まはうかと思つたことも何度かあつて、旅行に出、今から思ふと「地熱」の舞台によく似た北九州の佐賀から唐津と云ふ港町へぬける山道を、金もないのに酒を呑んで、すき腹をかゝへて、ふらふらと半月ばかり歩き廻り、やりきれなくなると、地べたにあふむけに寝ころんで空を眺めた。地べたは非常に冷たいけれど、それは氷の様に邪険な冷たさではない。一番安心してそこに寝てゐられる一種の深い暖か味の様なものを、着物を通して体に感じられるのです。それは必ずしも地球地質学的な意味で地球の中には、何かどろ/\した熱いものが燃えてゐるからと云ふ意識がある為でなく、冷たい乍ら、底の方から何か暖かいものが実感として感ぜられるのです。
それが地熱と云ふ――言葉ではないそんな風な考へ方が、かなり古くから僕の中にあつて、たま/\この作品を書くに当つて、出て来たものです。
一番安心して、その上に寝られる、冷たいが、しかし人間を凍らせたり、死滅させたりする様なものでなく、何か人間の体の温かさを支へるに足る、安心出来る熱と云ふ様なものがある。さう云ふ風なことがテーマになつてゐるのです。
僕は、十三歳頃から、あちこちの小僧になつたり、
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