな事はない。キリスト教を受け入れる――神を受け入れる受け入れかたにも、人によっていろいろの形が有って――その事が僕にもわかって来たんですよ――いろんな形が有る。そのどれもが、広い大きな目から見れば、みんな神さまのものです。――主の祈りをとなえながら、その拍子に合せてキカン銃を打っていたヘイタイが居た――こないだ本で読んだんですよ。それだって神の世界の出来ごとかもしれない。神さまの世界の広さや深さを、われわれ弱い小さい者が、自分の量見で区切ってタカをククル――というのもへんだけど――てはいけない。そんな気がして来たんです。まして、あなたの兄さんなど、あんな立派な人格の――
治子 そいじゃ、そいじゃ戦争中の友吉さんが、神さまを守って、あんだけイジメられても、なにしていらしったのは、なあに?
友吉 ……あれは、僕の、思いあがった、まちがいだった――かも知れないという気が、ちかごろ、して来たんです。
治子 イヤだ! イヤだ! イヤだ! (ほとんど叫ぶ)そんなの、イヤです! いまさら、そんな、友吉さん、あなたまでが――イヤだ! ……(しばらく黙った後、再び沈んだ、過度に冷静な調子で)――あたしは、神さまを見失った人間なの。しかし友吉さんまでが、そんな事をいっては、いけない。しっかりしてちょうだい。……私が神を失ったのは、戦争中の兄さん、終戦後の兄さん、その兄さんを見ていてなの。
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