ともないと話していたが、評判が善かったので続いて筆を取ることになった。また「猫」の出た『ホトトギス』は売行《うりゆ》きがよくって、「猫」の出ない『ホトトギス』は売行きが悪かったので、此方《こちら》からも出来るだけ稿を続けることを希望した。
『帝国文学』や『中央公論』や『新小説』やその他各種の雑誌から氏に寄稿を依頼するようになったので氏は一躍して多忙な作家になった。『帝国文学』の「倫敦塔《ろんどんとう》」『ホトトギス』壱百号の「幻影《まぼろし》の盾《たて》」などを始めとして多数の作が矢つぎ早に出来た。いずれも批評家が筆を揃えて推賞した。明治三十八年中に氏から私に寄越した手紙で残っているものは次の五通である。駒込千駄木町五十七番地に寓居の時である。
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啓上 文章会開会の議敬承仕候。小生も今月末までには「猫」のつづきをかく積りに候。会日は九月三十日が土曜につき、同日|午《ひる》からとしたら、如何かと存候。就ては会場の儀、今まで小生宅にて催うし候処、細君アカンボ製造中にて随分難儀そうに見受候に就ては、今度はちょっと御免蒙り、どこかほかへ持って行きたしと存候、会員の宅で
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