がヨーロッパ全体の指導権をしっついした時に、すでにヨーロッパ的理念の実質は没落したのでして、以来、ただ一つ、ソヴイエット・システムだけが、ヨーロッパ的理念の最後のひとつかみのよりどころ、ないしは修正物として、かろうじて存在しておりますが、しかし、それも、特殊な地方的条件としてのツァーリズムというものが、打ちたおされるべき反対物として存在していたればこそ、可能であったのであって、そういう意味では、すでに現段階のものではなく、世界的チツジョ樹立のための現実的な原理としては、もはや無力であることは、立証されているんです。いえ、私は、或る意味でマルキストであるかもしれません。いえ、マルキストと言われてもすこしも恥じません。もちろん、そのために処罪されても、いいんです。しかし、われわれのマルキシズムは、公式主義的適用から、はるかに生成発展したものでありまして、つまり、東洋的現実日本的地方的条件――すなわち、民族の族長としての天皇へいかを中心として、つまり一君万民ですね、せまくは日本、広くは大東亜圏諸国を、天皇中心の社会主義体系にまとめるという理念であります。この事は、私がこれまで書きもし、また各
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