とわきの壁に、タテながの大きな紙に「人民政府をわれらの手で」「反動政府ぶったおせ」「働けるだけ食わせろ」「工場管理はおれたちで」と赤く大書したのがはってある。黒板には、大きい白字で「東亜時計労働組合文化部。時局座談会」と二行に書き、「司会者アイサツ――組合書記局、本山君」「労働組合の任務――細田正邦氏」「感想――片倉友吉君」(――ただし、この一行は、あとで急に書き加えた事が一見してわかるように、大きく※[#「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2−13−28]入されている)「質問――有志」「閉会アイサツ――委員長」と数行に書いてある。
 正面に一人だけ腰かけた細田が、こちらへ話しかけている。顔色が青白く、背広に、伸びかけた頭髪。語調が単純で、くだけた語りくちの中に一種の迫力がある。それまでに既にかなり永く話して来て、ほとんど終わりに近いところ。
[#ここで字下げ終わり]

細田 ――そんなわけで、今度の戦争が、日本の帝国主義者たちによってくわだてられたドロボウ戦争――侵略戦争であったということは、以上の私の話で、よくわかっていただけたろうと思います。(客席から拍手)……で、もっといろんな事を話したいと思いましたが、なんです、この、まだカラダが本調子でないもんですから、非常につかれるもんで……(微笑)いや、実は、カラダと言うよりも、正直いって、ホンのしばらく前まで、ほとんど一日中、人と話をするのは、係りの監守やなんかと二言か三言といったような生活をズーッと[#「ズーッと」は底本では「ズーツと」]つづけて来てるもんですから、急にこうして多勢の方に会ってしゃべりますと、気づかれ――というよりもノドがくたびれましてね、ハハ、それに毎日のようにあちこちと引っぱり出されるんで、このところ、太夫、チョとインコウを害しておる(客席に好意的なひかえめな二三の笑い声)――といった所で。実は、この出しぬけにナニして、まだ世間の様子もなんにもわからないボクなどが理窟ばった話をするよりもです、ホントは皆さんのお話を伺うつもりで出席させていただいたわけなんです。場所も近いし、それに、君たちが今度、産業別組合会議に加盟されて、会社当局との間に争議を起そうとしていられるという話を聞きまして、それがどんな様子なのか心配にもなり、ホンのチョットあがって見たら、トタンに委員長から、なにか話をしろと厳重に命令されちゃって。ハハ、正直言うとカタくるしい話は、ごめんなんだ。つまり、久しくゴブサタしていた、働いている諸君の元気な顔を見に寄ったと言うところですよ。これくらいで、かんべんしてください。……ただ最後に一言いたいのは、――とにかく、そういったわけで、軍バツや財バツが国民大衆を自分たちの思うままにおさえつけ、しぼり取って、支配していた――その支配力が、自分たちの、つまり資本主義自身の持っている、いろんなムジュンのために、これまでのように、自由にエテカッテに[#「エテカッテに」は底本では「エテカツテに」]支配する事が出来なくなる。ほって置けば自分たちの立場があぶなくなる。ウマイ汁が吸えなくなる。なんとかしなければならない。そいで、外に向って手を出す。これが戦争なんです。……戦争はイヤだ。もう、とにかく、戦争は、ごめんですね? こんな恐ろしい、不合理な、バカゲた事はない。もう、コリゴリした! もう、どんな事があってもドンドンパチパチだけは、やめにしたい。誰にしたってそう思う。それには、どうすればよいか? どうすれば、今後、人間どうしが戦争をやらないですむようになるか? 世界国家というようなこともいわれています。連合国家によって強力な国際裁判所を作るといったような事も考えられています。それもよいでしょう。しかしもっともっと、直接に効果のある事は、もっと手近かにある。それは、けっきょく、人が人をしぼり取ったり、おさえつけようとするために戦争が起るんだから、それをなくせば戦争は起きない。誰も彼もが、それぞれの仕事で額に汗して働いて、そしてその代りに自分の生活に必要なものを貰って、幸福に暮す。みんなが、人をしぼり取らなくてもすむ。戦争なんか起こす必要が、そうすればないんです。……だが、人間にそんな事ができるか? できます。げんにそれをしている人が、居る。それは誰かというと、働いて物を作り出している人間です。つまり、労働者、勤労者、お百姓などです。つまり、諸君なんだ。諸君は、この工場で働いて、給料をもらって、それでもって人間らしく幸福に暮せさえすれば、それで満足なんだ。人をおさえつけたり、よその国を取ってしまおうとしたり、人をしぼり取ったりしようとは[#「しようとは」は底本では「しょうとは」]、全く考えていない。又、そんな必要はない。でしょう?(鋭い二三の拍手)ただ、残念ながら……諸君をしぼり取ろうとしている人は、まだ居りますがね。……(客席から「そうだ!」「そうだ!」と二声ばかり叫ぶ声がして、同時に全員が昂奮した烈しい拍手をする)……(気持よく笑って)ハハ、いや、まあ、なんですよ、しぼり取れる時にはサンザンにしぼり取って、そいで、こんな時代になって、あんまりもうからなくなったので、人手をへらす必要があるというんで、諸君をお払い箱にしたいという人たちは、居ります。……そいつは、あんまりきこえないというわけで、やむを得ず諸君も今度立ち上って、首は切らないでくれと、まあ言いはじめたわけですね?(拍手)……あたりまえなんですよ、諸君がそう思うのは。だから、つまり、諸君が働いてもうけだしたものを、諸君がみんなで分けてやって行けるようになれば、なんのゴタゴタも起きないわけです。同時に、そんなような諸君がいっぱい集って、自分たちの手で自分たちの間から選び出した人に政治をやってもらうようにすればゴタゴタは起きないのです。つまり、戦争は起きないんだ。……つまりですよ、本来、労働者、勤労階級、農民などはまったく平和的なんです。ですから、諸君が、自分たちの手で、自分たちの力で万事をやるようにする事が、諸君がおちついて安心して仕事にはげみ、幸福になる方法であると同時に、そうする事が即ち、世の中に今後ぜったいに戦争を起さないですむ最も善い、最も早い方法なんです!(客席に烈しい拍手。ワーといって四五人の男が立ちあがっている)どうかしっかりやってほしいと思います。……では、このへんで――失礼しました。(ニコニコしながら、客席の前の端を見る)
司会 ……(細田の視線の先から立ちあがって行き、細田に代って、テーブルの向うに立つ。細田は、わきに寄ってイスにかける)ええ、実に非常に良い話をしていただいて、私ども一同、なんと言ってよいか――われわれ勤労大衆のために、永い間牢獄にとじこめられて来られた細田さんのような方が、相変らずわれわれの事をこんなにまで考えてくださることに対し、これから、いえ、こんどこそは、われわれもシッカリしなくてはならない。現在の会社当局が、終戦以来われわれに対して取って来た態度と思い合わせますと、実に感がいなきを得ません。われわれは、此処にわれわれの決意をかためるとともに、細田さんをはじめ、人民解放のための闘いに、あるいは倒れ、あるいは自由をうばわれていた方達に心の底から感謝し、今後どうかよろしくお頼みしたいのであります。(さかんな拍手。細田微笑しつつ中腰になり、うなづいて拍手に答える。それを見て、客席の最前部から一人の青年が拍手しながらツト立ちあがる)
青年 あの――かんげいのために、歌を歌います! みんなで歌って下さい。(歌)民衆の旗、赤旗は――(客席前部の大部分の人々が、それにつれて歌い出す。司会者も手でタクトを振りながら歌う。……歌いおわり、全員で拍手)
司会 ええと……それでは、次ぎに――(と背後の黒板を振り返り)片倉友吉君に話をしてもらいます。片倉君のことは、紹介するまでもなくたいがい――特に組立部の者はみんな知ってる。戦争中一年以上、ほとんど二年近くも憲兵隊や警察にいて、終戦になって出て来たのです。さんざんゴウモンを受けて、片手を不具にされたりしても屈しないために、憲兵隊でも警察でも手を焼いてしまって、これをどう処置してよいか伸ばし伸ばしして来て、ついにしかたがないので、軍法会議の方へ廻されることになっていたそうですが、グズグズしているうちに終戦になったといいます。あぶなく命びろいをしたわけです。そういう意味で――つまり、あのドロボウ戦争に命がけで反対して来た人として、片倉君はかがやかしい闘士でありまして、そんな人間をわが工場から出したという事は、われわれのほこりであります。(われるような拍手)片倉君、どうぞ! 片倉君!(呼ばれて客席の前部に坐っていた友吉、しかたなく立ちあがるが、モジモジしている)どうぞ!
細田 (興味を引かれ、乗り出してそちらの方を見ながら)……すると、なんなの――その?
司会 ええ、あの、キリスト教なんですよ。そいで――(細田、ホウと口の中でいって、友吉の方を見る)片倉君! さあ、どうぞ、こっちへ!
友吉 でも、ぼくは……
司会 なんでもいいんだ。思った事を、チョットでもいいから、ね!
友吉 べつにその、話すことなど、ないもんで――
司会 えんりょしたまうなよ。ハハ、もとの仲間じゃないか、みんな。(三四人の笑い声。同時に、友吉のうしろから、彼をテーブルの方へ押しあげようとする二三人の手が見える)
細田 (微笑しつつ)どうぞ! どうぞ君!
友吉 ……(しかたなく、テーブルの方へ。きまりわるそうに細田に向っておじぎをしてから、テーブルの向うに立つ。まだ青白く、左の腕はブラリとたれている。一同拍手)……どうも、ぼくは、あの、チョット[#「チョット」は底本では「チヨット」]用事があって、来ましたら、人事課の表の所で、杉田さんに――(と司会者の方を見て)会って、無理に、あの、此処へつれて来られて[#「来られて」は底本では「来たられて」]しまって……(困りきった微笑。それを見ていて一同の間にも気の良い微笑のさざめき。一、二の人が、まばらに拍手する)……ぼくなんぞ、べつに話すことも有りませんから――
司会 いいじゃないか、なんでも思いついたままの事をいってくれよ。
友吉 ……弱ったなあ。
司会 弱るこたあないじゃないか。君がナカでがんばって居たじぶんの感想でも話してくれたまいな。
友吉 ……がんばって居たなんて、そんな――ぼくが悪いんですから、あの――
司会 悪い?
友吉 みんなにメイワクをかけて、父や弟や、そいからいろんな人たちを、苦しめることになって……会社の皆さんにもホントに(と会衆に向って詫びの頭をさげる)――ぼくのような者が一人出たために、ずいぶん、ごめいわくをかけちまって――ホントに、すみませんでした。……でも、しかたがなかったもんですから――
司会 そんな君、そんな――そういうふうには、ぼくら、誰一人思っていないんだから――
友吉 いえ、みんなにメイワクがかかる事は、はじめからわかっていたので、召集を受けるまでに会社をやめて置こうと思ってたんですけど、ほかに口がないもんですからグズグズしているうちに、あんなふうになってしまって――諸君があれだけシンケンに国のために働いているのに、それをぼくのために、みんなが国賊だなんていわれたりしたんですから、ぼくの事をみんなが、あんときハイゲキしたのは、とうぜんなんです。弟の明のこともあとで聞いたんですが――私のようなものの弟なんですから――あの、しかたのないことで――どうか、許してください。おわびをします。
[#ここから3字下げ]
(この言葉と、司会者及び一同の置かれている立場や気分とが、不意に喰いちがって一同シーンとなる。細田だけが注意深く友吉を見ている)
[#ここで字下げ終わり]
司会 ……(妙な顔をして)そりゃ君、今となっては、この、なんだよ――世の中が変って、自由な、この、つまり戦争中ぼくらみんながゴマカされたり目かくしをされていたために、なんだ、あんな戦争なのに、それに負けちゃなら
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