先日頂戴仕った能の番組も時間も御手紙を紛失仕って忘れてしまった。どうぞ今一返知らせて下され。実は今週中休むから手紙で西洋人へきき合せてやろうと思った所が時間も何も分らず、それがためまたまた御面倒をかける甚だ相済まん。それで入口では高浜さんの坐とききますかな。もし西洋人がさしつかえたなら誰か連れて行って見ましょうか。それとも君の方にだれかいますか。または御互に知り合のうちを御指名下されば引っ張り出します。以上。
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九月十九日[#地から3字上げ]金
虚子庵置二階下
○
明治三十九年九月二十二日(封書)
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拝啓 西洋人は大に感謝の意を表し来り候。椅子は入《い》らぬ由。何だか日本服をきて出陣する模様なり。これでなくては能などは見られぬ事と存候。十月号には面白いものが出ますか。僕も何か書きたいが当分いそがしくて駄目である。三重吉が来て四方太の文をほめて居た。御互に惚《ほ》れたものでしょう。頓首。
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九月二十二日[#地から3字上げ]金
虚子先生
○
明治三十九年十月一日(葉書)
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拝啓 先日は御能拝見仰せ付られ難有仕合に存じ奉り候。西洋人大喜にて今度ある時も知らせてもらいたいなどと申居候 以上。
僕の後ろに居た西洋人ハ下等ナ奴ダ。アンナ者ガ能ヲ見ニ来タラ断ワルガイイ。
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[#地から3字上げ]夏目金之助
高浜清様
○
明治三十九年十月三日(葉書)
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拝啓 『ホトトギス』の予告は驚ろきましたね。小生来客に食傷して木曜の午後三時からを面会日と定め候。妙な連中が落ち合う事と存候。ちと景気を見に御出被下度候。
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[#地から3字上げ]夏目金之助
高浜清様
○
明治三十九年十月九日(封書)
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「二百十日」を御読み下さって御批評被下難有存じます。論旨に同情がないとは困ります。是非同情しなければいけません。もっとも源因が明記してないから同情を強いる訳にゆかない。その代り源因を話さないでグーグー寝てしまう所なぞは面白いじゃありませんか。そこへ同情し給え。碌《ろく》さんが最後に降参する所も弁護します。碌さんはあのうちで色々に変化して居る。然し根が呑気《のんき》の人間だから深く変化するのじゃない。圭《けい》さんは呑気にして頑固なるもの。碌さんは陽気にしてどうでも構わないもの。面倒になると降参してしまうので、その降参に愛嬌があるのです。圭さんは鷹揚でしかも堅くとって自説を変じない所が面白い。余裕のある逼《せま》らない慷慨《こうがい》家です。あんな人間をかくともっと逼った窮屈なものが出来る。また碌さんのようなものをかくともっと軽薄な才子が出来る。所が「二百十日」のはわざとその弊を脱して、しかも活動する人間のように出来てるから愉快なのである。滑稽が多過ぎるとの非難ももっともであるが、ああしないと二人にあれだけの余裕が出来ない。出来ないと普通の小説見たようになる。最後の降参も上等な意味に於ての滑稽である。あの降参が如何にも飄逸《ひょういつ》にして拘泥しない半分以上トボケて居る所が眼目であります。小生はあれが掉尾《とうび》だと思って自負して居るのである。あれを不自然と思うのはあのうちに滑稽の潜んで居る所を認めないで普通の小説のように正面から見るからである。僕思うに圭さんは現代に必要な人間である。今の青年は皆圭さんを見習うがよろしい。然らずんば碌さんほど悟るがよろしい。今の青年はドッチでもない。カラ駄目だ。生意気なばかりだ。以上。
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[#地から3字上げ]金
虚子先生
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能の事難有存じます。やはり九段であるのですか。いつあるのですか。ちょっと教えて下さい。正月は何かかいて上げたいと思います。然し確然と約束も出来かねます。まあ精々かく方にして置きましょう。
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○
明治三十九年十月十三日(封書)
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拝啓 昨日は失敬本日学校でモリスに聞いて見た所二十八日の喜多《きた》の能を見に行くから枡《ます》を一つ(上等な所。あまり舞台が鼻の先にない所を)とってもらいたいという事であります。どうか願います。それから時間は午前八時頃から五時位までですか、喜多の番地はどこでしたか、ちょっと教えて下さい。今度の木曜にも入らっしゃいな。四方太も来るかも知れない。小生元来呑気屋にて大勢寄って勝手な熱を吹いてるのを聞くのが大好物です。
森田が「千鳥」をよんで感心して来ました。森田は一頁五十銭で飜訳をして食っている。シャボテン党はこの味を知らないからシャボテン派なんだろうというています。今日も三人来ました。然し玄関の張札を見て早々帰ります。甚だ結構です。以上。
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十月十二日[#地から3字上げ]金生
虚子先生
○
明治三十九年十月十五日(封書)
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喜多の番組難有候。ちょっとこの文壇五名家という奴を御覧なさい。僕の鼻が曲っているから妙だ。鼻の穴の片ッ方が余計に見えている。これで文学者もすさまじいものだ。然し他の四名家も文学者らしくもありませんね。中には泥棒のようなものもいる。草々。
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十月十五日[#地から3字上げ]金
高浜先生
○
明治三十九年十月十七日(封書)
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拝啓 喜多の番づけを難有う存じます。早速モリスにやりましょう。先達て御話しのあった「二百十日」に関する拙翰を『ホトトギス』へ掲載の義は承知致しましたと申しましたが少し見合せて下さい。近々「現代の青年に告ぐ」という文章をかくかまたはその主意を小説にしたいと思います。するとその前にあの手紙は出してもらわない方がよい。どうでしょう、あの主意をあなたが布衍《ふえん》して、そうしてあなたの意見も加えてあなたの文章とかきかえて『ホトトギス』へ出して下さっては。あの手紙のうちで困るのは「現代の青年はカラ駄目だ」という事と「普通の小説家なら……」という自讃的の語である。自分が小説をかいて、人の小説を自分のに比べて攻撃するのはいやな心持ちだ、それから「現代の青年に告ぐ」という文章中には大に青年を奮発させる事を書くのだから「カラ駄目」じゃちと矛盾してしまいます。まず用事だけにして置きます。
森田流の人には当分シャボテン主義は分りません。やはりロシヤ主義で進歩するがよかろうと思います。
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十六日[#地から3字上げ]金
高浜様
○
明治三十九年十月十八日(封書)
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拝啓手紙は『国民新聞』へ御出しのよし。ちっとも構いません。出したら出したで小説でも論文でも出来ますから、決して御心配には及びません。本当は現代の青年の一部のものにあの手紙を見せてやりたいのですから大に結構であります。今日|松根《まつね》が来ました。今度の日曜に散歩をする約束をしました。『早稲田』から正月という注文が来ましたがこれは延ばす事に仕って『ホトトギス』へ何か書いて見ましょう。もっとも他にも約束もあるがどうかします。もっとも『ホトトギス』へ出来なければ外へも出来ないのですから御勘弁なさい。さようなら。
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十月十六夜[#地から3字上げ]金
虚子大人座下
○
明治三十九年十一月九日(封書)
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昨日は御出かと思って居たら東洋城の注進で顔がはれたという訳で髪結床も油断のならないものと気がつきました。昨日は大分大勢来ました。しめて十三、四人です。東洋城と三重吉が大に論じていました。紅緑《こうろく》の「アンカ」を四方太がほめた。森田白楊は散々わるくいうた。あのジジイは僕も嫌だ。通篇西洋臭い。焼直し然としている。然し田舎の趣味がある所が面白いと思います。
文章談はほんの一口でつまらんものです。正月には非[#「非」に白丸傍点]人情の反対即ち純[#「純」に白丸傍点]人情的のものがかきたいが出来るか、出来損うか、または出来上らないか分らない。文債が多くて方々から尻が来て閉口です。『坊ちゃん』は依然として広告されていますね。どうか正月分は(もし出来たら)この醜態を免がれたいと思う。僕今度は新体詩の妙な奴を作ろうと思う。文界は依然として芋を揉《も》んでいる。そのなかに混って奮闘するのは愉快ですね。皮がむけて肉がただれても愉快だ。僕もし文壇を退けば西都へ行って大学で済まして講義をしています。然し折角生れた甲斐には東京で花々しく打死をしたいですね。
吉原の酉《とり》の市なんか僕も見たかった。二、三日漫然とあるきたい。手紙をかくだけでも随分骨が折れる。以上。
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十一月九日[#地から3字上げ]金
虚子先生
○
明治三十九年十一月十一日(封書)
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拝啓 昨日ちょっと伺うのを忘れましたがね。小生の原稿は十二月二十日頃まででいいでしょうか。そこの所をちょっと確めて置きたい。実は色々用事があってね早くは出来そうもないです。
生田長江《いくたちょうこう》という人が四方太さんの所へ行ったら先生大気焔で漱石も「一夜」をかいているうちはよかったが近頃段々堕落するといったそうだ。四方太先生はこんな元気はない人だと思っていた。えらい事になりました。僕は「秋晴《しゅうせい》」や「秋曇《しゅうどん》」をかいて満足していられるようになりたい。その方がどの位個人として幸福か知れない。僕がかくのは冗談にかくんじゃない。まずくても下手でも已を得ずかくのである。冗談なら文章をかかずに教師だけでひまがあれば遊んであるいている。小生今後の傾向はまず以て四方太先生の堕落的傾向であります。甚だ厄介ですな。小生が好んで堕落するんじゃない。世の中が小生を強いて堕落せしむるのであるか。恐惶謹言。
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十一月十一日[#地から3字上げ]金
虚子先生
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左千夫の手紙にいっている事は僕にわからない。四方太の駄洒落《だじゃれ》を攻撃している所は小生は駄洒落とは認めない。
僕はあすこへ応用してもらう積りで文章談をしたのではない。
あれが駄洒落なら大抵のものは駄洒落だ。然し「秋晴」や「秋曇」は堕落的傾向を帯びないから僕には一向感じがない。何をかいたのか分らない。あのまま白紙を代りにしても同じ事だ。四方太がきいたら定めし怒る事だろう。
[#ここで字下げ終わり]
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明治三十九年十一月十一日(封書)
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今日は早朝から文学論の原稿を見ています。中川という人に依頼した処先生頗る名文をかくものだから少々降参をして愚痴だらだら読んでいます。今四十枚ばかり見た所へ赤い冬瓜《とうがん》のようなものが台所の方から来て驚きました。それに長い手紙があるのでいよいよ驚ろきました。赤冬瓜の事は一、二行であとは自我説文学説だからいよいよ以て驚ろきました。御意見は面白く拝見しました。大分御謙遜のようですがあれはいけません。然し文章について、大意見があるとは甚だ面白い。是非伺いたいと思います。「アン火」は感じがわるいですね。仏蘭西あたりのいか様ものを脊負《しょ》い込んだのでしょう。四方太は白紙文学、僕は堕落文学、君はサボテン文学、三重吉はオイラン憂い式、それぞれ勝手にやればいいのです。それで逢えば滅茶に議論をして喧嘩をすればいいと思う。所が四方太先生は議論をしませんよ。だからいやだ。天下が僕の文をまつは甚だ愉快な御愛嬌で難有く待たれて置いて大に驚ろかす積りで奮発してかきましょう。東洋城のオバサンが「二百十日」をほめたそうだから面白
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