帝文』をかきかけたが詩神処ではない天神様も見放したと見えて少しもかけない。いやになった。これをこの週中にどうあってもかたづける。それからあとの一週間で「猫」をかたづけるんです。いざとなればいや応なしにやっつけます。何の蚊のと申すのは未だ贅沢をいう余地があるからです。桂月《けいげつ》が「猫」を評して稚気を免かれずなどと申して居る。あたかも自分の方が漱石先生より経験のある老成人のような口調を使います。アハハハハ。桂月ほど稚気のある安物をかく者は天下にないじゃありませんか。困った男だ。ある人いう、漱石は「幻影の盾」や「薤露行《かいろこう》」になるとよほど苦心をするそうだが「猫」は自由自在に出来るそうだ。それだから漱石は喜劇が性に合って居るのだと。詩を作る方が手紙をかくより手間のかかるのは無論じゃありませんか。虚子君はそう御思いになりませんか。「薤露行」などの一頁は「猫」の五頁位と同じ労力がかかるのは当然です。適不適の論じゃない。二階を建てるのは驚きましたね。明治四十八年には三階を建て五十八年に四階を建てて行くと死ぬまでにはよほど建ちます。新宅開きには呼んで下さい。僕|先達《せんだっ》て赤坂へ
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